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長野県の市町村名の由来【50音順 松川村~山ノ内町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:タイトルを変更(2023.8.10)

はじめに

このページは、長野県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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松川村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、松川村が成立することとなりました。

松川村自体は、町村制が施行される以前から存在していた村となっていることから、名称自体は古くからあるようです。

「松川」という地名の由来について調べてみましたが、特にこれといった情報は見つかりませんでした。

漢字の表記だけで考えるならば、松の生えた川があったことに由来するなどが考えられそうです。

あくまで憶測になるので、こちらの由来についてはまた何か情報が見つかり次第、改めて追記していこうと思います。

  • 読み方→「松川村(まつかわむら)」

松本市の由来

1907年(明治40年)5月1日に、元々あった松本町が市制を施行したことによって、松本市が成立しました。

「松本」という名称は古くからあり、その由来については諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介します。

①「待つ事久しくして本懐を遂ぐ」という言葉から、「待つ」と「本」を合わせて「まつもと」になった説。

②地形などは関係なく、「松」というめでたいとされる字を使ったことによる地名とされている説。

③松と赤土があった土地であったことから、「まつち」が転じたことで「松本」となったとする説。

  • 読み方→「松本市(まつもとし)」

南相木村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、南相木村が成立することもなりました。

村自体はこのときに新たにできたものではなく、以前より南相木村自体は存在していたようです。

元々は「相木村」がありましたが、1565年に南北に分かれたことで、「南相木村」と「北相木村」ができました。

元となる「相木」の地名についてですが、これは「相木氏」という一族に由来したものであるそうです。

この地域は相木氏の居住地であったそうで、このことから地名となり、現在にまで引き継がれています。

  • 読み方→「南相木村(みなみあいきむら)」

南牧村の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって南牧村が成立しました。

南牧村の由来については、「御牧原」という地名が広く使われていたことに関連しているとされます。

南という字もついていることから、当時南側にあったものと思われます。

  • 読み方→「御牧原(みまきはら)」

南箕輪村の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって南箕輪村が成立しました。

14年前から南箕輪村は存在していますが、古くには「箕輪郷」と呼ばれていたことに由来した名称となります。

字の通り、その箕輪郷の南側に位置していたことから南箕輪と名付けられました。

箕輪町の由来

1955年(昭和30年)に、「中箕輪町」「東箕輪村」「箕輪村」が合併したことによって成立しました。

箕輪は古くから集落の名称として存在していたとされ、由来については不明な部分も多いようです。

地形に関するとといった情報もありましたが、また詳しく分かり次第追記していきます。

  • 読み方→「中箕輪町(なかみのわまち)」「東箕輪村(ひがしむのわむら)」「箕輪村(みのわむら)」

宮田村の由来

1956年(昭和31年)に、駒ヶ根市から分立したことによって宮田村が成立しました。

元々は宮田町が合併してできた市であるため、宮田の名称自体はありました。

ただ、この名称の由来についても情報を見つけることが出来ませんでした。

  • 読み方→「駒ヶ根市(こまがねし)」

御代田町の由来

1956年(昭和31年)に、「御代田村」「小沼村」「伍賀村」が合併及び町制施行したことによって成立しました。

御代田の由来についても情報があまり見つかりませんでしたが、合併された村の名称にちなむとするものがありました。

まず「御代」というのが明治の天皇が治めた期間を表す言葉としており、前身である御代田村が合併に成立した際には「田」という字が四つもあったことから御代田となったとされています。

  • 読み方→「御代田村(みよたむら)」「小沼村(おぬまむら)」「伍賀村(ごかむら)」

泰阜村の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって泰阜村が成立しました。

村の名称については中国の伝統的詩である漢詩の「泰山丘阜」に由来したものとなります。

「泰」には水路を自ら切り開く意味があり、「阜」には豊かさなどの意味があるとされます。

  • 読み方→「泰山丘泰(たいざんきゅうふ)」

山形村の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって山形村が成立しました。

この村も町村制が施行される以前より存在していた村であり、由来については情報がありませんでした。

近くに山もあることからそれに関連しているかもしれませんが、また分かり次第追記していきます。

山ノ内町の由来

1955年(昭和30年)に、「平穏町」「穂波村」「夜間瀬村」が合併したことによって成立しました。

山ノ内という名称についてはこの地域にはいくつかの山があることにちなむそうです。

文字通り、山に囲まれている場所であることから山ノ内と名付けられたとされています。

  • 読み方→「平穏町(ひらおまち)」「穂波村(ほなみむら)」「夜間瀬村(よませむら)」

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