更新情報:記事内容を更新(2025.11.24)
はじめに
このページは、兵庫県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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相生市の由来
1942年(昭和17年)10月1日に、元々あった相生町が市制を施行したことによって、相生市が成立しています。
前身である相生町は、1913年(大正2年)に相生村が町制を施行したことで成立していますが、1939年(昭和14年)までは「おお」という読み方でした。
このとき、何故読み方を変更するに至ったのかなどに関しては情報をみつけることができていません。
「相生」という地名の由来については、この地に大嶋城の城主となった海老名氏に関連したものです。
海老名氏は相模国生まれであったそうで、そのことにちなんで「相生」と命名したとされています。
- 読み方→「相生市(あいおいし)」「相生町(あいおいちょう)」「大嶋城(おおしまじょう)」「海老名(えびな)」「相模国(さがみのくに)」
明石市の由来
1919年(大正8年)11月1日に、元々あった明石町が市制を施行したことによって、明石市が成立しました。
「明石」という地名は、1889年(明治22年)に町村制が施行される以前よりあり、その由来としては諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介します。
①「赤石」という表記もみられたことから、赤い石があり見物する人が集まった、もしくは赤い石が産出されたことに由来するという説。
②西側の地域からみて、明るい土地であったことから、これに由来した地名であるとされる説。
③「アカシ」は高い崖などを指すとされ、この場所の地形に由来してできた地名とされている説。
- 読み方→「明石市(あかしし)」
赤穂市の由来
1951年(昭和26年)9月1日に、「赤穂町」「坂越町」「高雄村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名については、合併された町村が「赤穂郡」に属していたことから、これちなんだものと考えられます。
「赤穂」という地名の由来としては、この地の水辺のほうに赤いタデの穂が生えていたことに由来するそうです。
元々は「阿加保」という表記もあったとされ、振り仮名は「あかほ」となっていたとされています。
ここから現在の読み方である「あこう」へと変化していき、地名として定着していくこととなりました。
- 読み方→「赤穂市(あこうし)」「赤穂町(あこうちょう)」「坂越町(さこしちょう)」「高雄村(たかおむら)」
朝来市の由来
2005年(平成17年)4月1日に、「朝来町」「生野町」「山東町」「和田山町」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名については、合併された町が「朝来郡」に属していたことから、これに由来したものとなっています。
また、それに加えて朝が来るということで、朝日のような勢いで成長していくといった願いなども込めているそうです。
しかし、「朝来」自体の由来について調べてみたものの、特にこれといった情報を見つけることができませんでした。
こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「朝来市(あさごし)」「朝来町(あさごちょう)」「生野町(いくのちょう)」「山東町(さんとうちょう)」「和田山町(わだやまちょう)」
芦屋市の由来
1940年(昭和15年)11月10日に、元々あった精道村が改称、及び市制施行したことによって成立しました。
改称に至った経緯としては、精道という名称より「芦屋」のほうが広く知られていたからだそうです。
そんな「芦屋」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①葦で作った屋根があった地域であったことから、「葦屋」という表記が転じたものとしている説。
②この地域が、葦の植物が生えている湿地であったことから、同様に「葦屋」が転じたとする説。
- 読み方→「芦屋市(あしやし)」
尼崎市の由来
1916年(大正5年)4月1日に、「尼崎町」と「立花村(一部)」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名については、合併された町村にある尼崎町から名称を引き継いだ形となっているようです。
「尼崎」という地名としては、古くに「海士崎」や「海人崎」などの表記がされていたものが転じたものとなります。
これらの表記の由来に関してですが、「あま」というのは当時の海の民を表す言葉となっていました。
そして「崎」とは岬を意味した言葉であり、これは海に突き出た地形からきたとされています。
- 読み方→「尼崎市(あまがさきし)」「尼崎町(あまがさきちょう)」「立花村(たちばなむら)」
淡路市の由来
2005年(平成17年)4月1日に、「淡路町」「一宮町」「津名町」「東浦町」「北淡町」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名については特に情報が見つかりませんでしたが、恐らく淡路島に位置していることにちなんだものと思われます。
「淡路」の名称自体に関しては、「阿波への道」といった意味に由来したものとされるようです。
古くに存在した藩の一つである徳島藩は、徳島県にあった「阿波国」と兵庫県のこの辺りの地域を領有していました。
これが転じていったことにより、「淡道」と表記されていたり、現在の「淡路」となったとしています。
- 読み方→「淡路市(あわじし)」「淡路町(あわじちょう)」「一宮町(いちのみやちょう)」「津名町(つなちょう)」「東浦町(ひがしうらちょう)」「北淡町(ほくだんちょう)」「阿波国(あわのくに)」
伊丹市の由来
1940年(昭和15年)11月10日に、「伊丹町」と「稲野村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
「伊丹」という地名は古くからあり、その由来については諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介します。
①当時、機織りの技術があったことから「糸績」という言葉から転じた地名であるとされている説。
②養蚕業が盛んであったことに関連して、クワ科の「イタビカズラ」と呼ばれる植物にちなんだとのとする説。
③入り江の奥にある土地であるということから、「糸海」といった言葉が転じたものとされる説。
- 読み方→「伊丹市(いたみし)」「伊丹町(いたみちょう)」「稲野村(いなのむら)」「糸績(いとうむ)」
市川町の由来
1955年(昭和30年)7月25日に、「甘地村」「川辺村」「瀬加村」「鶴居村」が合併、及び町制施行したことによって成立しました。
町名については新たに命名されており、これはこの地域に流れている「市川」という川に由来したものとなります。
ちなみに、「市川」自の由来に関しては、この場所で市が開かれていたことにちなむとする説があるそうです。
しかし、他の説であったり、市場についての詳しい情報は、これといって特に見つかりませんでした。
こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「市川町(いちかわちょう)」「甘地村(あまじむら)」「川辺村(かわべむら)」「瀬加村(せかむら)」「鶴居村(つるいむら)」
猪名川町の由来
1955年(昭和30年)4月10日に、「中谷村」「六瀬村」が合併、及び町制施行したことによって成立しました。
町名については、新たに命名されたものとなっており、これは町内を流れる「猪名川」という川に由来したものとなります。
「猪名川」自体の名称の由来としては、「あがなが」が訛ったことによってできた地名とされているようです。
古くにはこの地に、「山直阿我奈賀」という人物が住んでおり、「あがなが」はこの人名に由来しています。
このことから当初は「阿我奈川」といった名称でありましたが、上述したとおり転じて「猪名川」となりました。
- 読み方→「猪名川町(いながわちょう)」「中谷村(なかたにむら)」「六瀬村(むつせむら)」「山直阿我奈賀(やまのあたえあがなが)」


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