更新情報:記事内容を更新(2025.6.2)
はじめに
このページは、群馬県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
群馬県の由来についてはこちら
他の市町村についてはこちら
桐生市の由来
1921年(大正10年)3月1日に、元々あった桐生町が市制を施行したことによって、桐生市が成立しました。
前身である桐生町は、町村制が施行された1889年(明治22年)に成立しており、「桐生」の由来としては諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①桐の木が多く生えている土地であったことから、これに由来して「桐生」となったとされる説。
②この地域でら霧がよく発生していたことから、「霧生」が転じて「桐生」となったとする説。
③「きり」が開墾地を、「う」が峡谷をそれぞれ意味しており、これが転じた地名であるとしている説。
- 読み方→「桐生市(きりゅうし)」「桐生町(きりゅうまち)」
草津町の由来
1900年(明治33年)7月1日に、草津村から「草津」と「前口」の地域が分立し、その区域をもって草津町が成立しました。
この地域は草津温泉がある場所としても知られていますが、観光地としての場所とそれ以外の場所で差がでてきたため分立されたそうです。
「草津」という地名については、温泉にちなんだもので、温泉からただよう硫黄臭が由来とされています。
この匂いを「臭い水」として、「くさうず」もしくは「くさみず」と表現していたそうです。
これが室町時代に「草津」となり、その後「草生津」など変化しましたが、最終的に「草津」に戻りました。
- 読み方→「草津町(くさつまち)」
渋川市の由来
1954年(昭和29年)4月1日に、「渋川町」「金島村」「豊秋村」「古巻村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名については、合併された町村の中で唯一の町である「渋川町」から名称を引き継いでいます。
「渋川」という名称の由来については、諸説あるとしながらもこれといった情報は見つかりませんでした。
その中で見つけた説によると、この地域にあった川に由来したものではないかとする説があるようです。
その説では川と川の合流地点があり、水の勢いが渋ってしまうから「渋川」となったとしています。
- 読み方→「渋川市(しぶかわし)」「渋川町(しぶかわまち)」「金島村(かなしまむら)」「豊秋村(とよあきむら)」「古巻村(ふるまきむら)」
下仁田町の由来
1889年(明治22年)4月に、町村制が施行されたことによって下仁田町が成立することとなりました。
町村制に伴い、4つの町村の区域をもって成立していますが、以前より下仁田町は存在していたようです。
下仁田の「下」はそのまま下にある地域を指すようですが、「仁田」については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①アイヌ語で、森林地帯などを意味している「ニタ」に由来したものであるとされている説。
②開発された土地を意味している「新田」という言葉から転じて「仁田」となったとしている説。
- 読み方→「下仁田町(しもにたまち)」
昭和村の由来
1958年(昭和33年)11月1日に、「糸之瀬村」と「久呂保村」が合併したことによって成立しています。
今回村の名称として新たに命名されたものとなりますが、決まった経緯や由来については情報が見つかりませんでした。
ただし、福島県にも昭和村がありますが、こちらは昭和の時代にできたことに由来した名称になります。
こちらの昭和村も、成立したのは昭和となっているので、同じように考えることができそうです。
こちらについては、他に何かしら情報を見つけることができ次第、改めて追記していこうと思います。
- 読み方→「昭和村(しょうわむら)」「糸之瀬村(いとのせむら)」「久呂保村(くろほむら)」
榛東村の由来
1959年(昭和34年)8月1日に、元々あった桃井村が改称したことによって、榛東村が成立しました。
改称に至った経緯は分かりませんが、村の新しい名称については公募が行われたそうです。
そんな「榛東」という名称の由来については、榛名山の東側のふもとに位置していることにちなんだ名称とされます。
榛名山は群馬県内にある山ですが、「榛名」という名称の由来については情報が見つかりませんでした。
こちらの由来についてはまた情報が何か分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「榛東村(しんとうむら)」「榛名山(はるなさん)」
高崎市の由来
1900年(明治33年)4月1日に、元々あった高崎町が市制を施行したことによって、高崎市が成立しました。
