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群馬県の市町村名の由来【50音順 富岡市~吉岡町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.8.8)

はじめに

このページは、群馬県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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富岡市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「富岡町」「一ノ宮町」「小野村」「黒岩村」「高瀬村」「額部村」が合併、及び市制を施行したことによって成立しました。

市名が決まった経緯は分かりませんでしたが、合併前からある「富岡町」から名称を引き継いでいます。

「富岡」の地名は1889年(明治22年)に行われた町村制施行以前からありますが、その由来については情報が見つかりませんでした。

字だけで考えると「富んだ丘」があったなど、地形由来のものであると推測ができそうです。

こちらの由来については、また何かしら情報を見つけることが出来次第、改めて追記していこうと思います。

  • 読み方→「富岡市(とみおかし)」「富岡町(とみおかまち)」「一ノ宮町(いちのみやまち)」「小野村(おのむら)」「黒岩村(くろいわむら)」「高瀬村(たかせむら)」「額部村(ぬかべむら)」

中之条町の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって、中之条町が成立することとなりました。

その際、5つの町村が合併して誕生していますが、以前より中之条町という場所はあったようです。

「中之条」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①吾妻庄という場所の、中央に位置していたことから「中ノ庄」と呼ばれ、これが転じて「中之条」となったとする説。

②この地域の城が、「中城」と呼ばれていたことから、これが転じたことでできたとされている説。

  • 読み方→「中之条町(なかのじょうまち)」「吾妻(あがつま)」

長野原町の由来

1889年(明治22年)5月15日に、町村制が施行されたことによって、長野原町が成立しました。

今回10の町村が合併しており、その中に「長野原町」があったことから、町村制以前より存在していたようです。

「長野原」という名称の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①単純に、この場所が横に長い地形であったことから、「長野原」と呼ばれるようになったとする説。

②戦国時代の武将である「長野生盛」が、武田信玄に攻められた後、その一族がこの地に住み着いたことに由来する説。

  • 読み方→「長野原町(ながのはらまち)」「長野生盛(ながのなりもり)」「武田信玄(たけだしんげん)」

南牧村の由来

1955年(昭和30年)3月15日に、「磐戸村」「尾沢村」「月形村」が合併したことによって成立しています。

今回村の名称として新たに命名されていますが、決まった経緯については分かりませんでした。

「南牧」という地名の由来については、諸説見つかりましたので、今回2つの説を紹介していきます。

①村の南側には「南牧川」が流れていることから、川の名称に由来しているとされている説。

②古くには「牧城」という城が建てられており、これに由来して「南牧」という地名ができたとする説。

  • 読み方→「南牧村(なんもくむら)」「磐戸村(いわどむら)」「尾沢村(おざわむら)」「月形村(つきがたむら)」

沼田市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「沼田町」「池田村」「薄根村」「川田村」「利南村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、合併の町村の中で唯一の町である、「沼田町」から引き継いだものとなり、町自体は1889年(明治22年)に成立しているようです。

ただし、それ以前より「沼田町」はあったようで、その名称の由来については諸説あるとのことで、今回2つの説を紹介していきます。

①地震によって沼の水が侵食し、これが田のようになったことから、これに由来して「沼田」となったとする説。

②沼の水が退いたことによってできた湖底を、「ぬまた」と呼んだことから「沼田」の地名ができた説。

  • 読み方→「沼田市(ぬまたし)」「沼田町(ぬまたまち)」「池田村(いけだむら)」「薄根村(うすねむら)」「川田村(かわだむら)」「利南村(となみむら)」

東吾妻町の由来

2006年(平成18年)3月27日に、「吾妻町」と「東村」が合併したことによって成立しました。

町名が決まった経緯などは分かりませんでしたが、「東吾妻」の名称は「東」村と「吾妻」町の文字をそのまま合わせた合成地名となります。

ちなみに、「吾妻町」については、この町が「吾妻郡」に位置していたことに由来したものであるそうです。

そして「東村」の名称ですが、ヤマトタケルが東征の帰路にて亡き妻を偲んで「アズマハヤ」、つまり「我が妻よ」といったことに由来するといわれています。

面白いことに、実は「吾妻」の地名の由来も同じヤマトタケルの同じ言葉が由来するとされていました。

  • 読み方→「東吾妻町(ひがしあがつままち)」「吾妻町(あがつままち)」「東村(あずまむら)」

藤岡市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「藤岡町」「小野村」「神流村」「美九里村」「美土里村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、合併前の町村の中で唯一の町である「藤岡町」から名称を引き継いでいます。

