更新情報:記事内容を更新(2025.3.20)
はじめに
このページは、大阪府内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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羽曳野市の由来
1959年(昭和34年)11月15日に、南大阪町が市制を施行、及び即日改称したことによって、羽曳野市が成立しています。
今回市名が変更されていますが、その理由については情報を見つけることはできませんでした。
「羽曳野」は元々あった地名から取ったものとはなりますが、その由来については諸説ありましたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①ヤマトタケルという古い英雄でもある人物にちなんだもので、亡くなったあと、この地に降り立ち飛び立った様子が「羽を曳くが如く」と伝えられたことに由来する説。
②「は」が端を、「ひき」が長い場所、「の」が野を表し、端が長く伸びた丘陵という意味から転じたとする説。
- 読み方→「羽曳野市(はびきのし)」
阪南市の由来
1991年(平成3年)10月1日に、元々あった阪南町が市制を施行したことによって、阪南市が成立しました。
前身である阪南町は、1972年(昭和47年)の合併の際に成立していますが、このときに新たに命名されたものになります。
名称については公募が行われたそうで、その結果によって「阪南」と決定されたそうです。
名称に関しては、阪南市が位置している場所が「大阪の南部」に位置していることに由来しています。
地域の中核都市として、発展するのにふさわしい名称であるといったことなどが、決定された理由です。
- 読み方→「阪南市(はんなんし)」
東大阪市の由来
1967年(昭和42年)2月1日に、「布施市」「河内市」「枚岡市」が合併したことによって、東大阪市が成立しました。
合併前の市名をみてもらうとわかる通り、今回合併に伴って新たに命名されたものとなっています。
「東大阪」という名称については、文字通り「大阪の東部」に位置していることに由来したものです。
将来的にこの地域が、大きな都市となって発展していくにふさわしい名称であるとして、市名となりました。
ちなみにですが、「東大阪」とは合併される以前より、市民たちによって呼ばれていた愛称だそうです。
- 読み方→「東大阪市(ひがしおおさかし)」「布施市(ふせし)」「河内市(かわちし)」「枚岡市(ひらおかし)」
枚方市の由来
1947年(昭和22年)8月1日に、元々あった枚方町が市制を施行したことによって、枚方市が成立しました。
前身である枚方町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、それ以前より「枚方」の名称はあったようです。
「枚方」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①潟の周囲に平な入江があったということから「平潟」という言葉が転じたものとされている説。
②神武天皇が大阪に上陸した際、「白肩之津」に上陸したことから、これに由来するという説。
- 読み方→「枚方市(ひらかたし)」「神武天皇(じんむてんのう)」「白肩之津(しらかたのつ)」
藤井寺市の由来
1966年(昭和41年)11月1日に、美陵町が市制を施行、及び改称したことによって、藤井寺市が成立しました。
この地域は改称されることが度々あり、村であったときから「藤井寺」となったり、違う名称になったりしていたようです。
今回市制を施行するにあたり、アンケートが行われたそうで、「美陵」が読みづらいなどの理由で、結果として「藤井寺市」で決定されました。
そんな「藤井寺」という名称は、この地域にある「葛井寺」という寺院に由来したものとなっています。
こちらの由来は諸説あるようですが、この土地を授かった人物が「葛井連」と名を改め、本拠地としたことにちなむとされるそうです。
- 読み方→「藤井寺市(ふじいでらし)」「美陵町(みさらぎちょう)」「葛井寺(ふじいでら)」「葛井連(ふじいのむらじ)」
松原市の由来
1955年(昭和30年)に、「松原町」「天美町」「布忍村」「恵我村」「三宅村」が合併、及び市制を施行したことによって、松原市が成立しています。
松原町の元となる松原村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、それ以前より名称自体はありました。
「松原」という名称については、文字通り「松」に由来したもので、反正天皇によって、「丹比柴籬宮」という宮が置かれたそうです。
そのこともあり、松原の地は国の政治や経済、文化の中心地となっていたといわれています。
そして、その宮殿跡を「松生いし丹比の松原」と呼ぶようになり、これに由来して「松原」となりました。
- 読み方→「松原市(まつばらし)」「天美町(あまみちょう)」「布忍村(ぬのせむら)」「三宅村(みやけむら)」「恵我村(えがむら)」「丹比柴籬宮(たじひしばがきのみや)」
岬町の由来
1955年(昭和30年)4月1日に、「深日町」「多奈川町」「淡輪村」「孝子村」が合併したことによって、岬町が成立しました。
合併前の町村名をみてもわかる通り、元々「岬」の名称はないことから、新たに命名されたものであるようです。
しかし、どのようにして町名が決定されたのかについては、情報を見つけることができませんでした。
また、同様に「岬」の名称の由来についても分からず、なにか分かり次第改めて追記をしていこうと思います。
憶測とはなってしまいますが、岬町は大阪府の南西の端に位置していることから、単純に「岬にある町」が由来とも考えられそうです。
- 読み方→「岬町(みさきちょう)」「深日町(ふけちょう)」「多奈川町(たながわちょう)」「淡輪村(たんのわむら)」「孝子村(きょうしむら)」
箕面市の由来
1956年(昭和31年)12月1日に、箕面町が「豊川村」を編入、及び市制を施行したことによって、箕面市が成立しました。
元となる箕面村は1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、古くより地名はあったようです。
「箕面」という地名については、この地域にある「箕面大滝」に由来したものといわれています。
この滝に関しては、水の落ちる姿にちなんで命名されたもので、その姿は「箕」という農具に似ていたそうです。
そのことから「箕」の「表面」に似ているこということで、「箕面」と呼ばれるようになりました。
- 読み方→「箕面市(みのおし)」「豊川村(とよかわむら)」「箕(みの)」
守口市の由来
1946年(昭和21年)11月1日に、「守口町」と「三郷町」が合併、及び市制を施行したことによって、守口市が成立しています。
前身である守口町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、それ以前より名称はありました。
「守口」という地名の由来としては諸説あるとのことで、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①豊臣秀吉によって大阪城が築城される際に伴い「まもり口」が転じて「守口」となったとする説。
②元々原生林の入り口を指す「森口」と表記されていたのが、大阪城との関係で軍事的な意味合いをもつ「守口」になったとされる説。
- 読み方→「守口市(もりぐちし)」「三郷町(さんごうちょう)」
八尾市の由来
1948年(昭和23年)4月1日に、「八尾町」「龍華町」「久宝寺村」「大正村」「西郡村」が合併、及び市制を施行したことによって、八尾市が成立しました。
「八尾」という地名は古くからあり、その由来については諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介していこうと思います。
②尾羽が八枚ある美しいウグイスがいて、止まっていた木のことを「八尾木」と呼んだことに由来するという説。
②この地では矢や弓の生産が盛んで、矢をよく背負っていたことから「矢負い」が転じたとする説。
③川の反乱を防ぐために、たくさんの杭を打ったことから「八百」が転じたとされている説。
- 読み方→「八尾市(やおし)」「龍華町(りゅうげまち)」「久宝寺村(きゅうほうじむら)」「大正村(たいしょうむら)」「西郡村(にしごおりむら)」「八百(やお)」
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