更新情報:記事内容を更新(2025.3.16)
はじめに
このページは、大分県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
大分県の由来についてはこちら
他の市町村についてはこちら
津久見市の由来
1951年(昭和26年)4月1日に、「津久見町」「日代村」「四浦村」「保戸島村」が合併、及び市制を施行したことによって、津久見市が成立しました。
市名の由来は情報が見つかりませんでしたが、唯一の町であった津久見町から名称を引き継いだものと考えられそうです。
「津久見」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①高くなったところを意味する「ツク」と、それに接尾語である「ミ」をつけて「ツクミ」となった説。
②「津」「曲」「海」で合わせて「つくみ」と読み、曲がりくねった入江にある海岸といった意味からきている説。
- 読み方→「津久見市(つくみし)」「日代村(ひじろむら)」「四浦村(ようらむら)」「保戸島村(ほとじまむら)」
中津市の由来
1929年(昭和4年)4月20日に、元々あった中津町が市制を施行したことによって、中津市が成立しました。
前身である中津町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称はあったようです。
「中津」という名称の由来についてですが、これといった情報を見つけることができませんでした。
「津」という表記だけでみると、他の地域をみても港を表すことが多いので、何かしら関連があるのかもしれません。
とはいえ、憶測になってしまいますので、また何か新しい情報が見つかり次第、追記をしていこうと思います。
- 読み方→「中津市(なかつし)」
日出町の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことにより、日出村の区域をもって日出町が成立しました。
このことからわかる通り、「日出」という名称は、古くから存在している地名となっているようです。
しかし、その由来についての情報はあまり見つからず、定説といったものもないかと思われます。
一応見つけた説としては、「ひじ」という泥地や湿地を指した言葉が由来とされていました。
他の説なども含めて、また何か新しい情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていきます。
- 読み方→「日出町(ひじまち)」
日田市の由来
1940年(昭和15年)12月11日に、「日田町」「三芳村」「高瀬村」「光岡村」「朝日村」「三花村」「西有田村」が合併、及び市制を施行したことによって、日田市が成立しました。
市名について情報がありませんでしたが、おそらく唯一の町である「日田町」から名称を引き継いだものと推測できそうです。
「日田」という地名については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①「久津媛」という日田市にある會所神社に祀られている女神が、人となって姿を表した話から、この「久津媛」が訛って「ヒタ」となったと説。
②大きな湖に大きな鷹が飛んでくると、地震や暗くなるなどの現象が起き、その後3つの丘が現れたという話から、その場所を「日鷹」と呼んで、それが転じたとする説。
- 読み方→「日田市(ひたし)」「三芳村(みよしむら)」「高瀬村(たかせむら)」「光岡村(てるおかむら)」「朝日村(あさひむら)」「三花村(みはなむら)」「西有田村(にしありたむら)」「久津媛(ひさつひめ)」
姫島村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、姫島村が成立することとなりました。
元々姫島の区域だった場所が姫島村になったということから、以前より名称としてあったようです。
「姫島」という名称の由来については、「比売語曽」の話から転じたものとされています。
その話によると、王子との結婚を逃れるためにお姫様がこの島に上陸したといわれているそうです。
そして、このお姫様が先ほどの「比売語曽」と呼ばれる神となり、姫島の由来となりました。
- 読み方→「姫島村(ひめしまむら)」「比売語曽(ひめこそ)」
豊後大野市の由来
2005年(平成17年)3月31日に、「大野町」「三重町」「清川村」「緒方町」「朝地町」「千歳村」「犬飼町」が合併、及び市制を施行したことによって、豊後大野市が成立しました。
市名については公募が行われたとのことで、その中から最終的に2つの候補から決定されたそうです。
名称の由来ですが、「大野」は合併前の町村が属していた「大野郡」からとってきたものとなります。
そして「豊後」とはかつて大分県の地域が「豊後国」と呼ばれていたことに由来したものです。
ちなみに「大野」は、広大な原野であったことに、「豊後」は元々あった「豊国」が「豊前」と分かれたことに由来しています。
- 読み方→「豊後大野市(ぶんごおおのし)」「大野町(おおのまち)」「三重町(みえまち)」「緒方町(おがたまち)」「朝地町(あさじまち)」「清川村(きよかわむら)」「千歳村(ちとせむら)」「犬飼町(いぬかいまち)」「豊後国(ぶんごのくに)」「豊国(とよのくに)」「豊前(ぶぜん)」
豊後高田市の由来
1954年(昭和29年)5月31日に、豊後高田町が「田染村」を編入し、同時に市制施行したことによって、豊後高田市が成立しました。
前身である豊後高田町は、元々「高田町」という名称でしたが、同じ年の5月10日に改称したようです。
しかし、改称に至った経緯や、「高田」の名称の由来については、情報を見つけることができませんでした。
一応「豊後」とはかつて大分県が「豊後国」と呼ばれていたことに由来した名称と考えられそうです。
このあたりについては、また何か新しい情報を見つけ次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「豊後高田市(ぶんごたかだし)」「田染村(たしぶむら)」「豊後国(ぶんごのくに)」
別府市の由来
1924年(大正13年)4月1日に、元々あった別府町が市制を施行したことによって、別府市が成立しています。
1889年(明治22年)に町村制が施行され、そのときに別府村が成立していますが、名称自体は以前よりありました。
「別府」という地名の由来は諸説あるという情報もありましたが、その中で良く見かけるものを紹介します。
荘園と呼ばれる土地に関する制度があり、国から認められるためには許可証が必要であったそうです。
元々認められていた土地に追加で許可をもらう場合、「別符」というのが必要であり、これが転じて「別府」となりました。
- 読み方→「別府市(べっぷし)
由布市の由来
2005年(平成17年)10月1日に、「狭間町」「庄内町」「湯布院町」が合併、及び市制を施行したことによって、由布市が成立しました。
市名については公募が行われたそうで、その中で一番多くの表を集めたことで決定されたようです。
合併前の町には「由布」という名称はありませんが、この地域では「由布」の名称は元々使われてきました。
例として挙げると「由布院温泉」や「由布川」などがあり、そういった背景もあって多く選ばれたのかもしれません。
ちなみに「由布」の名称としては「ゆう」と呼ばれる木綿に由来して転じていったものとされます。
- 読み方→「由布市(ゆふし)」「狭間町(はさままち)」「庄内町(しょうないちょう)」「湯布院町(ゆふいんちょう)」
コメント