更新情報:記事内容、画像を変更(2025.2.22)
はじめに
このページは、愛知県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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西尾市の由来

1953年(昭和28年)12月15日に、「西尾町」と「平坂町」の一部が合併及び、市制を施行したことによって、西尾市が成立しました。
「西尾」という名称は、古くからある地名とはなっていますが、その由来については分からないことも多いようです。
一応「西尾」の由来については2つの説を見つけることができたので、今回それを紹介していこうと思います。
①古くには海で塩を産出し、煮ていたことから「煮塩」となり、これが転じて「西尾」となった説。
②西という字があることから、額田郡から伸びる台地の西端に位置していたことから、「西尾」となった説。
- 読み方→「平坂町(へいさかちょう)」「額田郡(ぬかたぐん)」
日進市の由来

1994年(平成6年)10月1日に、元々あった日進町が市制を施行したことによって、日進市が成立しました。
日進町の前身である日進村は、1906年(明治39年)の合併の際に成立していますが、このときに「日進」の名称ができたそうです。
「日進」の由来については、かつて日本の海軍にあった戦艦「日進」にちなんだものといわれています。
日進はアルゼンチン海軍から購入したものだそうで、日露戦争の際に活躍した戦艦であるようです。
しかし、なぜこの戦艦「日進」にちなむことになったのか不明な部分もあり、あくまで一つの説であると考えられています。
半田市の由来

1937年(昭和12年)10月1日に、「半田町」「成岩町」「亀崎町」が合併及び市制を施行したことによって、「半田市」が成立しました。
古くにはこの地域に「坂田郷」という場所があったとされ、これが「半田」の由来といわれています。
下記の読み方にも記載していますが、当時は「坂田」を「さかた」と読んでていたそうです。
この「さかた」の読み方からいつしか「はんだ」へとなり、現在の表記へと変化しています。
ただし、どういう経緯で変化するに至ったのかについては、情報を見つけることができませんでした。
- 読み方→「成岩町(ならわちょう)」「亀崎町(かめざきちょう)」「坂田郷(さかたごう)」
東浦町の由来

1948年(昭和23年)6月1日に、元々あった東浦村が町制を施行したことによって、東浦町が成立しています。
「東浦」という名称の由来については、これといった情報を見つけることができませんでした。
東浦村自体は合併により、新しくできた名称ですが、合併されたのは「緒川村」「石浜村」「生路村」「藤江村」と、「森岡村」の一部となります。
このことから、合併時の村の名称から取った合成地名といったわけではないことが考えられそうです。
「東浦」の名称については、また何か情報が見つかり次第、その由来を記載していこうと思います。
- 読み方→「緒川村(おがわむら)」「石浜村(いしはまむら)」「生路村(いくじむら)」「藤江村(ふじえむら)」「森岡村(もりおかむら)」
扶桑町の由来

1952年(昭和27年)8月1日に、元々あった扶桑村が町制を施行したことによって、扶桑町が成立しました。
「扶桑」の名称は、1906年(明治39年)10月1日の合併の際に付けられたものであるようです。
その由来については諸説あるとのことでしたので、今回は2つの説を紹介していこうと思います。
①この地域には桑園が多かったことから、「桑に扶養される」として「扶桑」となったとする説。
②財閥の解体により、住友プロペラの代わりにできた「扶桑金属」という会社に由来するとしている説。
碧南市の由来

1948年(昭和23年)4月5日に、「大浜町」「新川町」「棚尾町」「旭村」が合併及び市制を施行したことによって、碧南市が成立しました。
「碧南」という名称については、合併時の町村が属していた「碧海郡」の名称に由来しています。
これらの場所はその碧海郡の南部に位置しており、そのことから「碧南」と命名されたようです。
ちなみに碧海郡とは、「青見」という里の名前が変化したものだそうで、当時の読み方は「あおみぐん」であったといわれています。
これが「へきかいぐん」と読み方が変更された経緯については、情報を見つけることができませんでした。
- 読み方→「大浜町(おおはまちょう)」「新川町(しんかわちょう)」「棚尾町(たなおちょう)」「旭村(あさひむら)」「碧海郡(へきかいぐん)」
南知多町の由来

1961年(昭和36年)6月1日に、「内海町」「豊浜町」「師崎町」「篠島村」「日間賀島村」が合併されたことにより、南知多町が成立しました。
「南知多」という名称の由来については情報を見つけることができませんでしたが、位置している場所に由来したものと思われます。
南知多町は知多半島及び知多郡の南に位置する場所にあり、そのことから「南知多」となったと考えられそうです。
ちなみに「知多」の由来については諸説あるようで、一説には田が多いことから「千田」が転じたとする説があります。
その他、チガヤという植物が多く生えていたことから、「茅田」が転じたとする説もありました。
- 読み方→「内海町(うつみちょう)」「豊浜町(とよはまちょう)」「師崎町(もろざきちょう)」「篠島村(しのじまむら)」「日間賀島村(ひまかじまむら)」
美浜町の由来

1955年(昭和30年)4月1日に、「河和町」と「野間町」が合併されたことによって、美浜町が成立しました。
この2つの町の名称をみてもらうと分かる通り、合併時に新たに付けられた名称となっています。
「美浜」という名称については、「美しい砂浜」があることに由来したものとなっているようです。
美浜町は海に面している町で、三河湾と伊勢湾があることから、景色も綺麗な所となっています。
そういったこともあり、「美浜」という名称は、この町には相応しい名前ではないでしょうか。
- 読み方→「河和町(こうわちょう)」「野間町(のまちょう)」
みよし市の由来

2010年(平成22年)1月4日に、元々あった三好町が「みよし町」へと改称、同時に市制を施行したことによって、みよし市が成立しました。
元となる「三好」の名称については、「三吉」の表記が変化したものだとされているようです。
この「三吉」というのは、現在の新城市にある鳳来寺という寺院の付近を指したものといわれています。
ちなみに上記にもありますが、元々は「三好」という表記を市制を施行するにあたり、ひらがな表記に変更されました。
これは、この時点で既に徳島県に「三好市」があったことから、市名が被らないように配慮しなければいけなかった結果だそうです。
- 読み方→「鳳来寺(ほうらいじ)」
弥富市の由来

2006年(平成18年)4月1日に、弥富町が「十四山村」を編入し、同時に市制を施行したことによって、弥富市が成立しました。
「弥富」という名称については、めでたい言葉などから命名される、瑞祥地名であるとされるようです。
似たようなものではありますが、由来については2つの情報が見つかりましたので、紹介していこうと思います。
①「弥」というのは末永く栄えるといった意味、「富」は豊かな水田地帯があったことに由来するといったもの。
②「いよいよ富む、いやがおうにも富む」といったことを願って付けられた瑞祥地名であるといったもの。
- 読み方→「十四山村(じゅうしやまむら)」
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