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新潟県の市町村名の由来【50音順 燕市~湯沢町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.11.20)

はじめに

このページは、新潟県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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燕市の由来

1954年(昭和29年)3月31日に、「燕町」「小池村」「小中川村」「松長村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

町名については、合併された町村の中で唯一の町である、燕町から名称を引き継いだ形となっているようです。

「燕」という地名の由来については、古くに「津波目」と表記されていたのが転じたものとされています。

「津波目」に関しては、それぞれの字に意味があるとされ、「津」は港を、「波」は波頭、「目」は中心地を指すそうです。

この地域は水運における中継の場所として栄えたとされ、正に港の中心地であったことからついた名称になります。

  • 読み方→「燕市(つばめし)」「燕町(つばめまち)」「小池村(こいけむら)」「小中川村(こなかがわむら)」「松長村(まつながむら)」

十日町市の由来

1954年(昭和29年)3月31日に、「十日町」「川治村」「中条村」「六箇村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、合併された町村にある十日町から、名称を引き継いだ形となっているようです。

「十日町」という地名の由来については、古くに市が開かれていたことに関連したものとなります。

市が開いていたのは毎月十日となっており、これがそのまま「十日町」の名称となったようです。

ちなみに、市制施行するにあたり、新しい名称を考えることも検討されたそうですが、十日町という名称に一番親しみがあったことから、新市名はなくなりました。

  • 読み方→「十日町市(とおかまちし)」「十日町(とおかまち)」「川治村(かわじむら)」「中条村(なかじょうむら)」「六箇村(ろっかむら)」

長岡市の由来

1906年(明治39年)4月1日に、元々あった長岡町が市制を施行したことによって、長岡市が成立しました。

「長岡」という名称は古くから存在しており、1889年(明治22年)の町村制施行以前よりあった地名です。

そんな「長岡」の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①「長岡」の文字が表している通り、この場所に長い丘があったことに由来した地名であるという説。

②詳しくは不明だが、長岡という武将にちなんで、地名として定着していったとされている説。

  • 読み方→「長岡市(ながおかし)」

新潟市の由来

1889年(明治22年)4月1日に、市制が施行されたことによって、新潟市が成立することとなりました。

市制が施行される以前には、新潟区として存在していたなど、古くからある地名となっているようです。

「新潟」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①信濃川と阿賀野川の河口に中洲にできた湾を潟と呼んでいたとされ、このことから「新しい潟」として「新潟」となった説。

②他所の集落の人々がこちらに移り住んだことで「新方」と呼ばれ、これが転じたとされている説。

  • 読み方→「新潟市(にいがたし)」

見附市の由来

1954年(昭和29年)3月31日に、「見附町」「上北谷村」「葛巻村」「新潟村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、合併された町村の中で唯一の町である見附町から名称を引き継いだ形となっているようです。

「見附」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①この地域は大きな水害が何度も起こっていて、それに悩まされてきたことから、水に漬かる土地ということで「水漬け」が転じた説。

②見張りをする番人がいたとされ、これを「見附」と呼んでいたことに由来するとされる説。

  • 読み方→「見附市(みつけし)」「上北谷村(かみきただにむら)」「葛巻村(くずまきむら)」「新潟村(にいがたむら)」

南魚沼市の由来

2004年(平成16年)11月1日に、「六日町」と「大和町」が合併したことによって成立しています。

市の名称については公募が行われ、結果合併前の二つの町が「南魚沼郡」に属していることなどを理由に選ばれました。

「南魚沼」という名称に関しては、1879年(明治12年)に「魚沼郡」が分かれたことが始まりとなっています。

このとき「北魚沼郡」「中魚沼郡」「南魚沼郡」が成立しており、地名として定着することとなりました。

ちなみに、「魚沼」自体の名称については、借り小屋の「イホノ」があったことから、これが転じたとする説など諸説あります。

  • 読み方→「南魚沼市(みなみうおぬまし)」「六日町(むいかまち)」「大和町(やまとまち)」

妙高市の由来

2005年(平成17年)4月1日に、新井市が「妙高高原町」と「妙高村」を合併、及び改称したことによって成立しました。

市名については、「妙高」の地名が自然をイメージしやすく、知名度もあることからとしています。

この「妙高」という地名に関しては、妙高山という山の名称が地名として定着したとされていました。

この山は、古くには「越の中山」と呼ばれていたそうで、これが「名香山」と字を当てられたそうです。

その後、「みょうこう」と読まれることになり、現在の「妙高」の字へと変化していったとされています。

  • 読み方→「妙高市(みょうこうし)」「妙高高原町(みょうこうこうげんまち)」「妙高村(みょうこうむら)」「妙高山(みょうこうさん)」

村上市の由来

1954年(昭和29年)3月31日に、「岩船町」「瀬波町」「村上町」「上海府村」「山辺里村」が合併、及び市制したことによって成立しました。

市名については、合併前の町村にある村上町から名称を引き継いだ形となりますが、理由は分かりません。

また、「村上」という地名の由来についても、調べてみたもののあまり情報は見つかりませんでした。

一応、地名としては古くからはあり、村上頼勝と呼ばれる武将によって誕生した「村上藩」に由来するという情報もあるようです。

こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「村上市(むらかみし)」「岩船町(いわふねまち)」「瀬波町(せなみまち)」「村上町(むらかみまち)」「上海府村(かみかいふむら)」「山辺里村(さべりむら)」「村上頼勝(むらかみよりかつ)」

弥彦村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、弥彦村が成立することとなりました。

このとき合併が行われていましたが、その合併された村に弥彦村の名称があったことから、古くからある地名となっているようです。

「弥彦」という名称についてはらこの地域に存在している「彌彦神社」に由来するといわれています。

しかし、「弥彦」自体の由来については、これといった情報を見つけることができませんでした。

こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「弥彦村(やひこむら)」

湯沢町の由来

1955年(昭和30年)3月31日に、「湯沢村」「神立村」「土樽村」「三国村」「三俣村」が合併及び町制施行したことによって成立しました。

町名が決まった経緯は分かりませんでしたが、合併前の村にある湯沢村から名称を引き継いだ形となっているようです。

「湯沢」という地名の由来については、この地域で温泉が湧出されたことにちなんだものとなります。

平安時代での出来事であったそうで、そこから湯沢という地名が生まれ、定着していくこととなりました。

余談とはなりますが、秋田県にも湯沢市があることから、新潟の場合は「越後湯沢」の名称で区別することもあります。

  • 読み方→「湯沢町(ゆざわまち)」「湯沢村(ゆざわむら)」「神立村(かんだつむら)」「土樽村(つちたるむら)」「三国村(みくにむら)」「三俣村(みつまたむら)」

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