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熊本県の市町村名の由来【50音順 美里町~苓北町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.5.27)

はじめに

このページは、熊本県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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美里町の由来

2004年(平成16年)11月1日に、「中央町」と「砥用町」が合併したことによって成立しました。

今回新しい町名として「美里」と名付けられていますが、これは全国から公募を行ったそうです。

その中から、候補としてあった「美里」という名称が、正式に町名として決まった形となっています。

この名称に決まったのは、いつまでも美しいふる里でありますようにといったことなどが理由だそうです。

決定にあたり、その他の理由もありそうな記載の仕方でしたが、そこについては分かりませんでした。

  • 読み方→「美里町(みさとまち)」「中央町(ちゅうおうまち)」「砥用町(ともちまち)」

水上村の由来

1895年(明治28年)11月1日に、「岩野村」「江代村」「湯山村」が合併したことによって成立しています。

今回合併するにあたって新しい村の名称がつけられていますが、どのような経緯で決まったのかは分かりませんでした。

この「水上」という名称については、この地域に流れている球磨川に由来したものと考えられているようです。

球磨川は水上村だけではなく他の地域にも流れており、熊本県において最大の川となっています。

そんな球磨川の最上流の水源地となっているのがこの村で、このことから「水上」と命名されたそうです。

  • 読み方→「水上村(みずかみむら)」「岩野村(いわのむら)」「江代村(えしろむら)」「湯山村(ゆやまむら)」「球磨川(くまがわ)」

水俣市の由来

1949年(昭和24年)4月1日に、元々あった水俣町が市制を施行したことによって、水俣市が成立しています。

この水俣町の前身である水俣村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、地名としていつ頃よりあったのかは分かりませんでした。

「水俣」という名称の由来についてですが、これは川にちなんだものとなっているそうです。

この地域が、水俣川と湯出川の合流地点であったことから、二股になったところということでついた名称になります。

また、川が2つに分かれたところという意味もあるとされますが、意味合いとしては同じと考えてよさそうです。

  • 読み方→「水俣市(みなまたし)」

南阿蘇村の由来

2005年(平成17年)2月13日に、「久木野村」「長陽村」「白水村」が合併したことによって成立しました。

新しい村の名称を考えるにあたって公募が行われたそうで、その結果により村名が決定されています。

選ばれた理由としては、この地域が南阿蘇の名称で慣れ親しまれているといったことなとが挙げられていました。

「南阿蘇」という名称の由来については情報が見つかりませんでしたが、単純に「阿蘇郡の南部」に位置していることにちなんだものと考えられそうです。

このあたりについては、また何か情報がはっきりと分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「南阿蘇村(みなみあそむら)」「久木野村(くぎのむら)」「長陽村(ちょうようむら)」「白水村(はくすいむら)」

南小国町の由来

1969年(昭和44年)11月1日に、元々あった南小国村が町制を施行したことによって、南小国町が成立しました。

前身である南小国村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に3つの村の合併により成立しており、合併前にはこの名称はなかったことから、このときに村の名称として命名されています。

「小国」という地名自体は古くから存在しており、「国小なり」に由来しているものと考えられているようです。

これは神話によるものだそうで、「国小なり」とはその中にでてくる言葉の中に含まれています。

それに加えて、この場所が小国の地域の南側に位置していることから「南小国」となったそうです。

  • 読み方→「南小国町(みなみおぐにまち)」

御船町の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、御船町が成立することとなりました。

ただし、御船町の名称自体は1879年(明治12年)のときにはあり、地名も古くから存在していたようです。

「御船」という名称については、「御船(おんふね)」が由来となって命名されたものとなっています。

というのも当時天皇であった景行天皇は、九州平定のご巡幸をされていたといわれていました。

その際に、前述した「御船(おんふね)」が着岸されたということにちなみ、地名ができたとのことです。

  • 読み方→「御船町(みふねまち)」「景行天皇(けいこうてんのう)」

八代市の由来

1940年(昭和15年)9月1日に、「八代町」「大田郷町」「植柳村」「松高村」が合併、及び市制を施行したことによって成立しました。

市名についてどのようにして決まったのかは分かりませんでしたが、これらの町村が「八代郡」に属していたことにちなんだものかもしれません。

「八代」という名称の由来に関しては、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①天照大神と呼ばれる神のお墓が、昔あった地であることから「社」と呼ばれるようになり、これが転じたとする説。

