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三重県の市町村名の由来【50音順 紀宝町~玉城町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:タイトルを変更(2023.8.15)

はじめに

このページは三重県の市町村の名称の由来をまとめたページになります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いため、複数の記事に分けています。(このページでは紀宝町~玉城町まで)

三重県の由来についてはこちら

三重県知識まとめ

参考にしているページとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあること、ご了承ください。

紀宝町の由来

1954年(昭和29年)10月31日に、「井田村」「相野谷村」「御船村」が合併及び町制を施行したことによって紀宝町が成立しました。

町になるにあたり紀宝という名称がつけられたと思われますが、由来については情報を見つけることができませんでした。

憶測とはなりますが、この町は東紀州地域に属していることから「紀」の字はここから関連したものかもしれません。

しかし、「宝」の字については当てはまるようなそれらしい情報がなかったため、現時点では不明となっています。

紀宝町の名称の由来に関しては情報がまた詳しく分かり次第追記していこうと思います。

  • 読み方→「井田村(いだむら)」「相野谷村(おのだにむら)」「御船村(みふねむら)」

紀北町の由来

2005年(平成17年)10月11日に、「紀伊長島町」と「海山町」が合併したことによって紀北町が成立しました。

紀北町の名称の由来についての情報も見つけることができませんでしたが、恐らく位置に関連した名称かと考えられます。

紀宝町同様に、この町も東紀州地域に属しており、更にその中でも紀北町は北に位置している場所にあります。

このことから東紀州地域の北側ということで「紀北」となったのではないかと考えていますが、憶測に過ぎません。

この考えが間違っている場合も十分にあると思われるので、由来についての情報がまた分かり次第追記していきます。

  • 読み方→「紀伊長島町(きいながしまちょう)」「海山町(みやまちょう)」「東紀州(ひがしきしゅう)」

熊野市の由来

1954年(昭和29年)11月3日に、「木本町」「飛鳥村」「新鹿村」「荒坂村」「有井村」「五郷村」「神川村」「泊村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

熊野という名称は元々は三重県南部から和歌山県南部までの地域を指す地名であり、これが市名として採用された形となります。

熊野自体の由来については諸説あるとされており、神武天皇がこの地で大熊に出会ったとする話からとする説がありますが、疑問視する声もあるようです。

その他の説としては「クマ」という言葉が古くには違う意味であったとしており、「カミ」という意味をもち「神のいるところ」を指したものであるとするものや「こもる」を意味し、「神が隠れるところ」といったものからきた地名としています。

また、同じ「こもる」という意味でも「樹木が鬱蒼としているところ」や「死者の魂が隠れているところ」などを意味しているとする説もあるようです。

  • 読み方→「木本町(きのもとちょう)」「飛鳥村(あすかむら)」「新鹿村(あたしかむら)」「荒坂村(あらさかむら)」「有井村(ありいむら)」「五郷村(いさとむら)」「神川村(かみかわむら)」「泊村(とまりむら)」「神武天皇(じんむてんのう)」

桑名市の由来

1937年(昭和12年)4月1日に、桑名町が市制を施行したことによって桑名市が成立しました。

桑名の名称の由来についても諸説あり、桑の木が多かったことから「桑野」とされ、これが転じたとする説がまずありました。

他には地形に関する説がみられ、「く」とは曲がりくねったところ、「はな」は岬や端を意味しているとされ、地形を表した言葉であるという説となるようです。

この地を開発したといわれている「桑名首」という一族からとった名称であるとしている説もあり、現在この説が有力であるとしている情報もありました。

ただし、一族の名称については桑名の地名からとったのではないかとすることや、上記の桑の木について土地的に生える場所だったのか疑問視されているなど、情報により定まっていません。

  • 読み方→「桑名首(おびど)」

菰野町の由来

1928年(昭和3年)10月1日に、菰野村が町制を施行したことによって菰野町が成立しました。

「真菰」という植物に由来した名称であるとされており、古くには真菰をはじめクサヨモギなどの植物が生い茂っていたといわれています。

真菰にはマコモタケと呼ばれる食べられる部分があり、健康などにもいいとされていて町の特産品としても力をいれているそうです。

そして村づくりをする際に植物を切り開いて開拓されたことから地名として「コモノ」と呼ばれるようになりました。

現在の「菰野」という表記になるまでは他の字も使われたとされ、「薦野」や「古茂野」といった表記もあったそうです。

  • 読み方→「真菰(まこも)」

志摩市の由来

2004年(平成16年)に、「阿児町」「磯部町」「志摩町」「大王町」「浜島町」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

