更新情報:タイトルを変更(2023.8.2)
はじめに
このページは沖縄県の市町村の名称の由来をまとめたページになります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いため、複数の記事に分けています。(このページでは竹富町~那覇市まで)
沖縄県の由来についてはこちら
他の市町村についてはこちら
参考にしているページとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあること、ご了承ください。
竹富町の由来
1948年(昭和23年)に、竹富村が町制施行したことによって成立しました。
この村を構成している島の一つに、竹富島があります。
当時は役場も置かれていたことから、島の名称を取ったと思われます。
島の名称でもある竹富の由来ですが、「他金殿」からきているとされています。
この人物は最初に島に渡来してきて、村を開いた人物とされています。
補足
- 読み方→「竹富島(たけとみじま)」「他金殿(たきどぅん)※情報によって少し異なる」
多良間村の由来
1913年(大正2年)に、多良間村が成立しました。
村を構成している島の一つに多良間島があります。
このことから、村の名称も島名から取っていると思われます。
多良間という名称の由来は情報が見つかりませんでした。
また詳しく分かり次第、追記していこうと思います。
補足
- 読み方→「多良間島(たらまじま)」
北谷町の由来
1980年(昭和55年)に、北谷村が町制施行したことによって成立しました。
北谷の表記の由来に関しては分かりませんでした。
読み方が特徴的な町ですが、方言に関連しているようです。
変化していった読み方は情報により異なる部分はありますが、「たん」は鹿児島の方言で谷を表すとされています。
そこに沖縄の方言も混じり、「きたたん」から「きちゃたん」といったように徐々に転じていったといわれています。
渡嘉敷村の由来
成立した年は曖昧な部分もありますが、1908年(明治41年)に渡嘉敷村が生まれたと思われます。
そして、この村を構成している島には渡嘉敷島があります。
村の名称もこのことに関連していると考えられます。
渡嘉敷の由来としては「とかしち」から転じたとする説があります。
傾斜地や崖といった意味合いがあるそうです。
補足
- 読み方→「渡嘉敷島(とかしきじま)」
渡名喜村の由来
1908年(明治41年)に、渡名喜村が成立しました。
この村にも構成する島に同じ名称の島があります。
よって、渡名喜村も島名に関連していると思われます。
名称の由来としては「戸無」から転じたとする説があります。
これは昔は泥棒がおらず、家では戸を開けっ放しにしていることにちなむそうです。
補足
- 読み方→「戸無(となし)」
豊見城市の由来
2002年(平成14年)に、豊見城村が市制施行したことによって成立しました。
豊見城の由来としては文字にある通り、城にちなんだものになっています。
沖縄では城のことを「グスク」と呼んでいます。
それを踏まえ城を築いた際、名高いなどの意味を込めて「とよみ城」と呼んだそうです。
ここから転じて豊見城の名称ができたとされます。
中城村の由来
1908年(明治41年)に、中城村が成立しました。
村名はかつての行政区画である間切りの名称から取ったものになります。
中城の名称の由来については分かりませんでした。
憶測にはなりますが、字から察するに城に関連しているかもしれません。
こちらについては詳しく分かり次第、追記していこうと思います。
今帰仁村の由来
1908年(明治41年)に、今帰仁村が成立しました。
今帰仁は古くからある地名で、由来については詳細は不明です。
元々は「イマキジリ」という言葉が転じたとする情報がありました。
情報によって表現は異なるものの、この島に侵入者が来たことから、「イマキ」は新しく来た人「ジリ」は統治を指すとされます。
このことから「イマキジン」に変化し、現在の名称になったといわれています。
名護市の由来
1970年(昭和45年)に、名護町を含む合併及び市制施行によって成立しました。
名護の名称は「凪」からきているとされています。
凪というのは風がなく、穏やかな波であることを意味します。
これは沖縄にある名護湾のことを指しているようです。
凪という言葉が転じて現在の名称となりました。
補足
- 読み方→「名護町(なごちょう)」「凪(なぎ)」
那覇市の由来
1921年(大正10年)に、那覇市が成立しました。
那覇の由来としては諸説あるとされています。
よく見られる説としては、「なば」から転じたとする説です。
この「なば」というのは漁場を表す言葉だそうです。
情報によって表記が異なり、「なふぁ」といったのもありました。
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