更新情報:記事内容を更新(2025.12.21)
はじめに
このページは、北海道内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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愛別町の由来
1961年(昭和36年)に、元々あった愛別村が町制を施行したことによって、愛別町が成立しました。
前身である愛別村は、1897年(明治30年)に鷹栖村が分立したことによって誕生しているようです。
「愛別」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①「矢の川」といった意味をもつ「アイペッ」というアイヌ語に由来し、矢のように流れが早い川があったことにちなむとする説。
②「アイ」にはトゲという意味があるということから、植物であるイラクサにちなんだものとされる説。
- 読み方→「愛別町(あいべつちょう)」「鷹栖村(たかすむら)」
赤井川村の由来
1906年(明治39年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、赤井川村が成立することとなりました。
ただし、この村ができる以前より名称自体はあったようで、古くからある地名であるといえそうです。
「赤井川」という地名の由来についてですが、これはアイヌ語にちなんだものとされています。
そのアイヌ語とは、「フレ・ペツ」もしくは「フレ・ベッ」という言葉で、この言葉は「赤い川」を意味しているとされるようです。
これはアイヌ語を意訳したものとなりますが、文字通り赤みを帯びた川があったことにちなんだものとされます。
- 読み方→「赤井川村(あかいがわむら)」
赤平市の由来
1954年(昭和29年)7月1日に、元々あった赤平町が市制を施行したことによって、赤平市が成立しました。
1922年(大正11年)には元となる赤平村が成立しており、「赤平」の由来についてはアイヌ語関連が諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介します。
①山稜の崖といった意味をもつ、「アカピラ」というアイヌ語に由来したものとされている説。
②赤い崖を意味する「フレピラ」に由来し、「フレ」を赤というように訳して命名されたとする説。
③水や崖を意味する「ワッカピラ」というアイヌ語に由来し、これが転じたものであるとされる説。
- 読み方→「赤平市(あかびらし)」
旭川市の由来
1922年(大正11年)8月1日に、元々あった旭川町が市制を施行したことによって、旭川市が成立しています。
旭川町の前身となる旭川村は、1890年(明治23年)に置かれていますが、いつ頃からあった地名なのかは分かりませんでした。
「旭川」という名称については、市内に流れている忠別川の語源となる「チュプ・ペッ」といった言葉が由来とされています。
これはアイヌ語であり、「チュプ」とは太陽や日、「ペッ」は川を意味したものとなっているそうです。
このことから「日が昇る川」を意味しているといわれ、日を「旭」と置き換えて「旭川」となりました。
- 読み方→「旭川市(あさひかわし)」「忠別川(ちゅうべつがわ)」
芦別市の由来
1953年(昭和28年)に、元々あった芦別町が市制を施行したことによって、芦別市が成立しました。
1906年(明治39年)には町村制が施行され、芦別町の前身となる芦別村が成立していますが、名称自体は以前よりあったようです。
「芦別」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①「ハシュペッ」という言葉に由来しており、低木の中を流れる川を意味するアイヌ語にちなむ説。
②同様にアイヌ語で、切り立つ川を意味する「アシペッ」という言葉から転じたものとされている説。
- 読み方→「芦別市(あしべつし)」
足寄町の由来
1955年(昭和30年)4月1日に、「西足寄町」「足寄村」が合併したことによって成立しました。
町名は、合併された町村に共通している名称である「足寄」を引き継いだ形となっているようです。
「足寄」という地名の由来については諸説ありますが、アイヌ語に由来したものが定説とされています。
そのアイヌ語とは、「エショロ・ペッ」というもので、この言葉は、「沿って下る川」といった意味をもつそうです。
これは、釧路方面から川に沿って、十勝や北見に出られたことに関連したものであるとしています。
- 読み方→「足寄町(あしょろちょう)」「西足寄町(にしあしょろまち)」「足寄村(あしょろむら)」「釧路(くしろ)」「十勝(とかち)」「北見(きたみ)」
厚岸町の由来
1900年(明治33年)に、町村制施行に伴って合併が行われたことにより、厚岸町が成立することとなりました。
町ができる以前より「厚岸」という名称は存在しており、その由来はアイヌ語にちなんだものとなるようです。
このアイヌ語については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①アイヌ語の「アツケウシイ」が転じたもので、「アツ」が植物のオヒョウニレの樹皮を、「ケ」がはがす、「ウシ」がいつもする、「イ」が所をそれぞれ意味するという説。
②牡蠣がある場所を意味する、「アッケシ」といった言葉に由来して地名となったとされている説。
- 読み方→「厚岸町(あっけしちょう)」
厚沢部町の由来
1963年(昭和38年)3月に、元々あった厚沢部村が町制を施行したことによって、厚沢部町が成立しました。
前身である厚沢部村は、1906年(明治39年)の町村制施行時に成立しており、「厚沢部」の由来については諸説あるようです。
どの説もアイヌ語に由来したものとなっているようで、その中から今回2つの説を紹介していこうと思います。
①桜鳥と呼ばれる鳥が多く住んでおり、これを意味する「ハチャム」に由来したものとされている説。
②オヒョウニレという植物が、生い茂っていることを意味する「アッサム」が転じたものとする説。
- 読み方→「厚沢部町(あっさぶちょう)」
厚真町の由来
1960年(昭和35年)に、元々あった厚真村が町制を施行したことによって、厚真町が成立しました。
前身である厚真村は、1906年(明治39年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。
「厚真」という名称については、「アットマム」もしく「アツマト」という言葉に由来したものとされています。
こちらはアイヌ語となっており、湿地帯に草が生い茂っていることを意味したものだそうです。
こういったアイヌ語が転じたことで「厚真」となり、地名として定着していくこととなりました。
- 読み方→「厚真町(あつまちょう)」


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