アンドラの概要
アンドラはヨーロッパの西部に位置している国で、首都はアンドラ・ラ・ベリャです。
日本での正式名称は「アンドラ公国」となります。
漢字では、「安道爾」「安徳爾拉」「安多拉」「安道耳」などで表記され、1文字で「安」で表されます。
観光地として人気があり、観光業は国内の主要なものとなっています。
自然が美しいことが魅力的で、冬場にはスキーなども楽しみことができます。
補足とまとめ
- まとめ→アンドラはヨーロッパに位置しており、首都はアンドラ・ラ・ベリャ。漢字では「安道爾」「安」などで表記され、観光地として人気がある。
アンドラの面積・人口・人口密度
面積:約468k㎡
人口:約77,000人 人口密度:約164.5人/k㎡
補足とまとめ
- 面積参照→アンドラ基礎データ|外務省より。
- 人口参照→アンドラ統計局より。
アンドラの由来
国名の由来は諸説あるとされており、定説はないようです。
1つの説として当時暮らしていたスペインの民族を指した言葉から生まれたとする説があります。
「アンドシンス」と呼ばれており、巨大といった意味合いをもつこの言葉が転じたものとする説です。
また、他の説として「アルダーラ」が転じたとするものがあります。
これはアラビア語で「木の繁る場所」といった意味合いをもつようです。
補足とまとめ
- まとめ→国名の由来は諸説あり、巨大を指す「アンドシンス」や木の繁る場所を指す「アルダーラ」が語源とする説がみられる。
アンドラの地域区分
アンドラの地域区分は7つの教区に分けられています。
それぞれの教区の中心となる場所も同じ名称であるため、教区と中心都市は上の地図の名称と一致しています。
元々は6つの教区から構成されていましたが、1978年(昭和53年)に7つの教区となりました。
その際には「アンドラ・ラ・ベリャ教区」から「アスカルダズ=アングルダーニ教区」が誕生したとされています。
現在アンドラ・ラ・ベリャ教区は一番面積は狭いですが、人口はもっとも多い場所となっています。
補足とまとめ
- 教区→教会に由来する区画の名称で、日本語では「郡」とも訳される。
- まとめ→アンドラの地域区分は、7つの教区に分けられている。首都であるアンドラ・ラ・ベリャはアンドラ・ラ・ベリャ教区に位置している。
アンドラの気候
アンドラの気候は、年間を通して比較的涼しいとされます。
冬の時期には積雪も多いことからスキーなどウィンタースポーツも楽しむことができます。
3月~5月
徐々に暖かくなってきますが、1日の寒暖差も大きくなっています。
また、5月頃は降水量が最も多くなりやすいですが、他の月と比べても大きく差はありません。
6月~8月
アンドラの夏は比較的涼しいことから、快適に過ごすことができます。
一方で朝や夜は少し寒くなることもあるようです。
9月~11月
冬に近づくにつれ、少しずつ昼でも寒くなり始めます。
特に11月になると日照時間も少なく、暗くなるのも早くなります。
12月~2月
寒さはだんだんと厳しくなり、積雪も本格化してきます。
最低気温はマイナスとなることもあるので、防寒対策は必要となってきます。
補足とまとめ
- まとめ→アンドラの気候は年間を通して涼しくなっている。3月~5月は暖かくなりはじめ、6月~8月は涼しい夏となる。9月~11月は寒くなりはじめ、12月~2月は積雪も本格的に降る。
現在のアンドラ首相
現在のアンドラの首相には、ザビエ・エスポット・ザモラさんが就任しています。
1979年(昭和54年)10月30日生まれで、アンドラ出身となっています。
2019年(令和元年)5月16日から首相を務めており、今回初当選となります。
大学では法学について学んでおり、学位も取得しているようです。
そのこともあるのか首相になるまでは、アンドラの法務大臣を務めていました。
補足とまとめ
- 首相名→「ジャビエル・エスポット」と表記されることもある。
- まとめ→2019年からザビエ・エスポット・ザモラさんが首相を務めている。
アンドラの国章・国旗
アンドラの国章
1969年(昭和44年)に、現在の国章が制定されました。
中央にはアンドラの歴史に関わりがあるものが描かれ、左上には司教の冠と杖があり、これはウルヘル司教を表現しています。
左下はウルヘル司教がいるスペインのカタルーニャ州の紋章であり、右上はフランスの君主の紋章に基づいたものとされます。
右下の紋章はフランスのものであり、ベアルン地方を表すものとなります。
それらを枠が囲むデザインとなっており、下の文字は「力を合わせれば強くなる」といった意味合いの国の標語となります。
アンドラの国旗
1971年(昭和46年)8月27日に、国旗が制定されました。
中央には国章が配されており、その関係上黄色は少し広めの範囲とされています。
左から青色、黄色、赤色の3色を採用しています。
これらはアンドラに関わりのあるフランスとスペインの国旗からとられました。
青色はフランス、黄色はスペイン、赤色は両国の国旗の色を使っています。
補足とまとめ
- ウルヘル司教→スペインの司教であり、アンドラの君主の1人。アンドラは歴史的な出来事からスペインとフランスの君主がいる。
- まとめ→1969年に国章が、1971年に国旗が制定。国章はスペインやフランスに関わりのある紋章があり、それらを枠で囲み下には国の標語が書かれています。国旗は左から青、黄色、赤を使用し、中央に国章を配置したデザイン。
アンドラのシンボルになっている花
アンドラの国花「エーデルワイス」
時期は不明ですが、アンドラの国花にエーデルワイスが選ばれています。
様々な国にエーデルワイスと呼ばれる花は分布しており、ヨーロッパではセイヨウウスユキソウと呼ばれる品種を指し場合がほとんどです。
日本の場合は、ハヤチネウスユキソウを始めとするウスユキソウに属しているもの全般を指すことが多いようです。
補足とまとめ
- まとめ→時期は不明だが、国の象徴として国花「エーデルワイス」のみが選ばれている。
アンドラの国歌
アンドラの賛歌
1917年(大正6年)に、アンドラの国歌として採用されました。
作詞はベンリョークさんが担当しており、この人物はアンドラの元首の1人であるウルヘル司教を務めていました。
作曲はマルファニさんが担当し、音楽に携わっていた人物です。
国歌として採用されてから初めて披露されたのは月日が少し経った後とされています。
尚、「偉大なるカルレマニ」の歌い出しとされており、その為か国歌に正式なタイトルは定まっていないようです。
補足とまとめ
- 採用年→採用されたのは1914年とする情報もあり。
- 国歌名→上記が広く知られているが、あくまで和訳の一例。
- カルレマニ→建国の父と伝えられる人物。
- まとめ→1917年に国歌「アンドラの賛歌」が採用。
アンドラの世界遺産
マドリウ=ペラフィタ=クラロ渓谷
2004年(平成16年)に、世界文化遺産として登録されました。
アンドラ南部に位置しており、当時の生活の様子が残されています。
残されているものとして、集落や畑、牧草地、石造りの道などがあります。
こういった文化的景観が評価されていますが、絶壁や氷河などの自然的景観も美しい場所です。
教会もいくつかあり、その中でも「サンタ・コロマ教会」が広く知られています。
補足とまとめ
- 登録名→「マデリウ-ペラフィタ-クラーロル渓谷」などで表記されることもある。
- まとめ→アンドラの世界遺産は文化遺産が1件登録されている。
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