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佐賀県の市町村名の由来【50音順 玄海町~吉野ヶ里町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.8.17)

はじめに

このページは、佐賀県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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佐賀県知識まとめ

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佐賀県の市町村の由来【50音順 有田町~基山町】

玄海町の由来

1956年(昭和31年)9月30日に、「有浦村」と「値賀村」が合併及び町制施行したことによって成立しています。

町名については新たに命名されていますが、どのようにして決まったのかは分かりませんでした。

この名称の由来としては、九州の北西部に広がる「玄界灘」と呼ばれる海域にちなんでいます。

この玄界灘は別名「玄海」と呼ばれているそうで、そのことから町名として採用されたそうです。

ちなみに「玄界灘」の由来は、黒い海と形容されることから、「玄」が黒い、「界」は海域、「灘」は流れが早く航海が難しいことを意味し、これを合わせたものとなっています。

  • 読み方→「玄海町(げんかいちょう)」「有浦村(ありうらむら)」「値賀村(ちがむら)」「玄界灘(げんかいなだ)」

江北町の由来

1952年(昭和27年)4月1日に、元々あった江北村が町制を施行したことによって、江北町が成立しました。

前身である江北村は、1932年(昭和7年)の合併により成立しており、このときに「江北」と命名されています。

「江北」という名称の由来としては、六角川と呼ばれる川にちなんだ名称となっているそうです。

この江北町は、その六角川が流れている場所の北の方角に位置する場所に存在しています。

そのことを踏まえて、「六角川の北側にある村」ということから、「江北」と命名されたようです。

  • 読み方→「江北町(こうほくまち)」「六角川(ろっかくがわ)」

佐賀市の由来

1889年(明治22年)4月1日に、市制が施行されたことによって佐賀市が成立することとなりました。

古くには「佐嘉」という表記であったとされ、この表記から現在の「佐賀」へと変わっています。

さんな「佐賀」の名称の由来としては諸説あるそうですが、一般的には「栄」から転じたとするのがよくみられる説です。

当時の地の中心部に大きく育った楠があり、皇族であるヤマトタケルがそれをみて「栄の国」と呼んだといわれています。

この「栄」が上述したとおり「佐嘉」の名称として「佐嘉郡」が成立し、現在にいたっています。

  • 読み方→「佐賀市(さがし)」「楠(くすのき)」「栄の国(さかのくに)」

白石町の由来

1936年(昭和11年)4月1日に、福地村が町制施行及び改称したことによって、白石町が成立しています。

町制施行するにあたって、何故改称することになったのかなどについては、情報が見つかりませんでした。

また、「白石」という地名の由来について調べてみたものの、こちらも分かっておりません。

地名自体は町名となる以前よりあったようですが、特に推測できそうな要素もありませんでした。

そのため、こちらについてはまた何か情報が分かり次第、改めて追記していこうと思います。

  • 読み方→「白石町(しろいしちょう)」「福地村(ふくちむら)」

多久市の由来

1954年(昭和29年)5月1日に、「多久村」「北多久町」「西多久村」「東多久村」「南多久村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

合併された町村全てに「多久」の名称が入っており、市名はこれを引き継いだ形となっています。

「多久」という地名の由来としては、「高来」と表記されていたのが転じたものとされるようです。

この「高来」にも由来があり、カジノキなどの木の皮の繊維でつくる布のことである「栲」にちなんでいます。

「栲」は「たく」とも読むそうで、ここから上述の通り現在の表記まで転じたものとなっていました。

  • 読み方→「多久市(たくし)」「栲(たえ)」

武雄市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「武雄町」「朝日村」「武内村」「橘村」「東川登村」「西川登村」「若木村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については唯一の町であった「武雄町」から名称が引き継がれており、これは神社である「武雄神社」に由来したものだそうです。

ちなみに、「武雄」という名称の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①この地にある御船山を「岳嶺」と呼んでいたことから、これが転じたことによる地名とする説。

