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長野県の市町村名の由来【50音順 栄村~喬木村】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:タイトルを変更(2023.8.10)

はじめに

このページは長野県の市町村の名称の由来をまとめたページになります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いため、複数の記事に分けています。(このページでは栄村~喬木村まで)

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参考にしているページとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあること、ご了承ください。

栄村の由来

1956年(昭和31年)に、「堺村」と「水内村」が合併したことによって成立しました。

栄村という名称の由来については情報を見つけることが出来ませんでした。

栄えるようにといった意味があるかもしれませんが、憶測になるのでまた分かり次第追記していきます。

  • 読み方→「堺村(さかいむら)」「水内村(みのちむら)」

坂城町の由来

1904年(明治37年)に、坂城村が町制を施行したことによって成立しました。

坂城という名称の由来については諸説あるとされ、一説には「坂の柵」ということから「サカキ」と呼ばれるようになったといわれているようです。

その他の説として地名として残る「逆木」から転じたとする説などがあります。

  • 読み方→「逆木(さかさぎ)」

佐久市の由来

1961年(昭和36年)に、「浅間町」「中込町」「野沢町」「東村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

市名については佐久地域と呼ばれていたことや、「北佐久郡」と「南佐久郡」の地域が合併したことにちなむと思われます。

佐久の名称にも由来が諸説あり、この地を開拓した神のことを「新開の神」と呼んでいたことにちなむとする説があるようです。

他の説として、外敵からの攻撃を防ぐ為に作られた「柵」が転じたとする説などがあります。

  1. 読み方→「浅間町(あさままち)」「中込町(なかごみまち)」「野沢町(のざわまち)」「東村(ひがしむら)」「新開(にいさく)」

佐久穂町の由来

2005年(平成17年)に、合併が行われたことによって佐久穂町が成立しました。

佐久穂町は「佐久町」と「八千穂村」が合併したことによって誕生しています。

町名としては合併前の町村の文字をそれぞれ取り入れたものとなっています。

  • 読み方→「佐久町(さくまち)」「八千穂村(やちほむら)」

塩尻市の由来

1959年(昭和34年)に、「塩尻町」「片丘村」「宗賀村」「筑摩地村」「広丘村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

塩尻の由来についても諸説あり、塩を売っていた人が日本海側からきた際に、この辺りで売りきれることからついた終わりを表す「尻」の名称を用いたとする説がまずあります。

また、日本海側と太平洋側から塩が運ばれた際、ここが終着点となることからついた名称とする説あるようです。

他の説として、食塩を送ったという歴史からとする説や絞られた地形からといった地形に関する説などもあるとされます。

  • 読み方→「塩尻町(しおじりまち)」「片丘村(かたおかむら)」「宗賀村(そうがむら)」「筑摩地村(ちくまじむら)」「広丘村(ひろおかむら)」

信濃町の由来

1956年(昭和31年)に、「信濃村」「信濃尻村」「古間村」が合併及び町制施行したことによって成立しました。

古くからこの辺りの地域は「北信濃」や「奥信濃」と呼ばれていたそうです。

信濃というのはかつては「信濃国」と呼ばれていることにちなんでおり、親しまれているこの名称を用いて町の名称が付けられました。

信濃自体の由来には諸説あり、「シナ」と呼ばれる木が多くて自生していた土地であることからとする説や、「シナ」はくぼんだ場所を指すとして地形からきているとする説などがあるようです。

  • 読み方→「信濃村(しなのむら)」「信濃尻村(しなのじりむら)」「古間村(ふるまむら)」「信濃国(しなののくに)」

下條村の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって下條村が成立しました。

村の名称については、この地を治めたとされる下條氏からとったそうです。

下條氏は室町時代中期から戦国時代にかけて活躍したとされているようです。

下諏訪町の由来

1893年(明治26年)に、下諏訪村が町制を施行したことによって成立しました。

下諏訪という名称は古くからあり、諏訪大社に関連した名称と思われます。

諏訪大社には「上社」と「下社」があり、この地域は「下社」に位置していることからついた名称とされます。

  • 読み方→「諏訪大社(すわたいしゃ)」

須坂市の由来

1954年(昭和29年)に、須坂町が市制を施行したことによって成立しました。

須坂の由来については不明な部分もあるそうですが、奈良県にある「墨坂神社」を勧請したことにちなむとする説がよくみられました。

墨坂が転じたとする説ではありますが、その他詳細は分かりませんでしたが地形にちなむ説もあるようです。

  • 読み方→「墨坂(すみさか)」

諏訪市の由来

1941年(昭和16年)に、「上諏訪町」「四賀村」「豊田村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

古くには「州羽」や「須波」など表記は違っていたとされ、「洲端」から転じたとする説があるようです。

洲端というのは文字の通り、三角州の端を意味しているとしており、他の説としては山からの水が多かったことから「沢」が転じたとする説など様々あります。

  • 読み方→「上諏訪町(かみすわまち)」「四賀村(しがむら)」「豊田村(とよだむら)」

喬木村の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって喬木村が成立しました。

ちなみに町村制が施行される以前より喬木村というのは存在しています。

喬木の由来については中国の詩経からとったとされ、「幽谷より出でて喬木に還る」というのがあり、助け合って成長していく村といった意味があったことからこの言葉を用いたとされています。

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