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熊本県の市町村名の由来【50音順 玉名市~益城町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.5.24)

はじめに

このページは、熊本県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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玉名市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「玉名町」「伊倉町」「大浜町」「石貫村」「小田村」「玉名村」「月瀬村」「築山村」「豊水村」「滑石村」「梅林村」「八嘉村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名が決まった経緯については分かりませんでしたが、合併された町村の中で唯一の町である玉名町から名称が引き継がれています。

「玉名」という名称は古くから存在していたようで、これらの地域は「玉名郡」に属していました。

そして元々は「玉杵名」と表記されていたとされ、これは「魂来名」が由来とされるそうです。

これは神霊が依り来る聖地という意味があり、漢字2文字に統一する歴史があったことから、「玉名」となったとされます。

  • 読み方→「玉名町(たまなまち)」「伊倉町(いくらまち)」「大浜町(おおはままち)」「石貫村(いしぬきむら)」「小田村(おだむら)」「玉名村(たまなむら)」「月瀬村(つきせむら)」「築山村(つきやまむら)」「豊水村(とよみずむら)」「滑石村(なめいしむら)」「梅林村(ばいりんむら)」「八嘉村(はっかむら)」「玉杵名(たまきな)」

多良木町の由来

1926年(大正15年)5月1日に、元々あった多良木村が町制を施行したことによって、多良木町が成立しています。

前身である多良木村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より地名として存在していました。

「多良木」という名称の由来については、多良木荘から始まった地名とされているようです。

鎌倉時代に、源頼朝が相良頼景に先ほどの多良木荘と呼ばれる地域を与えたことで、地名として定着したとされます。

しかし、何故「多良木」という名称となったのか、それに関しては情報を見つけることができませんでした。

  • 読み方→「多良木町(たらぎまち)」「源頼朝(みなもとのよりとも)」「相良頼景(さがらよりかげ)」

津奈木町の由来

1963年(昭和38年)4月1日に、元々あった津奈木村が町制を施行したことによって、津奈木町が成立しています。

前身である津奈木村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、いつ頃から存在していたのかは分かりませんでした。

「津奈木」という名称の由来については、当時の天皇であった景行天皇にちなんだものだそうです。

というのも、景行天皇が九州討伐を行った際、ここの港に船をおつなぎになったという話があります。

この「つなぎ」が「津奈木」と転じていき、地名として定着していったというのが一般的です。

  • 読み方→「津奈木町(つなぎまち)」「景行天皇(けいこうてんのう)」

長洲町の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、長洲町が成立することとなりました。

歴史的にいつから「長洲」の地名があったのかは分かりませんでしたが、元々は「長渚」や「泣洲の浜」などと呼ばれていたそうです。

「長渚」は長い渚があったことから、「泣洲の浜」は遠征に出かけた景行天皇の後を妃が追いかけたが、会えなかったことを悲しみ泣いたことからとされます。

これらの名称が歴史とともに変化していき、最終的に現在の表記である「長洲」に落ち着きました。

ちなみに、これは字が表している通り、細長い洲があった地形であることに由来したものです。

  • 読み方→「長洲町(ながすまち)」

和水町の由来

2006年(平成18年)3月1日に、「菊水町」と「三加和町」が合併したことによって成立しました。

今回、町の名称を新たにつけるにあたって一般公募が行われており、その結果決まったものになります。

そんな「和水」の由来ですが、これは合併前の町の名称からそれぞれ一文字ずつとったものです。

ちなみに、「菊水」の由来については、この地域に流れている「菊池川」にちなんだものとされています。

そして、「三加和」の名称についてですが、こちらは由来に関する情報を見つけることができませんでした。

  • 読み方→「和水町(なごみまち)」「菊水町(きくすいまち)」「三加和町(みかわまち)」

南関町の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、6つの町村の区域をもぅて南関町が成立しました。

