更新情報:記事内容を更新(2025.3.12)
はじめに
このページは、岩手県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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野田村の由来
1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって、2つの区域をもって野田村が成立しました。
この区域の中には「野田村」もあり、そのことからわかる通り、古くからある地名であるようです。
「野田」という地名については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①湿地などを指す「ヌダ」という言葉が転じたことで、「ノダ」の地名ができたとされる説。
②野のある土地ということや、無風の波を意味する方言の「のだ」を由来としてできた地名とする説。
- 読み方→「野田村(のだむら)」
八幡平市の由来
2005年(平成17年)9月1日に、「西根町」「松尾村」「安代町」が合併、及び市制を施行したことによって、八幡平市が成立しました。
合併された町村をみてもらうとわかる通り、「八幡平」の名称は新たに付けられたものとなります。
この市の名称については、八幡平市にある「八幡平」という山に由来したものとなっているようです。
八幡平とは、八幡大菩薩に由来しているといわれ、武家からは戦の神として崇拝されていました。
この山の頂上付近で必勝祈願し、その後の戦いで勝利したことから八幡平と名づけられたそうです。
- 読み方→「八幡平市(はちまんたいし)」「西根町(にしねちょう)」「松尾村(まつおむら)」「安代町(あしろちょう)」
花巻市の由来
1954年(昭和29年)4月1日に、「花巻町」「太田村」「宮野目村」「矢沢村」「湯口村」「湯本村」が合併、及び市制を施行したことによって、花巻市が成立しました。
「花巻」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①「花の牧」と呼ばれる名馬の牧場があったことに由来して、「花巻」と転じたとされる説。
②この地域に流れる北上川が渦をなし、春になると花びらが浮かんだ美しい光景を見せることに由来した説。
③アイヌ語で、川下に開けた土地を意味する「パナ」から転じて、「ハナマキ」となったとされる説。
- 読み方→「花巻市(はなまきまし)」「北上川(きたかみがわ)」「太田村(おおたむら)」「宮野目村(みやのめむら)」「矢沢村(やさわむら)」「湯口村(ゆぐちむら)」「湯本村(ゆもとむら)」
平泉町の由来
1953年(昭和28年)10月1日に、元々あった平泉村が町制を施行したことによって、平泉町が成立しました。
前身である平泉村は、1889年(明治22年)の町村制が施行された際に成立していますが、以前より地名として存在していたようです。
「平泉」という名称の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①「平」は斜めに平らな土地を表し、「泉」はそのまま泉が噴出したことに由来するという説。
②語源についての情報は見つからなかったが、アイヌ語に由来しているとの説があり、詳しく分かり次第追記する。
- 読み方→「平泉町(ひらいずみちょう)」
洋野町の由来
2006年(平成18年)1月1日に、「種市町」と「大野村」が合併したことによって、洋野町が成立しました。
合併以前には町村には「洋野」の名称は無いことから、今回新たに名づけられたものとなります。
町名については公募が行われたそうで、その結果として「洋野町」となりましたが、この名称は瑞祥地名であるそうです。
瑞祥地名とは縁起の良いめでたい言葉を使ったり、良い意味の言葉を使ってできた地名となります。
しかし、どのような意味をこめて「洋野」となったのかは情報が見つからなかったため、分かり次第追記していくつもりです。
- 読み方→「洋野町(ひろのちょう)」「種市町(たねいちまち)」「大野村(おおのむら)」
普代村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、普代村が成立することとなりました。
ただし、以前より普代村はあり、「普代」という名称の由来については諸説あるとのことで、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①2つの水流の合流地を指す「二井」に由来したもので、これが転じて「普代」となったとする説。
