更新情報:タイトルを変更(2023.8.9)
はじめに
このページは千葉県の市町村の名称の由来をまとめたページになります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いため、複数の記事に分けています。(このページでは旭市~大多喜町まで)
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参考にしているページとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあること、ご了承ください。
旭市の由来
1954年(昭和29年)に、旭町が市制を施行したことによって成立しました。
旭の名称の由来については、「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけむ」と詩が詠まれたことにちなむといわれています。
これは当時善政をしいていた木曾義昌のことを歌人が詠んだ詩とされています。
また、勢いが盛んなことを意味する「旭日昇天」という言葉から由来とする説もあるようです。
補足
- 読み方→「木曾義昌(きそよしまさ)」「旭日昇天(きょくじつしょうてん)」
我孫子市の由来
1970年(昭和45年)に、安孫子町が市制を施行したことによって成立しました。
安孫子の由来については詳しいことは不明とされていますが、「アビコ」の姓をもつ人物この地にやってきたことにちなむといわれています。
また、「網引く」ということで漁村を意味する言葉からとする説もありました。
補足
- 読み方→「安孫子町(あびこまち)」
いすみ市の由来
2005年(平成17年)に、「夷隅町」「大原町」「岬町」が合併及び市制施行したことによって成立しました。
これらは夷隅郡にも属しており、親しまれているということから市名にもなっています。
平仮名表記となった理由は分かりませんでしたが、夷隅の由来としては諸説あるようです。
「夷」は東を表し、東側の隅っこにあるからという説や、石の多い場所であったことにちなむとする説など様々です。
補足
- 読み方→「夷隅町(いすみまち)」「大原町(おおはらまち)」「岬町(みさきまち)」
市川市の由来
1934年(昭和9年)に、「市川町」「中山町」「八幡町」「国分村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。
市川の由来としては諸説あり、まず当時は坂東と呼ばれた地域で江戸川が一番大きな川であったことから「一の川」と呼ばれ、これが転じたとする説があります。
他の説として、川の下流の辺りで市が開かれたことに由来して市川と呼ばれるようになったとする説もあるようです。
補足
- 読み方→「市川町(いちかわまち)」「中山町(なかやままち)」「八幡町(やわたまち)」「国分村(こくぶんむら)」「坂東(ばんどう)」
一宮町の由来
1890年(明治23年)に、一宮本郷村が町制施行及び改称したことによって成立しました。
一宮の由来としては、「上総国一宮」にある玉前神社に由来するといわれています。
一宮というのは、地域内で一番格式の高い神社を指す言葉で、いつしか地域名として定着したようです。
補足
- 読み方→「上総国(かずさのくに)」
市原市の由来
1963年(昭和38年)に、「市原町」「姉崎町」「五井町」「三和町」「市津町」が合併及び市制施行したことによって成立しました。
市原の由来としては諸説あり、一説にはイチイと呼ばれる植物が生い茂っていた原野であったことにちなむとする説があります。
他には、川に侵食されたことによってできた崖を意味する「厳(いつ)」「原(はら)」が転じたものと説や、一日中市場が開かれていたことにちなむとする説などがあるようです。
補足
- 読み方→「市原町(いちはらまち)」「姉崎町(あねさきまち)」「五井町(ごいまち)」「三和町(さんわまち)」「市津町(しづまち)」
印西市の由来
1996年(平成8年)に、印西町が市制を施行したことによって成立しました。
印西の由来としては、市が位置している場所にちなんだ名称となっています。
「印旛沼」と呼ばれる沼があり、印西市を含め複数の場所にまたがっていますが、印西は西側に位置していることからついた地名とされています。
浦安市の由来
1981年(昭和56年)に、浦安町が市制を施行したことによって成立しました。
浦安の由来としては、村であった時代の初代村長が「浦安かれ」と願いを込めたことにちなむといわれています。
この意味の解釈には複数の情報があり、漁業において重要な場所であったことから安泰を願ったものとする説がありました。
その他、浦が心を表すとされ、「心安らか」といった意味合いをもつとする説や、昔の大和国における呼び方の一つである「浦安の国」からとったとする説もあるようです。
大網白里市の由来
2013年(平成25年)に、大網白里町が市制を施行したことによって成立しました。
大網白里の名称は町が合併によって成立した際についた名称となっています。
「大網町」「白里町」「増穂村」が合併して大網白里町が誕生し、二つの町の名称を合わせた合成地名となります。
補足
- 読み方→「大網町(おおあみまち)」「白里町(しらさとまち)」「増穂村(ますほむら)」
大多喜町の由来
1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって大多喜町が成立しました。
大多喜の由来としては、「大きな滝」が転じていったものといわれています。
この付近には滝が多かったことから付けられた名称と考えられているようです。
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