これらの町村には共通して「関」という名称がついていましたが、「南関」という名称はなかったことから、今回新たに命名されたものとなります。

「南関」という名称の由来については、古くにこの地域に関所が置かれていたことにちなむそうです。

古くにはこの地域は交通において重要な場所であるとされ、そういったことから関所があったといわれています。

そして、当時は「南の関」と表記もされていたそうで、これが「南関」という地名の起こりであるようです。

  • 読み方→「南関町(なんかんまち)」

錦町の由来

1965年(昭和40年)4月1日に、元々あった錦村が町制を施行したことによって、錦町が成立しました。

前身である錦村は、1955年(昭和30年)の合併により成立しており、このときに「錦」と命名されています。

どのような経緯で村名として決まったのかは不明ですが、「錦」の名称は合併された村に由来したものとなるようです。

合併された村は「西村」「一武村」「木上村」で、西村から「ニ」、一武村は一が数字の「始」まりとして「シ」木上村から「キ」の文字をとって「ニシキ」となりました。

また、3つの村が協力して「錦」のような麗しい村にしようといった願いも込めているそうです。

  • 読み方→「錦町(にしきまち)」「西村(にしむら)」「一武村(いちぶむら)」「木上村(きのうえむら)」

西原村の由来

1960年(昭和35年)9月1日に、「山西村」と「河原村」が合併したことによって、西原村が成立しています。

今回名称としては新たに命名されたものになりますが、どのような経緯で決まったのかは分かりませんでした。

「西原」という名称の由来ですが、合併前の2つの村の文字からとってできた合成地名となります。

ちなみに、この2つの村について調べてみましたが、こちらの由来に関しては情報が見つかりませんでした。

字だけをみると「山の西にある村」や、「河原がある村」など考えられそうですが、また何か分かり次第追記していきます。

  • 読み方→「西原村(にしはらむら)」「山西村(やまにしむら)」「河原村(かわはらむら)」

氷川町の由来

2005年(平成17年)10月1日に、「宮原町」と「竜北町」が合併したことによって成立しています。

今回合併するにあたって、町名は新たに命名されたものとなりますが、決定された経緯などは分かりませんでした。

町名の由来としては、この地域に流れている「氷川」という川にちなんだものとなるようです。

氷川町は自然豊かな場所となっており、特にこの川の恩恵を受けて成長してきた場所とされています。

この「氷川」の由来についてはあまり情報がみつかりませんでしたが、雪解けに関連するといったものがありました。

  • 読み方→「氷川町(ひかわちょう)」「宮原町(みやはらまち)」「竜北町(りゅうほくまち)」

人吉市の由来

1942年(昭和17年)2月11日に、「人吉町」「藍田村」「中原村」「西瀬村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、今回合併された町村の中でも唯一の町である「人吉町」から、名称を引き継いだものとなっています。

「人吉」という地名は古くから存在し、この由来については、「舎」を縦に読んだものとされるそうです。

というのも、地名ができたころのこの地域は、現在の熊本県、鹿児島県、宮崎県の一部地域を結ぶ交通の要衝であった歴史があります。

このことから、宿として人が住む「舎」ができたといわれ、前述したとおりここから「人吉」となりました。

  • 読み方→「人吉市(ひとよしし)」「人吉町(ひとよしまち)」「藍田村(あいだむら)」「中原村(なかはらむら)」「西瀬村(にしぜむら)」

益城町の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「木山町」「飯野村」「津森村」「広安村」「福田村」が合併したことによって成立しました。

現在「上益城郡」に属していますが、古くには「益城郡」となっており、この郡の中でも1番目の合併された町であることを示すために「益城町」となったそうです。

「益城」という名称の由来については諸説あるとのことですので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①放牧場を意味している、「馬城」または「柵木」から転じたことでできたとされている説。

②川筋が交わる場所であったことから、交わることを指す「マジ」と場所を意味する「キ」から「マシキ」となった説。

  • 読み方→「益城町(ましきまち)」「木山町(きやままち)」「飯野村(いいのむら)」「津森村(つもりむら)」「広安村(ひろやすむら)」「福田村(ふくだむら)」「馬城(まき)」「柵木(ませき)」

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