更新情報:記事内容を更新(2025.5.28)
はじめに
このページは、群馬県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
群馬県の由来についてはこちら
他の市町村についてはこちら
安中市の由来
1958年(昭和33年)11月1日に、元々あった安中町が市制を施行したことによって、安中市が成立しました。
前身である安中町は、1889年(明治22年)の町村制施行時の際に合併によって成立していますが、地名自体は戦国時代頃よりあったそうです。
「安中」という名称については、戦国時代の武将である「安中 忠政」という人物に由来したものとなります。
この地に城を築いた際に、城の名称を自分の安中の姓をとって「安中城」と命名したそうです。
そして時が経つにつれ、城だけではなく地名として「安中」の名称が広がったとされています。
- 読み方→「安中市(あんなかし)」「安中町(あんなかまち)」「安中 忠政(あんなか ただまさ)」「安中城(あんなかじょう)」
伊勢崎市の由来
1940年(昭和15年)9月13日に、「伊勢崎町」「殉蓮村」「茂呂村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名については、合併された町村の中で唯一の町である「伊勢崎町」から名称を引き継いでいます。
「伊勢崎」という地名については、神社である伊勢神宮に由来した名称となっているそうです。
というのも、由良成繁という人物が赤石城を攻め落とし、その一部を伊勢神宮に寄進したといわれています。
そのことから「伊勢の前(さき)」と呼ばれるようになり、これが転じて「伊勢崎」となったようです。
- 読み方→「伊勢崎市(いせさきし)」「伊勢崎町(いせさきまち)」「殉蓮村(うえはすむら)」「茂呂村(もろむら)」「由良成繁(ゆらなりしげ)」
板倉町の由来
1955年(昭和30年)2月1日に、「伊奈良村」「海老瀬村」「大箇野村」「西谷田村」が合併、及び町制を施行したことによって成立しています。
町名については今回の合併により新たに命名されたものとなりますが、どのようにして決まったのかはなどは分かりませんでした。
また、「板倉」の名称の由来について調べてみましたが、こちらも特に情報見つかりません。
由来となりそうなものも探してはみたものの、これが由来ではないかと憶測もできませんでした。
こちらについては、また何か情報が詳しく分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「板倉町(いたくらまち)」「伊奈良村(いならむら)」「海老瀬村(えびせむら)」「大箇野村(おおがのむら)」「西谷田村(にしやだむら)」
上野村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、上野村が成立することとなりました。
上野村が成立する以前には、この地域を含めて群馬県は古くには「上野国」と呼ばれていたようです。
この「上野国」こそが上野村の名称の由来といわれていますが、あくまで1つの説となっています。
「上野」については、古くには「毛野」という地域があり、これが「上毛野」と「下毛野」と分かれたそうです。
その後、「毛」の文字だけ消えるように変化しましたが、読み方にその名残が残されています。
- 読み方→「上野村(うえのむら)」「上野国(こうずけのくに)」「毛野(けの)」「上毛野(かみつけの)」「下毛野(しもつけの)」
邑楽町の由来
1968年(昭和43年)4月1日に、元々あった邑楽村が町制を施行したことによって、邑楽町が成立しました。
前身である邑楽村は、1957年(昭和32年)に「中島村」が改称したことにより成立したようです。
改称するに至った経緯については分かりませんでしたが、この地域が「邑楽郡」に属していることに由来した名称と考えられます。
「邑楽」という名称の由来については、「オホアラキ」といった言葉から転じたとされていました。
この「オホアラキ」の言葉には、開墾地や新田といった意味合いがあるとされているそうです。
- 読み方→「邑楽町(おうらまち)」「中島村(なかじまむら)」
大泉町の由来
1957年(昭和32年)3月31日に、「小泉町」と「大川村」が合併したことによって成立しています。
今回合併の際に、町の名称として新たに命名されていますが、どのような経緯で決まったのかは分かりませんでした。
「大泉」という名称の由来としては、合併前の町村名からそれぞれ1文字ずつとった合成地名となります。
ちなみに、元々あった小泉町と大川村の由来についても調べてみましたが、こちらは情報が見つかりませんでした。
泉や川といった字があることから、川などの水にちなんだものと考えられそうですが、また何か分かれば追記していきます。
- 読み方→「大泉町(おおいずみまち)」「小泉町(こいずみまち)」「大川村(おおかわむら)」
太田市の由来
1948年(昭和23年)5月3日に、元々あった太田町が市制を施行したことによって、太田市が成立しました。
前身である太田町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。
この「太田」という名称の由来については、「太田宿」にちなんだものといわれています。
これは宿場町時代にあったものでありますが、元々は「新田荘」と呼ばれていたそうです。
しかし、「太田」自体の由来に関しては情報が見つからなかったため、また何か分かり次第追記していきます。
- 読み方→「太田市(おおたし)」「太田宿(おおたじゅく)」「新田荘(にったのしょう)」
片品村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、片品村が成立することとなりました。
今回13の村の区域をもって成立しており、このときに「片品」は村の名称としてつけられているようです。
どのような経緯で決まったのかは分からず、地名自体の由良を詳しいことは分かっていないとされます。
一応この地域は古くに「笠科郷」と呼ばれていたといわれ、「片品」の由来はここにあると考えられているそうです。
笠科郷が転じたことで「カタシナ」となり、「片品」の字が当てられていったと思われます。
- 読み方→「片品村(かたしなむら)」「笠科郷(かさしなきょう)」
川場村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、川場村が成立しています。
今回村の名称を決めるに辺り、どのようにして決定に至ったのかなどは情報が見つかりませんでした。
「川場」という名称の由来としては、字が表している通り川にちなんだものであるそうです。
この地域は薄根川という川をはじめ、4本の一級河川が流れている自然のある場所となっています。
そういったことから、川のある場所ということで「川場」という名称となったとされるようです。
- 読み方→「川場村(かわばむら)」「薄根川(うすねがわ)」
神流町の由来
2003年(平成15年)4月1日に、「万場町」と「中里村」が合併したことによって成立しています。
今回新たに町名が考えられていますが、どのようにして決まったのかなどは分かりませんでした。
町名の由来としては、この地域に流れている「神流川」から名称をとったものであるそうです。
ちなみに「神流川」自体の由来についても調べてみたところ諸説あるようで、1説には「上の方から流れてくる川」が変化したものといわれています。
もう1つの説としては、ヤマトタケルという皇族の妻が入水したとされ、その遺髪を流したことから「髪ながれる川」が変化したという説がありました。
- 読み方→「神流町(かんなまち)」「万場町(まんばまち)」「中里村(なかざとむら)」
甘楽町の由来
1959年(昭和34年)2月1日に、「小幡町」「福島町(一部)」「新屋村」が合併したことによって成立しました。
町名がどのようにして決まったのかは分かりませんが、この場所は「甘楽郡」に属していることから、これに由来したものと考えられそうです。
「甘楽」という名称自体の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①上村といった意味合いをもつ、「カムラ」という言葉が転じたことでできたとされている説。
②同じく「カムラ」から転じたとされているが、意味合いとしては朝鮮半島から人々が移り住んだことを指す説。
- 読み方→「甘楽町(かんらまち)」「小幡町(おばたまち)」「福島町(ふくしままち)」「新屋村(にいやむら)」
コメント