②砂州によって塞がれた土地を指す「塞井」という言葉が転じたことで「普代」となったとされる説。
③三上氏という武家が、お譜代様と呼ばれたことに由来して、「普代」という地名ができたとする説。
- 読み方→「普代村(ふだいむら)」
宮古市の由来
1941年(昭和16年)2月11日に、「宮古町」「千徳村」「磯鶏村」「山口村」が合併、及び市制を施行したことによって、宮古市が成立しました。
市名については、唯一の町である「宮古町」より引き継いだものと思われますが、「宮古」という地名の由来については諸説あるとのことで、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①この辺りの地域において、経済や文化の中心地をであったことから「都」が転じたとしている説。
②神社に由来するとされ、「神社があるところ」という意味で「宮処」となり、これが転じたとする説。
③「ミヤ」が野原を、「コ」が土地を意味するとされ、これを合わせて「ミヤコ」となったとする説。
- 読み方→「宮古市(みやこし)」「千徳村(せんとくむら)」「磯鶏村(そけいむら)」「山口村(やまぐちむら)」「宮処(みやこ)」
盛岡市の由来
1889年(明治22年)に、市制が施行されたことによって、自治体として盛岡市が成立することとなりました。
「盛岡」という地名は古くからあり、元々は「森岡」と表記されていたのが、転じたものだそうです。
これについては、当時の盛岡藩主であった南部氏によって改称されたものといわれています。
情報によると、「盛り上がり栄える岡」という意味を込めて「盛岡」と命名したそうです。
一応他の由来もあり、「杜の多い岡」から転じたとする情報もありましたが、上記のほうがよく見かけた由来となります。
- 読み方→「盛岡市(もりおかし)」
矢巾町の由来
1966年(昭和41年)5月1日に、元々あった矢巾村が町制を施行したことによって、矢巾町が成立しました。
前身である矢巾村は、1955年(昭和30年)の合併により成立していますが、合併された村の中には「矢巾」の名称はありません。
どのようにして村名が決まったのかは不明ですが、「矢巾」という地名の由来については諸説あるので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①源頼義が阿倍貞任を討つための戦いの為に、「矢羽根」を集めさせたという出来事に由来するという説。
②「谷端場」や「谷端間」という、段差のある湿地の場所を指す言葉が転じて「ヤハバ」となったとする説。
- 読み方→「矢巾町(やはばちょう)」「矢羽根(やばね)」「源頼義(みなもとのよりよし)」「阿倍貞任(あべのさだとう)」
山田町の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町制が施行されたことによって、2つの区域をもって山田町が成立しました。
ただし、町村制が施行される以前よりも「山田」の地名はあったことから、古い地名であることが分かります。
そんな「山田」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①「山」に、たわむという意味の「たぁ」という方言から、「山に囲まれた窪地」ということで、「山田」となった説。
②山のふもとを意味する「山端」が略され、転じたことによって「山田」という地名ができた説。
- 読み方→「山田町(やまだまち)」「山端(やまはた)」
陸前高田市の由来
1955年(昭和30年)1月1日に、「高田町」「気仙町」「広田町」「小友村」「竹駒村」「矢作村」「横田村」「米崎村」が合併、及び市制を施行したことによって、陸前高田市が成立しました。
「陸前高田」という名称についてですが、まず「陸前」とは昔この辺りの地域が「陸前国」と呼ばれていたことに由来したものです。
そして「高田」は、合併が高田町を中心に行われたことに由来し、合わせて「陸前高田」となりました。
ちなみに、「高田」の由来については諸説あるそうで、一説によると氷上山にある神田を「高田」と称したことに由来するとしています。
その他、平地より高い所にある田という意味から「高田」となったとする説などもあるようでした。
- 読み方→「陸前高田市(りくぜんたかたし)」「高田町(たかたちょう)」「気仙町(けせんまち)」「広田町(ひろたちょう)」「小友村(おともむら)」「竹駒村(たけこまむら)」「矢作村(やはぎむら)」「横田村(よこたむら)」「米崎村(よねさきむら)」「陸前国(りくぜんのくに)」「氷上山(ひかみさん)」
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