②神社に、「タケオゴコロノミコト」と呼ばれる神様を祀ったことに由来したものとされている説。

  • 読み方→「武雄市(たけおし)」「朝日村(あさひむら)」「武内村(たけうちむら)」「橘村(たちばなむら)」「東川登村(ひがしかわのぼりむら)」「西川登村(にしかわのぼりむら)」「若木村(わかぎむら)」「御船山(みふねやま)」「岳嶺(たけお)」

太良町の由来

1955年(昭和30年)2月11日に、「多良町」と「大浦村」が合併したことによって成立しました。

合併前の町に、「多良」という現在と同じ読み方の町がありますが、これが「太良」となっている理由は不明です。

一応、「多良」という地名としては、当時の天皇である景行天皇に由来するものとしています。

それによると、景行天皇がこの地に訪れた際に、この場所を「豊足ノ村」と名付けたことにちなむそうです。

これが転じたことで「託羅の郷」となり、その後「多良」に表記は変わっていったとしていました。

  • 読み方→「太良町(たらちょう)」「多良町(たらまち)」「大浦村(おおうらむら)」「景行天皇(けいこうてんのう)」「豊足(たらい)」「託羅(たら)」

鳥栖市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「鳥栖町」「田代町」「旭村」「基里村」「麓村」の合併及び市制施行したことによって成立しました。

市名がどのようにして決まったかは分かりませんが、合併前にあった「鳥栖町」の名称が引き継がれています。

「鳥栖」と地名としては、「鳥の栖」ということに由来したものであるとされていました。

当時ここに住んでいた人たちは鳥小屋を作り、様々な種類の鳥を飼い慣らしていたそうです。

その鳥を朝廷に献上していたことから、「鳥屋の郷」や「鳥巣郷」と呼ばれ、これが転じたものとなります。

  • 読み方→「鳥栖市(とすし)」「鳥栖町(とすまち)」「田代町(たしろまち)」「旭村(あさひむら)」「基里村(きざとむら)」「麓村(ふもとむら)」「栖(すみか)」「鳥屋(とりや)」「鳥巣郷(とすごう)」

みやき町の由来

2005年(平成17年)3月1日に、「北茂安町」「中原町」「三根町」が合併したことによって成立しています。

町名については公募が行われており、「三養基町」や「なみき町」などの候補の中から「みやき町」が選ばれました。

「みやき」という名称は、この町が属している「三養基郡」の「三養基」をひらがな表記にしたものです。

ちなみに三養基郡は、1896年(明治29年)に「三根郡」「養父郡」「基肄郡」の区域をもって発足しています。

この3つの郡名をみると分かるとおり、「三養基」の名称はそれぞれの頭文字をとったものです。

  • 読み方→「みやき町(みやきちょう)」「北茂安町(きたしげやすちょう)」「中原町(なかばるちょう)」「三根町(みねちょう)」「三養基郡(みやきぐん)」「養父郡(やぶぐん)」「基肄郡(きいぐん)」

吉野ヶ里町の由来

2006年(平成18年)3月1日に、「三田川町」と「東脊振村」が合併したことによって成立しました。

町名についてはどのようにして決まったのかは分かりませんでしたが、「吉野ヶ里遺跡」に由来した名称となっています。

吉野ヶ里遺跡は、この町と神埼市にまたがっている、国の特別史跡にも指定された遺跡です。

ちなみに「吉野ヶ里」自体は元々地名として存在しており、条里制という区画制度に由来した名称になります。

この条里制により区画ごとに「ヶ里」と地名がつけられ、「吉野」として存在していた地名がこれにより「吉野ヶ里」となったそうです。

  • 読み方→「吉野ヶ里町(よしのがりちょう)」「三田川町(みたがわちょう)」「東脊振村(ひがしせふりそん)」「神埼市(かんざきし)」

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