更新情報:記事内容を更新(2025.3.18)
はじめに
このページは、大阪府内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
大阪府の由来についてはこちら
他の市町村についてはこちら
池田市の由来
1939年(昭和14年)4月29日に、元々あった池田町が市制を施行したことによって、池田市が成立しました。
前身である池田町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より地名としてあったようです。
そんな「池田」という名称の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①市内では最古の現存する神社といわれる、「伊居太神社」に由来し、これが転じて「池田」となった説。
②南北朝時代に勢力を誇ったとされる、池田氏にちなんで「池田」という地名になったとする説。
- 読み方→「池田市(いけだし)」「伊居太神社(いけだじんじゃ)」
和泉市の由来
1956年(昭和31年)9月1日に、「和泉町」「北池田村」「南池田村」「北松尾村」「南松尾村」「横山村」「南横山村」が合併、及び市制を施行したことによって、和泉市が成立しました。
前身である和泉町は、1933年(昭和8年)の合併により成立し、そのとき「和泉」と命名されていますが、以前より名称自体はあったようです。
「和泉」という地名としては「泉井上神社」の境内にある「和泉清水」に由来したものとされます。
古くから清水が多く湧き出たことにちなんだもので、元々は「泉」と漢字一文字だったそうです。
これは表記を二文字にするという決まりが発令されたことで、良い意味の文字である「和」をつけて「和泉」になりました。
- 読み方→「和泉市(いずみし)」「北池田村(きたいけだむら)」「南池田村(みなみいけだむら)」「北松尾村(きたまつおむら)」「南松尾村(みなみまつおむら)」「横山村(よこやまむら)」「南横山村(みやみよこやまむら)」「泉井上神社(いずみいのうえじんじゃ)」
泉大津市の由来
1942年(昭和17年)4月1日に、元々あった大津町が市制を施行したことによって、泉大津市が成立しました。
町名をみてもらうとわかる通り、市になるにあたって「泉」の字がつけて「泉大津」となっています。
これは既に滋賀県に大津市があったことから、かつての呼び名である和泉国の「泉」の字を取ってきたそうです。
「大津」の由来については、かつて海に面していた地域であったことにちなんだものになります。
前述した和泉国において国府の外港、つまり「国津」であったそうで、そのことから「大津」となりました。
- 読み方→「泉大津市(いずみおおつし)」「和泉国(いずみのくに)」
泉佐野市の由来
1948年(昭和23年)に4月1日、元々あった佐野町が市制を施行したことによって、泉佐野市が成立しました。
ちなみに、市制を施行した際は一旦「佐野市」となり、これを改称したことで「泉佐野市」となっています。
理由としては、栃木県に既に佐野市があったからで、「泉州地域」と呼ばれることに由来して「泉」の字を取ったそうです。
そして「佐野」という名称の由来ですが、これは「狭野」という言葉が転じたものといわれています。
「狭野」とは字が表している通り、狭い野原を指しており、地形からできた地名であるといえそうです。
- 読み方→「泉佐野市(いずみさのし)」「泉州(せんしゅう)」
茨木市の由来
1948年(昭和23年)1月1日に、「茨木町」「春日村」「三島村」「玉櫛村」が合併、及び市制を施行したことによって、茨木市が成立しました。
「茨木」という地名は古くからあり、その由来については諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①この地域の権力者であった「茨木氏」に由来して、そのまま地名となったとされている説。
②文字が表している通り、イバラの木が多かった場所であったことに由来して「茨木」となったとする説。
③茨を切り取って「荊切の里」を作ったことから、これが転じて「茨木」のなったとしている説。
- 読み方→「茨木市(いばらきし)」「春日村(かすがむら)」「三島村(みしまむら)」「玉櫛村(たまくしむら)」
大阪狭山市の由来
1987年(昭和62年)10月1日に、元々あった狭山町が市制を施行したことによって、大阪狭山市が成立しました。
一度市になるにあたって「狭山市」となっていますが、即日「大阪狭山市」と改称しています。
これは、埼玉県に狭山市があることから、同じ市名はつけられないとのことで、改称に至ったそうです。
「大阪」はそのまま大阪府に由来したものと考えられますが、「狭山」は地形に由来したものになります。
東に羽曳野丘陵、西に河泉丘陵があり、丘陵に挟まれた地形であることから、「狭山」となりました。
読み方→「大阪狭山市(おおさかさやまし)」「羽曳野丘陵(はびきのきゅりょう)」「河泉丘陵(かせんきゅうりょう)」
大阪市の由来
1889年(明治22年)に、市制が施行されたことによって、4つの区域をもって大阪市が成立しました。
「大阪」という名称については、字の通り「大きな坂」があったことに由来すると一説ではいわれています。
しかし、古くには「小坂」という表記もあったことから、単純に「坂」があったことに由来するともされるようです。
ちなみに「小坂」という表記よりも、大きいほうがいいといった理由で、大坂になったする話もありました。
「坂」が「阪」になった理由も諸説りますが、一般的には「坂」の字が「士が反する」と捉えられることから変更されたとしています。
- 読み方→「大阪市(おおさかし)」
貝塚市の由来
1943年(昭和18年)5月1日に、元々あった貝塚町が市制を施行したことによって、貝塚市が成立しています。
前身である貝塚町は1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はありました。
「貝塚」という名称の由来に関しては、現在不明な点も多く、よく分かっていないとされています。
貝塚と呼ばれる歴史的な場所があれば、それが由来といえるそうですが、現在に至るまで見つかっていません。
ちなみに、元々は「海塚」と表記されていたそうで、これが転じて「貝塚」となったことは分かっているようです。
- 読み方→「貝塚市(かいづかし)」
柏原市の由来
1958年(昭和33年)に、元々あった柏原町が市制を施行したことによって、柏原市が成立しました。
1889年(明治22年)の町村制施行時に、元となる「柏原村」が成立していますが、地名自体は古くからあります。
「柏原」という名称の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①この地域にあった「片足羽川」と呼ばれる川に由来し、これが転じて「カシワラ」となったとする説。
②字の表記から、柏の木がたくさん生い茂っていた場所であったことに由来しているとされる説。
- 読み方→「柏原市(かしわらし)」「片足羽川(かたしわがわ)」
交野市の由来
1971年(昭和46年)11月3日に、元々あった交野町が市制を施行したことによって、交野市が成立しました。
元となる交野村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立しており、「交野郡」の区域からできたことから、これは郡名に由来したものと考えられそうです。
「交野」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①「人が行き交う野」といったことから、いつしか「交野」と呼ばれるようになったとする説。
②片側が野原だった地形であったことから「片野」が転じて「交野」となったとしている説。
- 読み方→「交野市(かたのし)」
門真市の由来
1963年(昭和38年)8月1日に、元々あった門真町が市制を施行したことによって、門真市が成立しました。
「門真」の名称は古くからあり、その由来としてな諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①「潟沼」という言葉から転じたものとされる説であるが、どのような意味があったのかは不明。
②寺や神社などの、門前にある土地を指す「門間」から転じて「門真」となったとされている説。
③同じく「門間」が由来とされるが、意味としては生産性の低いなどの理由で、徴収などが免除された田である説。
- 読み方→「門真市(かどまし)」「潟沼(かたぬま)」
コメント