市名として「志摩」の名称が決定されたのにはまず志摩郡に属していたことに加え、国立公園である「伊勢志摩国立公園」などで広く知られていることなどが理由だそうです。

志摩市の大部分は古くには「志摩国」と呼ばれていた場所であったとされていて、古くからある名称となっています。

名称の由来については志摩半島の周辺には島が多かったことに関連して、「志摩」と呼ばれるようになったそうです。

しかし詳細についての情報は見つけることができず、どのような「志摩」という表記へとなっていったのかなどは不明でした。

  • 読み方→「阿児町(あごちょう)」「磯部町(いそべちょう)」「志摩町(しまちょう)」「大王町(だいおうちょう)」「浜島町(はまじまちょう)」「伊勢志摩国立公園(いせしまこくりつこうえん)」「志摩国(しまのくに)」

鈴鹿市の由来

1942年(昭和17年)12月1日に、「神戸町」「白子町」「飯野村」「一ノ宮村」「稲生村」「石薬師村」「河曲村」「国府村」「庄野村」「高津瀬村」「玉垣村」「牧田村」「箕田村」「若松村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

合併された中には鈴鹿郡に属していた村もあり、「鈴鹿」とはこの辺りの地域を表す名称としてあったようです。

由来については諸説あるとされており、一説によると壬申の乱がおきた際の伝説にちなんだものとされています。

この内乱が起きたとき、後の天武天皇が増水した川を渡るときに鹿に鈴をつけて渡ったとする話があり、これに由来するという説です。

他の説としては「スズタケ」と呼ばれる植物の生育地であったことからついたとする説があり、有力な説ともいわれています。

  • 読み方→「神戸町(かんべちょう)」「白子町(しろこちょう)」「飯野村(いいのむら)」「石薬師村(いしやくしむら)」「一ノ宮村(いちのみやむら)」「稲生村(いのうむら)」「河曲村(かわのむら)」「国府村(こうむら)」「庄野村(しょうのむら)」「高津瀬村(たかつせむら)」「玉垣村(たまがきむら)」「牧田村(まきたむら)」「箕田村(みだむら)」「若松村(わかまつむら)」「壬申(じんしん)」「天武天皇(てんむてんのう)」

大紀町の由来

2005年(平成17年)2月14日に、「大宮町」「紀勢町」「大内山村」が合併されたことによって大紀町が成立しました。

「大紀」とは合成地名となっており、「大宮」と「大内山」から「大」を、「紀勢」から「紀」の字をとってできた名称です。

余談とはなってしまいますが、合併される前の大宮町と紀勢町の名称も大紀町同様に合成地名となっていました。

ただし、大宮町は合成地名といっても合併された町村からではなく、町内を流れている川である「大内山川」からと神社である「瀧原宮」からとっています。

紀勢町については合併された町村がかつて「伊勢国」と「紀伊国」と呼ばれていた場所であったことから突いた名称だそうです。

  • 読み方→「大宮町(おおみやちょう)」「紀勢町(きせいちょう)」「大内山村(おおうちやまむら)」「瀧原宮(たきはらのみや)」「伊勢国(いせのくに)」「紀伊国(きいのくに)」

多気町の由来

1955年(昭和30年)3月31日に、「相可町」「佐奈村」「津田村」が合併されたことによって多気町が成立しました。

町名については多気郡に属していることにちなんたものであり、「多気」の名称の由来については諸説あるようです。

一説による古語に由来したものであるとしており、食べ物が多く採れ、命を支えてきたということから「多くの気(命)」を育む場所とされました。

また、古くには「竹郡」という名称であったとして、後に現在の表記及び読み方へと変更になったとする説もあります。

何故竹郡になったのかについては字が表している通り、多くの竹の生育地であったことに由来したものだそうです。

  • 読み方→「相可町(おうかちょう)」「佐奈村(さなむら)」

玉城町の由来

1955年(昭和30年)4月10日に、「田丸町」「有田村(一部地域)」「東外城田村」が合併されたことによって玉城町が成立しました。

町名である「玉城」についてはこの地にある「田丸城」に由来したもので、シンボルともなっている城のようです。

「玉丸城」ともいわれていたことから、このことに町名は由来しているとされていますが、詳しい情報については見つけることができませんでした。

恐らく「玉丸城」の中の字からとったとは思われますが憶測となり、広く知られている名称である「田丸城」の由来についても不明でした。

不明な部分が多いためこちらの玉城町の由来についての情報は、また何かしら分かり次第追記していきたいと思います。

  • 読み方→「田丸町(たまるちょう)」「有田村(うだむら)」「東外城田村(ひがしとぎたむら)」

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