更新情報:記事内容を更新(2025.8.9)
はじめに
このページは、高知県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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安芸市の由来
1954年(昭和29年)8月1日に、「安芸町」「赤野村」「伊尾木村」「井ノ口村」「川北村」「土居村」「畑山村」「東川村」が合併、及び市制を施行したことによって成立しました。
市名については、合併された町村で唯一の町である安芸町から名称を引き継いでおり、地名自体は古くからあるようです。
そんな「安芸」という地名の由来ついては、「安芸氏」という人物にちなんだものとなっています。
安芸氏は当時、この辺りの地域を治めていたといわれ、そのまま地名として定着していきました。
余談とはなりますが、広島県にも「安芸」の地名がありますが、全く関係はないそうです。
- 読み方→「安芸市(あきし)」「安芸町(あきちょう)」「赤野村(あかのむら)」「伊尾木村(いおきむら)」「井ノ口村(いのくちむら)」「川北村(かわきたむら)」「土居村(どいむら)」「畑山村(はたやまむら)」「東川村(ひがしがわむら)」
いの町の由来
2004年(平成16年)10月1日に、「伊野町」「吾北村」「本川村」が合併したことによって成立しました。
合併された中で唯一の町である伊野町の名称を引き継いでいますが、何故平仮名になったのかは詳細は不明です。
一応親しみやすいイメージを持たせることや、対等な合併であることに配慮したのではといわれています。
元である「伊野」については、「イノコズチ」という植物が由来であるという情報がありました。
しかし、実際にそうであるという確信はもてない状態でしたので、他に何かわかりましたら改めて追記していきます。
- 読み方→「伊野町(いのちょう)」「吾北村(ごほくそん)」「本川村(ほんがわむら)」
馬路村の由来
1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって、馬路村が成立することとなりました。
今回成立するにあたり、「馬路村」と「魚梁瀬村」が合併していることから、以前より名称自体はあったようです。
「馬路」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していきます。
①馬でしかいくことができないほど、険しい道であったことから「馬路」となったとされている説。
②同じく馬に由来したもので、この地域には馬の足跡があったことにちなんだものとしている説。
- 読み方→「馬路村(うまじむら)」「魚梁瀬村(やなせむら)」
大川村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、大川村が成立することとなりました。
このとき、16の村の区域をもって成立していますが、元々「大川」の名称はなかったようです。
「大川」という地名の由来についてですが、こちらは情報を見つけることが出来ませんでした。
字の表記だけをみる限り、川にちなんだものと推測はできそうですが、断定まではできません。
こちらの由来については、また何か情報が分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「大川村(おおかわむら)」
大月町の由来
1957年(昭和32年)2月11日に、「大内町」と「月灘村」が合併したことによって、成立しました。
町名が決まった経緯は分かりませんでしたが、「大月」の名称は合成地名となっています。
合併前の町村をみるとわかる通り、「大内町」と「月灘村」からそれぞれ1文字ずつとった形です。
ちなみに前身である「大内町」は、元は「奥内村」で、町制施行時に「大内」と名称を変えましたが、その由来は分かりませんでした。
「月灘村」の由来については、この村が面していた太平洋のことを、「お月灘」と呼んでいたことにちなむそうです。
- 読み方→「大月町(おおつきちょう)」「大内町(おおうちちょう)」「月灘村(つきなだむら)」「奥内村(おくうちむら)」
大豊町の由来
1972年(昭和47年)4月1日に、元々あった大豊村が町制を施行したことによって、大豊町が成立しました。
前身である大豊村は、1955年(昭和30年)の合併により成立しており、このとき命名されたとのとなります。
合併したのは「天坪村」「大杉村」「西豊永村」「東豊永村」の4つの村で、その中から「大杉」と「豊永」からそれぞれ一文字ずつとった合成地名です。
ちなみに「大杉」の由来についても調べてみましたが、元々は「東本山村」という名称であったこと以外分かりませんでした。
「豊永」の名称については、熊本にある同名の地名に由来したものといった情報がありましたが、詳細は不明です。
- 読み方→「大豊町(おおとよちょう)」「天坪村(あまつぼむら)」「大杉村(おおすぎむら)」「西豊永村(にしとよながむら)」「東豊永村(ひがしとよながむら)」「東本山村(ひがしもとやまむら)」
越知町の由来
1900年(明治33年)6月7日に、元々あった越知村が町制を施行したことによって、越知町が成立しました。
前身である越知村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に2つの村の区域をもって成立していますが、この時点で既に越知村は存在していたようです。
「越知」の地名については、古くには「越智」と表記されており、これが転じたものとされています。
これは、当時この辺り一帯を支配していた「越智氏」に由来したものと一説にはいわれていますが、詳細は分かりませんでした。
こちらについては、由来に関して他に情報が見つかり次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「越知町(おちちょう)」
香美市の由来
2006年(平成18年)3月1日に、「香北町」「土佐山田町」「物部村」の合併及び市制施行したことによって成立しました。
市名については、合併前の町村が「香美郡」に属していたことに由来したものとしています。
「香美」という名称の由来に関しては、古くには「鏡」から転じていったものとされているそうです。
これには川などが鏡のように見えた説や、鏡が貴重な存在であったことからという説などがありました。
この「鏡」は2文字で表すようになったことで「香美」となり、現在の読み方となったとのことです。
- 読み方→「香美市(かみし)」「香北町(かほくちょう)」「土佐山田町(とさやまだちょう)」「物部(ものべそん)」
北川村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって北川村が成立することとなりました。
4つのも村が合併したことでできた北川村ですが、元々北川村という名称は存在していたようです。
この地域は「北川氏」という一族が治めていた場所とされますが、これに由来してできた地名かどうかは分かりませんでした。
地名が先であるとするならば、川の北部に村があったことが由来とされるなど推測はできそうです。
こちらの由来については、また何か情報が分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「北川村(きたがわむら)」
黒潮町の由来
2006年(平成18年)3月20日に、「大方町」と「佐賀町」が合併したことによって成立しました。
町名については公募が行われていたそうで、その候補の中から選定されたものになります。
選ばれた理由としては、黒潮の恵みを受けている町であることや、勇壮なイメージがあるといったことがありました。
ちなみに黒潮というのは、「日本海流」とも呼ばれる国内において代表的海流の1つです。
プランクトンが少ないことから、透明度が高くあまり光を反射しないため、青黒く見えることから「黒潮」と呼ばれています。
- 読み方→「黒潮町(くろしおちょう)」「大方町(おおがたちょう)」「佐賀町(さがちょう)」
芸西村の由来
1954年(昭和29年)7月20日に、「馬ノ上村」「西分村」「和食村」が合併したことによって成立しています。
今回町名が新しくつけられていますが、どのようにして決まったのかは分かりませんでした。
「芸西」という名称については、この町が「安芸郡」に属していることに由来しています。
芸西村は安芸郡の中でも、最も西側に位置しており、「安芸郡の西側」ということで「芸西」となったようです。
ちなみに「安芸」とは、当時この辺りの地域一帯を治めていたと「安芸氏」に由来したものとなります。
- 読み方→「芸西村(げいせいむら)」「馬ノ上村(うまのうえむら)」「西分村(にしぶんむら)」「和食村(わじきむら)」「安芸郡(あきぐん)」
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