「藤岡」の名称は、1889年(明治22年)の町村制施行以前よりあるようで、由来については、富士浅間神社に由来するといわれているようです。

元々この地域は「常が岡」と呼ばれていて、そこに富士山の分霊を祀った富士浅間神社ができました。

このことから「富士岡」と呼ぶようになりましたが、近くにある富岡の地名とややこしかったことから「藤岡」となったそうです。

  • 読み方→「藤岡市(ふじおかし)」「藤岡町(ふじおかまち)」「小野村(おのむら)」「神流村(かんなむら)」「美九里村(みくりむら)」「美土里村(みどりむら)」「富士浅間神社(ふじあさまじんじゃ・ふじせんげんじんじゃ)」「常が岡(ときがおか)」

前橋市の由来

1892年(明治25年)4月1日に、元々あった前橋町が市制を施行したことによって、前橋市が成立しました。

「前橋」の地名は古くからあり、かつては「厩橋」と表記されていたことから、これに由来したものとなります。

今の表記に転じたのは、1648年~1652年頃ともいわれ、前橋藩の4代藩主である酒井忠清のときであるそうです。

「厩橋」の名称については、「駅家の橋」というかかっていた橋に由来したものとしています。

これは、現在の利根川の辺りを流れている場所に車川と称した流れがあり、そこにかけられた橋だそうです。

  • 読み方→「前橋市(まえばしし)」「厩橋(まやはし)」「酒井忠清(さかいただきよ)」「駅家(うまや)」

みどり市の由来

2006年(平成18年)3月27日に、「大間々町」「笠懸町」「東村」が合併したことによって成立しました。

今回新たな名称がつけられており、これは合併協議会によって多数の候補の中から選ばれたものになります。

この「みどり」の名称については、緑あふれる自然のある美しい街並みにしたいという思いがあるそうです。

また、自然を大切にして、共に栄えていくイメージもあるとされ、自然をアピールした市名となっています。

もう1点選定理由があり、それは明るく平和で安心して生活できる、癒しのあるイメージをもたせたとしていました。

  • 読み方→「大間々町(おおまままち)」「笠懸町(かさかけまち)」「東村(あずまむら)」

みなかみ町の由来

2005年(平成17年)10月1日に、「月夜野町」「水上町」「新治村」が合併したことによって成立しました。

町名については公募が行われたそうで、その結果として「みなかみ町」が決定されています。

ちなみに応募の案の中で、この「みなかみ」の名称が一番多く届いた案であったそうです。

そんな「みなかみ」という名称の由来は「みなかみ紀行」にちなんだものであるとしています。

「みなかみ紀行」とは、若山牧水という歌人の作品の一つであり、旅の様子を記した紀行文です。

  • 読み方→「月夜野町(つきよのまち)」「水上町(みなかみまち)」「新治村(にいはるむら)」「若山牧水(わかやまぼくすい)」

明和町の由来

1998年(平成10年)10月1日に、元々あった明和村が町制を施行したことによって、明和町が成立しました。

前身である明和村は、1955年(昭和30年)に3つの村が合併したことによって成立しています。

このときの合併した村は、「佐貫村」「梅島村」「千江田村」であり、「明和」の名称はありません。

つまりこの際に新たな名称がつけられており、これは公募が行われてその中から選定されたものです。

「明和」の由来についてですが、「明朗で平和な村に」という想いをこめたものとしています。

  • 読み方→「明和町(めいわまち)」「佐貫村(さぬきむら)」「梅島村(うめしまむら)」「千江田村(ちえだむら)」

吉岡町の由来

1991年(平成3年)4月1日に、元々あった吉岡村が町制を施行したことによって、吉岡町が成立しました。

前身である吉岡村は、1955年(昭和30年)に「駒寄村」「明治村」の合併によって成立しています。

「吉岡」という名称の由来ですが、この2つの村を結んでいた河川名にちなんでいるそうです。

しかし、そもそもの河川名に関する由来などについて、詳しい情報をみつけることはできませんでした。

こちらについては、また何か見つけることが出来たら、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「吉岡町(よしおかまち)」「駒寄村(こまよせむら)」「明治村(めいじむら)」

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