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佐賀県の市町村名の由来【50音順 有田町~基山町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.8.17)

はじめに

このページは、佐賀県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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佐賀県知識まとめ

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佐賀県の市町村の由来【50音順 玄海町~吉野ヶ里町】

有田町の由来

2006年(平成18年)3月1日に、「有田町」と「西有田町」が合併したことによって成立しています。

有田町は漢字の表記だけでいえば、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、合併されるまでは「ありたまち」で「町」の読み方が違いました。

合併に伴い「町」の読み方が変わった理由については、情報がみつからなかったため不明です。

また、「有田」という地名の由来についても、同様に見つけることができませんでした。

そのため、こちらについては何か情報が分かり次第、改めて追記をしていこうと思っています。

  • 読み方→「有田町(ありたちょう)」「西有田町(にしありたちょう)」

伊万里市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「伊万里町」「山代町」「黒川村」「波多津村」「南波多村」「大川村」「松浦村」「二里村」「東山代村」が合併、及び市制を施行したことによって成立しました。

市名がどのようにして決まったのかは分かりませんが、合併前にもあった伊万里町の名称を引き継いでいるようです。

そんな「伊万里」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①奈良時代に活躍した公卿である紀飯麻呂という人物に由来し、「いいまろ」が転じたものとする説。

②伊万と呼ばれる地域が元々存在し、そこに古い区画制度である条里制により「伊万ヶ里」と呼ばれたことに由来する説。

  • 読み方→「伊万里市(いまりし)」「伊万里町(いまりまち)」「山代町(やましろまち)」「黒川村(くろがわむら)」「波多津村(はたづむら)」「南波多村(みなみはたむら)」「大川村(おおかわむら)」「松浦村(まつうらむら)」「二里村(にりむら)」「東山代村(ひがしやまむら)」「紀飯麻呂(きのいいまろ)」

嬉野市の由来

2006年(平成18年)1月1日に、「嬉野町」と「塩田町」が合併、及び市制を施行したことによって成立しました。

市名がどのようにして決まったのかは分かりませんが、合併前にあった嬉野町から名称を引き継いでいるようです。

「嬉野」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①この地に立ち寄った神功皇后が、白い鶴が湯に入って傷を癒していたのを見て、兵士をお湯に浸からせたところ傷が治ったことから、「あな、うれしの」と発言したことに由来するというよくみられる説。

②先端部を意味している「末(うれ)」と、意味を強める「し」、そして水源地帯にあることから「野」で合わせて「うれしの」が変化したとする説。

  • 読み方→「嬉野市(うれしのし)」「嬉野町(うれしのまち)」「塩田町(しおたちょう)」「神功皇后(じんぐうこうごう)」

大町町の由来

1936年(昭和11年)1月1日に、元々あった大町村が町制を施行したことによって、大町町が成立しました。

前身である大町村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「大町」という地名については、かつて広い干潟である「大沼」が広がっていたことに由来します。

その大沼の縁のところには道が1本通っており、それを「大沼路」と呼んでいたそうです。

この「大沼路」が転じていったことにより、現在の「大町」へと変わったとされています。

  • 読み方→「大町町(おおまちちょう)」「大町村(おおまちむら)」「大沼(おおぬま)」「大沼路(おおぬまじ)」

小城市の由来

2005年(平成17年)3月1日に、「小城町」「芦刈町」「牛津町」「三日月町」の合併及び市制施行したことによって成立しました。

市名についてはどのようにして決まったのかは分かりませんでしたが、合併された町が「小城郡」に属していたことから、これに由来したものなのかもしれません。

「小城」という地名に関しては「オキ」という言葉に由来し、これが転じたものとされています。

「オキ」というのは砦のことであり、土蜘蛛と呼ばれるヤマト政権に従わなかった土豪たちが防御として利用したそうです。

しかし、これ以外の由来は情報が見つからなかったものの、あくまで1つの説として唱えられているとしていました。

  • 読み方→「小城市(おぎし)」「小城町(おぎまち)」「芦刈町(あしかりちょう)」「牛津町(うしづちょう)」「三日月町(みかつきちょう)」

鹿島市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「鹿島町」「浜町」「鹿島村」「能古見村」「古枝村」が合併、及び市制を施行したことによって成立しました。

市名については、合併された町村の中で唯一の町である鹿島町の名称が引き継がれています。

「鹿島」という地名の由来については、茨城県の鹿嶋市にある「鹿島神宮」に由来したものとされるそうです。

このことから、鹿嶋市とゆかりのある場所として紹介もされていましたが、詳細については不明でした。

こちらについては、また他に何かしら情報が分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「鹿島市(かしまし)」「鹿島町(かしまちょう)」「浜町(はまちょう)」「鹿島村(かしまむら)」「能古見村(のごみむら)」「古枝村(ふるえだむら)」「杵島(きしま)」

上峰町の由来

1989年(平成元年)11月1日に、元々あった上峰村が町制を施行したことによって、上峰町が成立しました。

前身である上峰村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に、4つの村の区域をもって成立し、このときに村の名称として「上峰」と命名されています。

しかし、「上峰」という名称の由来については、調べてみたものの情報が見つかりませんでした。

漢字の表記だけで考えると、「峰」は山にちなんだものとなることもあるので、この地域にある山との位置に関係あるのかもしれません。

とはいえ、完全に推測となってしまっているので、こちらについてはまた情報が分かり次第追記していきます。

  • 読み方→「上峰町(かみみねちょう)」

唐津市の由来

1932年(昭和7年)1月1日に、元々あった唐津町が市制を施行したことによって、唐津市が成立しました。

前身である唐津町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「唐津」という名称の由来については、「唐に渡る津」といったことにちなんだものとしています。

「唐」というのは朝鮮や中国を指しており、「津」の文字は港を意味した言葉だそうです。

古くから大陸との交流が盛んに行われてきた歴史があり、そのことから「唐津」となりました。

  • 読み方→「唐津市(からつし)」

神埼市の由来

2006年(平成18年)3月20日に、「神埼町」「千代田町」「脊振村」の合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名がどのようにして決まったのかは分かりませんが、合併された町村は「神埼郡」に属していたことから、これに由来したものなのかもしれません。

「神埼」という地名については逸話に由来し、それによると昔この地の神様は気性が荒く災害に悩まされていたそうです。

そこで景行天皇がこの地を訪れた際鎮めたといわれ、気性は緩くなり神の幸を賜る里になったことから「神幸」というようになりました。

この「神幸」が転じたことによって「神埼」という地名に変化していったといわれています。

  • 読み方→「神埼市(かんざきし)」「神埼町(かんざきまち)」「千代田町(ちよだちょう)」「脊振村(せふりむら)」「景行天皇(けいこうてんのう)」

基山町の由来

1939年(昭和14年)1月1日に、元々あった基山村が町制を施行したことによって、基山町が成立しました。

前身である基山村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に4つの村の区域をもって成立し、このときに村の名称として「基山」と命名されています。

この名称の由来としては、この地にまたがる基山という山にちなんだものとなるそうです。

山である基山の読み方は「きざん」であり、自治体としての「きやま」とは読み方が異っています。

その元となる「基山」については、「霧」が転じたものとする説があるそうですが、諸説あるとのことです。

  • 読み方→「基山町(きやまちょう)」

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