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奈良県の市町村名の由来【50音順 桜井市~十津川村】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:タイトルを変更(2023.8.12)

はじめに

このページは奈良県の市町村の名称の由来をまとめたページになります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いため、複数の記事に分けています。(このページでは桜井市~十津川村まで)

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奈良県知識まとめ

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参考にしているページとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあること、ご了承ください。

桜井市の由来

1956年(昭和31年)に、「桜井町」「香久山村」「大福村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

1889年(明治22年)の町村制施行時に桜井村はでき、そこから引き継がれている名称になりますが、それ以前より桜井という名称はあったとされます。

桜井の地名の由来は「桜の井」と呼ばれていた井戸からできたとされているようです。

「桜の井」と呼ばれるようになった理由については情報を見つけることが出来ませんでした。

桜井の由来についてはまた情報が分かり次第、追記していこうと思います。

  • 読み方→「香久山村(かぐやまむら)」「大福村(だいふくむら)」

三郷町の由来

1966年(昭和41年)に、三郷村が町制を施行したことによって成立しました。

前身である三郷村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立しています。

そして三郷村は「勢野村」「立野村」「南畑村」の区域をもって誕生した村です。

三つの村からできていることから「三郷」という名称ができたとされています。

ちなみに当初は読み方が違い、「みさと」と呼ばれていたとする情報がありました。

下市町の由来

1890年(明治23年)に、下市村が町制を施行したことによって成立しました。

下市村は町村制施行の際に成立した村ですが以前より下市の名称はあったとされます。

下市の由来については、平安時代の頃より市が開かれていたことにちなむようです。

「下市」というのは「上市」対する呼び名とされ、交易も盛んに行われたとされています。

そしてこの辺りの地域の中心にもなったとされ、村の名称にまでなりました。

下北山村の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって下北山村が成立しました。

この地域は古くには「北山郷」と呼ばれており、その中でも「上組」と「下組」に分かれていたそうです。

そして当時は「紀伊国」と呼ばれていた場所があり、この地域はその北部に位置していました。

北山という名称の由来については、北部にある山里ということから付いたそうです。

かつ、北山郷の中でも「下組」に属していたことから下北山村となりました。

  • 読み方→「紀伊国(きいのくに)」

曽爾村の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって曽爾村が成立しました。

曽爾村は名称に関する情報が見つからず、由来については分かりませんでした。

曽爾谷や曽爾川があったことからここから村の名称になったかもしれませんが、不明な部分もありました。

「ソニ」自体は古くより表記は違いますが存在はしていたとされています。

こちらについてはまた情報が詳しく分かり次第、追記していこうと思います。

高取町の由来

1891年(明治24年)に、高取村が町制を施行したことによって成立しました。

高取の地名については古くからあり、元々は山の名称であったとされています。

高取山に築かれた城が高取城と呼ばれ、藩の名称にもなったことで広く知られるようになったそうです。

高取山の由来については情報があまり見つかりませんでしたが、古くには「鷹鞭山」と呼ばれていたそうです。

「鞭」とは神を指す言葉らしく、鷹の神がいたことから付けられた名称とされており、この鷹鞭山が転じたもしくは鷹を捕らえていた山だったことに由来するとされています。

  • 読み方→「高取山(たかとりやま)」「鷹鞭山(たかむちやま)」

田原本町の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって田原本町が成立しました。

田原本の由来についてはいくつかの説がありましたが、古くには「俵本」と表記されたそうです。

ここから現在の表記に転じたとされますが、元々は「多米連」がすんでいたことから「ためらもと」としたのが始まりとする説があります。

連とはヤマト政権下において高位の豪族に送られる称号とされています。

また、他の説として「タワ」が低地を表し、「モト」が場所を表した言葉とする説もあるようです。

  • 読み方→「多米連(ためのむらじ)」

天川村の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって天川村が成立しました。

天川の名称の由来については、「天河大辨財天社」と呼ばれる神社にちなんだものとされています。

古くには皇子が戦いの際に琴を演奏していると、天女が勝利の祝福を示したといわれています。。

その後戦いに勝利した皇子は天女のために神殿を造ったとされています。

その神殿を「天の安河の宮」とし、これが天川村の由来になり「天河大辨財天社」の始まりともされているようです。

  • 読み方→「天河大辨財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)」

天理市の由来

1954年(昭和29年)に、「櫟本町」「丹波市町」「柳本町」「朝和村」「二階堂村」「福住村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

天理市の名称については「天理教」と呼ばれる宗教に由来したものとなっています。

このことから分かる通り、ここは宗教都市として知られているようです。

この地には天理教の本部があり、中心部には天理教に関連した施設も多くあるようです。

天理教から名称をとったのは宗教の町として知られていることから市名としたとしています。

  • 読み方→「櫟本町(いちのもとちょう)」「丹波市町(たんばいちちょう)」「柳本町(やなきもとちょう)」「朝和村(あさわむら)」「二階堂村(にかいどうむら)」「福住村(ふくすみむら)」

十津川村の由来

1890年(明治23年)に、「北十津川村」「十津川花園村」「東十津川村」「中十津川村」「西十津川村」「南十津川村」が合併したことによって成立しました。

十津川の名称は古くには「遠津川」と表記で登場していたとされています。

この名称は字が表す通りら港から遠いという意味で名づけられたそうです。

ここから現在の表記になったとされますが、詳細についての情報は見つかりませんでした。

また何か情報が分かり次第、十津川の由来について追記していこうと思います。

  • 読み方→「北十津川村(きたとつかわむら)」「十津川花園村(とつかわはなぞのむら)」「東十津川村(ひがしとつかわむら)」「中十津川村(なかとつかわむら)」「西十津川村(にしとつかわむら)」「南十津川村(みなみとつかわむら)」

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