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長野県の市町村名の由来【50音順 青木村~生坂村】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.10.22)

はじめに

このページは、長野県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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青木村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、青木村が成立することとなりました。

村名を決めるに当たってはかなり難航したそうですが、元々あった「青木」の名称をとることで決まったようです。

これは、この地域の学校名としてあったのに加えて、希望に輝く新しい名称として相応しいとの理由がありました。

この名称自体の由来は、この地の分岐点にあるネヅという木が、「青木」と呼ばれていたことにちなんだものとなります。

青々とした木であり、休む場所としても広く知られていたことからこの木にちなんだ名称としたそうです。

  • 読み方→「青木村(あおきむら)」

朝日村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、朝日村が成立することとなりました。

4つの村の区域をもって朝日村となっており、以前には「朝日」の名称がなかったことから、このときに命名されたようです。

どのようにして決めたのかは分かりませんでしたが、この名称で決めたのには主に2つの理由があります。

まず1つ目の理由として、この場所が地理的に朝日が一番にあたることが挙げられていました。

そして、朝日のように輝かしく発展するようにと願いを込めたとするのが、もう1つの理由となります。

  • 読み方→「朝日村(あさひむら)」

上松町の由来

1922年(大正11年)9月11日に、元々あった「駒ヶ根村」が町制施行、及び改称されたことによって成立しています。

改称するに至った理由などは調べてみたものの、これといった情報を見つけることができませんでした。

「上松」という地名の由来としては諸説あるようで、当時この地域は松が生い茂っていたとされています。

そのことから、見上げると松ばかりということで、「上松」となったとする説があるようです。

しかし、他の説が見当たらなかったのと、前述した改称された理由についても不明でしたので、また何か分かり次第追記していきます。

  • 読み方→「上松町(あげまつまち)」「駒ヶ根村(こまがねむら)」

阿智村の由来

1956年(昭和31年)9月30日に、「会地村」「伍和村」「智里村」が合併したことによって成立しました。

村名については新たに命名されていますが、「阿智」とは元々この地域一帯を指した名称であったようです。

駅名などにも採用されるなど、広く使われていたということから、阿智村とするに至ったとしています。

「阿智」という地名の由来についてはあまり情報がありませんでしたが、「アフチ」が転じたとするものがありました。

これは「アヒ」が間、「チ」は地を意味し、合わせて谷間を意味する言葉となっているそうです。

  • 読み方→「阿智村(あちむら)」「会地村(おうちむら)」「伍和村(ごかむら)」「智里村(ちさとむら)」

安曇野市の由来

2005年(平成17年)10月1日に、「明科町」「豊科町」「穂高町」「堀金村」「三郷村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市の名称については、この辺りの地域が「安曇野」と呼ばれていたことにちなんだものであるそうです。

「安曇野」という地名自体の由来としては、「安曇氏」と呼ばれる一族にちなむとする説があります。

安曇氏は元々いたわけではなく、西側のほうから徐々にこちらに移住し、この地に定着していきました。

ちなみに、「安曇」の元々の由来として、海人族であったことから「海人津見」という言葉が転じて一族の名称になったする説があります。

  • 読み方→「安曇野市(あづみのし)」「明科町(あかしなまち)」「豊科町(とよしなまち)」「穂高町(ほたかまち)」「堀金村(ほりがねむら)」「三郷村(みさとむら)」「海人津見(あまつみ)」

阿南町の由来

1957年(昭和32年)7月1日に、「旦開村」「大下条村」「和合村」が合併、及び町制施行したことによって成立しています。

町名については公募が行われており、「南信濃町」との2つにまで絞り混まれ、結果として阿南町となったようです。

これは「阿知川」という川の南に位置することに由来したもので、元々この地域では「阿南」の名称が広く使われていました。

そういったこともあり、応募された町名の中でも「阿南町」が一番多く挙げられていたそうです。

その他、字の表記が優しいといったことも、町名が決定された理由の1つとして挙げられていました。

  • 読み方→「阿南町(あなんちょう)」「旦開村(あさげむら)」「大下条村(おおしもじょうむら)」「和合村(わごうむら)」「阿知川(あちがわ)」

飯島町の由来

1954年(昭和29年)1月1日に、元々あった飯島村が町制を施行したことによって、飯島町が成立しました。

前身である飯島村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「飯島」という地名についてはあまり情報が見つかりませんでしたが、飯島氏に由来したものであるという情報がありました。

飯島氏は鎌倉時代にこの地域を支配していた氏族であり、飯島氏のもとで土地開発が進んだそうです。

しかし、氏族の名称は元からある地名に由来するパターンも多いので、他に何か情報がありました追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「飯島町(いいじままち)」

飯田市の由来

1937年(昭和12年)4月1日に、「飯田町」と「上飯田町」が合併、及び市制を施行したことによって成立しました。

市名については、合併される前の2町にある、「飯田」の名称を引き継いだ形となっています。

「飯田」という名称は古くからあるそうで、その由来としては「結いの田」という言葉が語源だそうです。

これは、この場所が水田を拓いた土地で、協力しあった田であることにちなむとされています。

この「結いの田」が転じていったことで「飯田」となり、地名として定着していくこととなりました。

  • 読み方→「飯田市(いいだし)」「飯田町(いいだまち)」「上飯田町(かみいいだまち)」

飯綱町の由来

2005年(平成17年)10月1日に、「三水村」と「牟礼村」が合併、及び町制施行したことによって成立しました。

町名について新たに命名されたものとなり、これは「飯縄山」という山に由来したものとなります。

詳しくは分かりませんでしたが、「飯縄山」には「飯綱山」の表記もあることから、こちらを採用しているようです。

元々の名称の由来としては、「飯砂」という言葉から転じたとされており、文字が表すとおり食べられる砂を指しています。

これは、「テングノムギメシ」と呼ばれる微生物の複合体のことであり、当時は多数生息していました。

  • 読み方→「飯綱町(いいづなまち)」「三水村(さみずむら)」「牟礼村(むれむら)」「飯砂(いいずな)」

飯山市の由来

1954年(昭和29年)8月1日に、「飯山町」「秋津村」「木島村」「常盤村」「外様村」「瑞穂村」「柳原村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、合併された町村の中で唯一の町である飯山町から名称を引き継いだ形となっています。

この地名は古くからありますが、元々は「飯山城」という城ができたときに付いた名称とされるようです。

それによると、城を建てたところがご飯を盛ったような地形をしていたそうで、そのことから「飯山」となりました。

ちなみに、これに関する情報をよくみましたが、あくまで諸説あるうちの1つの説であるそうです。

  • 読み方→「飯山市(いいやまし)」「飯山町(いいやままち)」「秋津村(あきつむら)」「木島村(きじまむら)」「常盤村(ときわむら)」「外様村(とざまむら)」「瑞穂村(みずほむら)」「柳原村(やなぎはらむら)」

生坂村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、生坂村が成立することとなりました。

ちなみに、このときにできた名称というわけではなく、町村制以前より名称自体はあったようです。

「生坂」という地名の由来については諸説みつかりましたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①急な坂にちなんだもので、「イカ」という厳しいことを意味する言葉に「サカ」の字をつけ、これが転じたとする説。

②この地域は都から越後へと下る裏街道の一角にあり、「裏道の峠」という意味で「生坂」となった説。

  • 読み方→「生坂村(いくさかむら)」

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