②「やつ」が湿地、「しろ」が稲を指す言葉として、稲が収穫される地であることに由来するという説。

  • 読み方→「八代市(やつしろし)」「八代町(やつしろまち)」「大田郷町(おおたごうまち)」「植柳村(うやなぎむら)」「松高村(まつたかそん)」「社(やしろ)」「天照大神(あまてらすおおかみ)」

山江村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことにより、「山田村」と「万江村」が合併したことによって成立しています。

今回村の名称が新たにつけられていますが、どのようにして決定に至ったのかなどは情報が見つかりませんでした。

「山江」の名称自体は、合併した両村からそれぞれ1文字ずつとってできた合成地名となっています。

今回合併前の2つの村名についても由来を調べてみましたが、こちらは情報が見つからなかったです。

こちらの由来についてはまた何か情報が分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「山江村(やまえむら)」「万江(まえ)」

山鹿市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「山鹿町」「大道村」「川辺村」「三岳村」「三玉村」「平小城村」「八幡村」「米田村」の合併及び市制施行したことによって成立しました。

古くからある地名で、今回合併された町村の中で唯一の町である山鹿町から名称が引き継がれています。

「山鹿」という地名の由来については、ある話にちなんだものとされ、それによると武士が山で狩りをしていたそうです。

その際、谷間に鹿が群れているのを発見し、その場所を調べると温泉があったといわれています。

その後、そこには人々が集まって暮らし始め、この地域が「山鹿」と呼ばれるようになりました。

  • 読み方→「山鹿市(やまがし)」「山鹿町(やまがまち)」「大道村(だいどうそん)」「川辺村(かわべむら)」「平小城村(ひらおぎむら)」「三岳村(みたけむら)」「三玉村(みたまむら)」「八幡村(やはたむら)」「米田村(よねだむら)」

山都町の由来

2005年(平成17年)2月11日に、「蘇陽町」「矢部町」「清和村」が合併したことによって成立しています。

町名については公募が行われたそうで、いくつかの候補の中から「山都」の名称が選ばれました。

「山都」の応募の理由としてはいくつか挙がっており、まず山の都として栄えるようにとしたのがあります。

また、「山」の字は「さん」と読め、「三」に置き換えて3町村が栄えるようにといった願いも込められているそうです。

他にも理由が挙げられており、それによると「大和朝廷」の「大和」と同じ響きだからという意見もありました。

  • 読み方→「山都町(やまとちょう)」「蘇陽町(そようまち)」「矢部町(やべまち)」「清和村(せいわそん)」「大和朝廷(やまとちょうてい)」

湯前町の由来

1937年(昭和12年)4月1日に、元々あった湯前村が町制を施行したことによって、湯前町が成立しました。

前身である湯前村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立しており、古くからある名称であるようです。

「湯前」という地名の由来については、水上村にある湯山地区にちなんだものと考えられています。

それによると、この地域が湯山地区の前に位置していることから「湯前」と呼ばれるようになりました。

ただし、詳細については不明であるそうで、あくまで1つの説であると考えられているようです。

  • 読み方→「湯前町(ゆのまえまち)」

苓北町の由来

1955年(昭和30年)1月1日に、「富岡町」「坂瀬川村」「志岐村」が合併したことによって成立しました。

今回どのようにして決まったのかは分かりませんでしたが、町名としては新たに命名されたものとなっています。

「苓北」という名称については、この町が位置している天草の地域が別名「苓州」と呼ばれていることに由来したものです。

天草の読み方である「あまくさ」から「甘草」を結びつけているそうで、この甘草が別名「苓」といいます。

このことから「苓州」となり、その北部に位置していることから「苓北」となったそうです。

  • 読み方→「苓北町(れいほくまち)」「富岡町(とみおかまち)」「坂瀬川村(さかせがわむら)」「志岐村(しきむら)」「天草(あまくさ)」「苓州(れいしゅう)」「甘草(かんぞう)」

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