前身である高崎町は、1889年(明治22年)に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。
「高崎」という名称の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①井伊直政が城を築いた際に当初「松ヶ崎」とする予定だったが、植物には栄枯があることから「成功高大」の「高」をとってはどうかという助言を聞き、「高崎」となった説。
②城地を定めた際に鷹を飛ばしたことから、これに由来して「高崎」と転じたとされている説。
- 読み方→「高崎市(たかさきし)」「井伊直政(いいなおまさ)」
高山村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、「尻高村」と「中山村」が合併したことによって成立しました。
今回合併にあたって新しく村の名称がつけられており、由来についての情報はありませんでしたが、単純に合成地名であると思われます。
合併前の字がそれぞれ使われていることから、合わせて「高山」となったものと考えられるからです。
ちなみに、合併前の2つの村の由来についても調べてみましたが、こちらも情報を見つけることができませんでした。
何か情報を見つけることができたら、この2つの村については改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「高山村(たかやまむら)」
館林市の由来
1954年(昭和29年)に、「館林町」「赤羽村」「大島村」「郷谷村」「多々良村」「三野谷村」「六郷村」「渡瀬村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名については、合併された町村の中で唯一の町である「館林町」から、名称が引き継がれているようです。
「館林」は古くからある地名ですが、その由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①元々この場所は「立野ヶ原」と呼ばれていたのが転じたことにより、「館林」となったとする説。
②「高くなった場所の林」といった意味から、これが転じたことによって「館林」となった説。
- 読み方→「館林市(たてばやしし)」「館林町(たてばやしまち)」「赤羽村(あかばねむら)」「大島村(おおしまむら)」「郷谷村(さとやむら)」「多々良村(たたらむら)」「三野谷村(みのやむら)」「六郷村(ろくごうむら)」「渡瀬村(わたらせむら)」
玉村町の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことにより、9つの村の区域をもって玉村町が成立しました。
今回村の名称は新たに命名されており、「玉村」という名称の由来としては、ある伝説にちなんだものだそうです。
それによると、恋仲であった男女が川に身を投げたされ、その後、川には二つの碧玉が残っており、それを祀ったといわれています。
そして、洪水の際に龍神が現れ、竜巻を起こして碧玉を1つ持ち去ってしまい、そのことから「龍玉山」を設けて残りの一つを祀ったそうですが、その後も洪水がよく起こりました。
そういった話から、玉によってできた村であるとして、「玉村」と呼ぶようになったとされています。
- 読み方→「玉村町(たまむらまち)」
千代田町の由来
1982年(昭和57年)4月1日に、元々あった千代田村が町制を施行したことによって、千代田町が成立しました。
前身である千代田村は、1955年(昭和30年)に合併により成立し、「千代田」の名称はこのときにつけられたようです。
しかし、名称の由来について調べてみましたが、情報を見つけることができませんでした。
他の県にも「千代田」の地名はありますが、千年続く田んぼということで「長く栄える」などの意味があるそうです。
ただし、この千代田町も同じような意味かは不明ですので、また情報が詳しく分かり次第、追記していこうと思います。
- 読み方→「千代田町(ちよだまち)」「千代田村(ちよだむら)」
嬬恋村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって嬬恋村が成立することとなりました。
今回11の村の区域をもって成立していますが、このときに新たに命名されているようです。
しかし、どのような経緯で決定に至ったのかなど、詳細については情報が見つかりませんでした。
「嬬恋」という名称については、ヤマトタケルノミコトの妻が海の神の怒りを鎮めるために、身を投げたとする話からきているとされます。
それによると、「吾嬬者耶」つまり「あぁ我が妻よ、恋しい」と嘆いたされ、そのことから「嬬恋」となりました。
- 読み方→「嬬恋村(つまごいむら)」「吾嬬者耶(あづまはや)」
コメント