スポンサーリンク

奈良県の市町村名の由来【50音順 葛城市~御所市】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.11.16)

はじめに

このページは、奈良県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

奈良県の由来についてはこちら

奈良県知識まとめ

他の市町村についてはこちら

奈良県の市町村の由来【50音順 明日香村~橿原市】

奈良県の市町村の由来【50音順 桜井市~十津川村】

奈良県の市町村の由来【50音順 奈良市~吉野町】

葛城市の由来

2004年(平成16年)10月1日に、「新庄町」と「當麻町」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については公募が行われており、そこから選定、アンケートを実施して決定がされています。

ちなみに、その他に選定されていた市名としては、「白鳳市」や「かつらぎ市」といったものがあったそうです。

葛城市の名称に関しては、2つの町が「北葛城郡」に属している場所であったことに由来しています。

そして、元となる「葛城」という地名は、この地を領有していたとされる葛城氏からとったものです。

  • 読み方→「葛城市(かつらぎし)」「新庄町(しんじょうちょう)」「當麻町(たいまちょう)」

上北山村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行された際、4つの村による合併が行われたことで上北山村が成立しました。

村名は今回新たに命名されたものであり、これは町村制施行以前には合併された村が「北山郷上組」と称していたことに由来しています。

そして、この「北山郷上組」という名称自体の由来についてですが、位置している場所にちなんだ名称だそうです。

かつての地方行政区分で、紀伊国と呼ばれた場所の牟婁郡に属しており、その中で北部にある山里であったことから「北山郷上組」となりました。

余談とはなりますが、同様の由来で「北山郷下組」という場所もあり、そこは下北山村として県内に現存しています。

  • 読み方→「上北山村(かみきたやまむら)」「紀伊国(きいのくに)」「牟婁郡(むろぐん)」

河合町の由来

1971年(昭和46年)12月1日に、元々あった河合村が町制を施行したことによって、河合町が成立しました。

前身である河合村については、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立し、このときに「河合」と命名されたようです。

村名をどのようにして決めたのかは分かりませんでしたが、「河合」とは川に由来した名称とされています。

奈良県には大和川と呼ばれる大きな川があり、そこに飛鳥川をはじめとする様々な川が合流しているそうです。

そして、この場所がその合流する地点にあることに由来して、「河合」と命名されることとなりました。

  • 読み方→「河合町(かわいちょう)」「大和川(やまとがわ)」「飛鳥川(あすかがわ)」

川上村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、川上村が成立することとなりました。

このとき、多くの村が合併されることとなりましたが、その中に川上村はないことから、このときに命名されたものであるようです。

ただし、古くには川上郷という場所があったとされており、地名自体は以前より存在したものとなっています。

村名はそんな「川上」の地名をとったものと思われますが、その由来についてはいくつかの情報がありました。

それによると、川の上流にあったからということ、もしくは川のほとりにあったことに由来するとしていましたが、いずれにせよ川にちなんだ名称と考えられます。

  • 読み方→「川上村(かわかみむら)」

川西町の由来

1975年(昭和50年)4月1日に、元々あった川西村が町制を施行したことによって、川西町が成立しました。

前身である川西村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立しており、このときに村名として新たに命名されています。

「川西」という名称の由来についてですが、寺川と呼ばれる河川にちなんだものとされていました。

この寺川からみて、西側にある地域を「川西」、東側にある地域を「川東」とよんでいたそうです。

そして、この地域にはその西側に位置する場所にあるため、「川西」と命名されるに至ったとしています。

  • 読み方→「川西町(かわにしちょう)」

上牧町の由来

1972年(昭和47年)12月1日に、元々あった上牧村が町制を施行したことによって、上牧町が成立しました。

前身である上牧村は、1889年(昭和22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「上牧」という地名の由来については、かつてこの地域に牧場があったことに由来するとされています。

当時、この地一帯は緩やかな丘陵地帯であったそうで、放牧に適した場所となっていたようです。

この牧場において、上の地域を「上牧」、下の地域を「下牧」と呼んだことが始まりとしています。

  • 読み方→「上牧町(かんまきちょう)」

黒滝村の由来

1912年(明治45年)7月1日に、元々あった南芳野村が分立したことによって、黒滝村が成立しました。

古くには黒滝郷として存在したとされ、合併により南芳野村となりましたが、再び黒滝村として復活した形となります。

「黒滝」という地名の由来について調べてみましたが、こちらはあまり情報を見つけることができませんでした。

一応、村には山が広がっており、そこから流れている清水に由来するそうですが、詳細は不明です。

こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「黒滝村(くろたきむら)」「南芳野村(みなみよしのむら)」

広陵町の由来

1955年(昭和30年)4月15日に、「馬見町」「百済村」「瀬南村」が合併したことによって成立しました。

町名は新たに命名されたものとなりますが、元々「広陵中学校」という学校名で使用されていた名称です。

この広陵中学校が、合併前の3つの村に関わりがあることから、広陵町となったと考えられます。

「広陵」自体の由来ですが、まずこの地域が当時存在していた「広瀬郡」に属していたことにちなんで、「広」の字が用いられたようです。

そして「陵」の字は、この地が馬見丘陵地帯と呼ばれる場所であることに由来し、合わせて「広陵」となりました。

  • 読み方→「広陵町(こうりょうちょう)」「馬見町(うまみちょう)」「百済村(くだらそん)」「瀬波村(せなみむら)」「広瀬郡(ひろせぐん)」「北葛城郡(きたかつらぎぐん)」

五條市の由来

1957年(昭和32年)に、「五條町」「野原町」「宇智村」「大阿太村」「阪合部村」「北宇智村」「牧野村」「南阿太村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、合併された町にある五條町から、名称を引き継いだ形となっているようです。

「五條」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①「宇智川」「内の川」「寿命川」「東浄川」「西川」といった、5つの川が流れ込んでいたことに由来する説。

②「伊勢街道」「河内街道」「旧紀州街道」「下街道」「西熊野街道」の5つの道があることに由来しているという説。

  • 読み方→「五條市(ごじょうし)」「五條町(ごじょうちょう)」「野原町(のはらちょう)」「宇智村(うちむら)」「大阿太村(おおあだむら)」「北宇智村(きたうちむら)」「阪合部村(さかあいべむら)」「牧野村(まきのむら)」「南阿太村(みなみあたむら)」「宇智川(うちがわ)」「寿命川(じゅみょうがわ)」「東浄(とうじょうがわ)」「伊勢街道(いせかいどう)」「河内街道(かわちかいどう)」「旧紀州街道(きゅうきしゅうかいどう)」「下街道(しもかいどう)」「西熊野街道(にしくまのかいどう)」

御所市の由来

1958年(昭和33年)3月31日に、「御所町」「葛上村」「葛村」「大正村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、御所町から引き継いだ形となっており、「御所」の由来としては諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介します。

①この地域を流れている葛城川に、五つの瀬があったことから、「ゴセ」になったとされている説。

②御諸という一般的に神が降臨し宿る場所があり、孝昭天皇の御諸が「御所」に転じたとする説。

③当時この辺りの地域を「巨勢」という豪族が治めていたとされ、これに由来したものとされる説。

  • 読み方→「御所市(ごせし)」「御所町(ごせちょう)」「葛上村(かつじょうむら)」「葛村(くずむら)」「大正村(たいしょうむら)」「葛城川(かつらぎがわ)」「御諸(みもろ)」「孝昭天皇(こうしょうてんのう)」「巨勢(こせ)」

コメント