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福岡県の市町村名の由来【50音順 赤村~大木町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.12.13)

はじめに

このページは、福岡県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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赤村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、赤村が成立することとなりました。

赤村自体は、1887年(明治20年)に3つの村の区域をもって成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

この村名の由来については諸説あるとされますが、「吾勝山」という山が由来という説が知られています。

吾勝山というのは、「吾勝尊」と呼ばれる神が降臨されたという伝承にちなむ名称であり、ここから「吾勝野」となりましたが、当時の天皇により「あが」と「つの」と分けられることとなりました。

そして「あが」の名称は「我鹿」となり、これが現在の赤村へと転じていったといわれています。

  • 読み方→「赤村(あかむら)」「吾勝山(あがつのやま)」「吾勝尊(あがつのみこと)」「吾勝野(あがつの)」

朝倉市の由来

2006年(平成18年)3月20日に、「甘木市」「朝倉町」「杷木町」が合併したことによって成立しました。

市名についての情報は見つかりませんでしたが、甘木市ができる以前も含めて、この地域が「朝倉郡」に属していたことにちなんだものと思われます。

「朝倉」という地名の由来については、当時の天皇の発言に由来したものとされているようです。

それによると、天皇と皇子は朝鮮半島からの要請に応えて出兵を決意したといわれ、この際、現在の朝倉地区の場所に仮の都を設けました。

そのときに天皇は「朝なお闇き」と言われたとされており、ここから「朝倉」と呼ばれるようになったそうです。

  • 読み方→「朝倉市(あさくらし)」「甘木市(あまぎし)」「朝倉町(あさくらまち)」「杷木町(はきまち)」「闇き(くらき)」

芦屋町の由来

1891年(明治24年)6月10日に、元々あった芦屋村が町制を施行したことによって、芦屋町が成立しました。

前身である芦屋村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、名称自体は以前よりあったようです。

「芦屋」という地名の由来については、「アシ」と呼ばれる植物にちなんだものとされています。

古くにこの地域には、アシが生い茂っていた場所であったとされ、そのアシで屋根を覆っていたそうです。

このことから「芦屋」と呼ばれるようになり、現在に至るまでこの地名が残っている形となります。

  • 読み方→「芦屋町(あしやまち)」

飯塚市の由来

1932年(昭和7年)1月20日に、元々あった飯塚町が市制を施行したことによって、飯塚市が成立しています。

前身である飯塚町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、名称自体は以前よりありました。

「飯塚」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①神功皇后が軍勢を集めて賞を与えた後、故郷に帰る人々が別れを惜しんでついてきたたそうで、その後別れの宴を行っていた際に「いつかお会いしたい」と言ったことから、この「いつか」が転じたという説。

②明星寺虚空蔵堂と五重塔再建の為に供養を行ったところ、そのときに炊いたご飯が塚のようになっていたことに由来する説。

  • 読み方→「飯塚市(いいづかし)」「神功皇后(じんぐうこうごう)」

糸島市の由来

2010年(平成22年)1月1日に、「前原市」「志摩町」「二丈町」が合併したことによって成立しました。

市名については、前橋市が元々属していたことも含め、これらの町が「糸島郡」に属していたことに由来したものです。

また、これに加えて「糸島」という名称が広く知られていたことも、市名になった1つの理由とされています。

「糸島」という名称については、1896年(明治29年)に「怡土郡」と「志摩郡」の区域が合併したことにより誕生しました。

このとき、2つの郡名である「いと」と「しま」をそれぞれ合わせたことで、「糸島」と命名されたそうです。

  • 読み方→「糸島市(いとしまし)」「前原市(まえばるし)」「志摩町(しままち)」「二丈町(にじょうまち)」「怡土郡(いとぐん)」「志摩郡(しまぐん)」

糸田町の由来

1939年(昭和14年)1月1日に、元々あった糸田村が町制を施行したことによって、糸田町が成立しました。

前身である糸田村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より村自体はあったようです。

「糸田」という地名の由来については、稲作にちなんだものとされ、農作物をつくる土地や水源に恵まれていたことから、この地域では稲作文化が発展してきました。

このことから「いとよき田」というようになり、これが「糸田」へと転じたことでできた地名となります。

稲作については現在においても盛んに行われているようで、イチゴなどの栽培もされているそうです。

  • 読み方→「糸田町(いとだまち)」

うきは市の由来

2005年(平成17年)3月20日に、「浮羽町」と「吉井町」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

この名称は古くから親しまれており、市名として採用するにあたり平仮名となりましたが、これは気持ち新たにスタートするということや、分かりやすくするためなどの理由があるそうです。

「浮羽」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①古くには盃のことを「うき」といい、天皇が食事をされた際に忘れてしまったという話に由来する説。

②大きな楠が倒された際に、川に葉がたくさん浮いていたことから「うきは」と呼ばれるようになったとされる説。

  • 読み方→「浮羽町(うきはまち)」「吉井町(よしいまち)」

宇美町の由来

1920年(大正9年)10月20日に、元々あった宇美村が町制を施行したことによって、宇美町が成立しました。

前身である宇美村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に4つの村の区域をもって成立していますが、このとき既に村は存在していたようです。

「宇美」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①朝鮮半島への出兵を終えた神功皇后は、この地で応神天皇を出産されたとされ、このことから「産み」にちなんで「宇美」という地名ができた説。

②かつては日本には「不彌国」と呼ばれる場所が存在したとされ、この「不彌」というのが「宇美」へと転じていったとする説。

  • 読み方→「宇美町(うみまち)」「神功皇后(じんぐうこうごう)」「応神天皇(おうじんてんのう)」「不彌国(ふみこく)」

大川市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「大川町」「大野島村」「川口村」「木室村」「田口村」「三又村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、合併された町村の中で唯一の町である、大川町から名称を引き継いだ形となっているようです。

「大川」という地名の由来については、文字通り川にちなんで名付けられたものとなっています。

九州地方でも最大となる「筑後川」と呼ばれる河川が大川市には流れており、昔の人々はこの筑後川を「大川」と呼んでいたそうです。

そして、大川町が成立したときにこの「大川」を町名として採用したことで、地名として定着していきました。

  • 読み方→「大川市(おおかわし)」「大野島村(おおのしまむら)」「川口村(かわぐちむら)」「木室村(きむろむら)」「田口村(たぐちむら)」「三又村(みつまたむら)」「筑後川(ちくごがわ)」

大木町の由来

1955年(昭和30年)1月1日に、「大莞村」「大溝村」「木佐木村」が合併、及び町制施行したことによって成立しています。

町名については新たに命名されたものとなりますが、こちらに関しての情報は特に見つかりませんでした。

合併された村をみてみると、これらの村名からとったとも考えられそうですが、それより以前から「大木」の名称はあったとされます。

文字だけで考えるのであれば、大きな木があったことに由来したものと考えることもできそうです。

こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「大木町(おおきまち)」「大莞(おおい)」「大溝(おおみぞ)」「木佐木(きさき)」

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