更新情報:記事内容を更新(2025.3.1)
はじめに
このページは、秋田県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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仙北市の由来
2005年(平成17年)9月20日に、「角館町」「田沢湖町」「西木村」が合併、及び市制を施行したことによって、仙北市が成立しました。
市名については推測とはなってしまいますが、合併された町村が「仙北郡」に属していたことに由来したものと思われます。
今回新たな市名を付けるにあたり、住民によるアンケートが行われたそうで、結果としてはスムーズにいかなったそうです。
というのも、最終候補に残ったのは、「角館」や「田沢湖」といった吸収合併を連想させるものや、「みちのく」という違う地域の呼び名であったりしたためとされています。
そういったこともあり、「仙北」は一度候補から外されていたそうですが、最終的には市名として決定される運びとなりました。
- 読み方→「仙北市(せんぼくし)」「角館町(かくのだてまち)」「田沢湖町(たざわこまち)」「西木村(にしきむら)」
大仙市の由来
2005年(平成17年)3月22日に、「大曲市」「神岡町」「西仙北町」「中仙町」「協和町」「南外村」「仙北町」「太田町」が合併したことによって、大仙市が成立しました。
新しく市名をつけるにあたり、公募が行われたそうで、その結果「大仙市」と決定されたようです。
「大仙」という名称についてですが、これは合併された市町村名に由来したものとなっています。
まず、「大」という字は合併された市町村の中で唯一の市である「大曲市」の頭文字をとったものです。
次に「仙」の字については、合併された町村が「仙北郡」に属していたことから、これの頭文字をとり、合わせて「大仙」となりました。
- 読み方→「大仙市(だいせんし)」「大曲市(おおまがりし)」「神岡町(かみおかまち)」「西仙北町(にしせんぼくまち)」「中仙町(なかせんまち)」「協和町(きょうわまち)」「南外村(なんがいむら)」「仙北町(せんぼくまち)」「太田町(おおたまち)」
にかほ市の由来
2005年(平成17年)10月1日に、「仁賀保町」「金浦町」「象潟町」が合併、及び市制を施行したことによって、にかほ市が成立しました。
「にかほ」という名称については、地名でもある「仁賀保」をひらがな読みしたものになります。
今回漢字ではなく、ひらがな表記となっている理由については、情報を見つけることができませんでした。
しかし、他のひらがな表記の自治体をみてみると、読みやすさを重要視したり、親しみを持たせる為などの理由がほとんどであるため、にかほ市もこういった理由かもしれません。
「仁賀保」の由来は諸説あり、アイヌ語でニレの木の皮を意味する「にかぷ」が転じた説、「二ヶ保」が転じたとする説などがあり、「保」は今でいう群などの行政単位を指すようです。
- 読み方→「仁賀保町(にかほまち)」「金浦町(このうらまち)」「象潟町(きさかたまち)」
能代市の由来
1940年(昭和15年)10月1日に、「能代港町」「東雲村」「榊村」が合併、及び市制を施行したことによって、能代市が成立しました。
「能代」というの名称については、歴史をたどると「渟代」から転じていったものになります。
これがまずは「野代」と変化し、その後現在の表記である「能代」へと変更されていったようです。
「野代」から現在の表記へと変わった理由としては、大震災が起きてしまったことが背景にあります。
このとき、「野代」が「野に代わる」と読め、縁起が悪いということで、「能(よ)く代わる」として「能代」となったそうです。
- 読み方→「能代市(のしろし)」「能代港町(のしろみなとまち)」「東雲村(しののめむら)」「榊村(さかきむら)」「渟代(ぬしろ)」
八郎潟町の由来
1956年(昭和31年)に、「一日市町」と「面潟村」が合併したことによって、八郎潟町が成立しました。
町名の由来としては、八郎潟という湖に面していることから付けられたものと推測されています。
「八郎潟」の名称については、「八郎太郎」という人物の伝説に由来したものであるそうです。
記述によると、八郎太郎は人から龍へと姿を変えたといわれ、このことから人里には戻れないと悟ったといわれています。
その後放浪を続けた末に、この場所を住みかとして選んだそうで、そのことから「八郎潟」となったそうです。
- 読み方→「八郎潟町(はちろうがたまち)」「一日市町(ひといちまち)」「面潟村(おもがたむら)」
八峰町の由来
2006年(平成18年)3月27日に、「八森町」と「峰浜村」が合併したことによって、八峰町が成立しました。
「八峰」という名称の由来については、合併前の町村の文字を合わせた合成地名となっています。
つまり、「八森町」の「八」と、「峰浜村」の「峰」を組み合わせて、「八峰」ということです。
余談とはなりますが、元々は他の市町村を巻き込んで「白神市」となる予定となっていました。
しかし、この合併は叶わず、市名の由来である世界遺産の白神山地も、地域に含まれていないなどの反対意見もあり、八峰町と落ち着いたそうです。
- 読み方→「八峰町(はっぽうちょう)」「八森町(はちもりまち)」「峰浜村(みねはまむら)」「白神山地(しらかみさんち)」
東成瀬村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、「田子内村」「岩井川村」「椿川村」が合併したことによって、東成瀬村が成立しています。
「東成瀬」という名称の由来については、調べてはみたものの、情報を見つけることができませんでした。
ここからは憶測にはなりますが、「東」という字に関しては秋田県の東側であったり、位置してる場所に関連しているのかもしれません。
また、「成瀬」に関しては、村の中央部に成瀬川が流れており、このことも何かしら関係がありそうです。
こちらについては、また何か詳しい情報を発見でき次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「東成瀬村(ひがしなるせむら)」「田子内(たごない)」「岩井川(いわいかわ)」「椿川(つばきかわ)」
藤里町の由来
1963年(昭和38年)11月1日に、元々あった藤里村が町制を施行したことによって、藤里町が成立しました。
前身である藤里村は、1955年(昭和30年)、「藤琴村」と「粕毛村」が合併したことによって成立しています。
このときに「藤里」の名称ができましたが、その由来については、村の名称と関連したものからとったものです。
まず「藤」という字は、合併前にあった村である「藤琴村」から、「藤」の字をとっています。
「里」の字は粕毛村の名勝地であった「素波里」から「里」の字を取り、「藤里」となりました。
- 読み方→「藤里町(ふじさとまち)」「藤琴村(ふじことむら)」「粕毛村(かすげむら)」「素波里(すばり)」
美郷町の由来
2004年(平成16年)11月1日に、「千畑町」「六郷町」「仙南村」が合併したことによって、美郷町が成立しました。
「美郷」という名称は、合併前の町村名をみてもらうと分かるとおり、今回命名されたものとなります。
しかし、町名がどのように決定されていったのかは、しっかりとした情報を見つけることができませんでした。
他の都道府県にも「美郷」という名称の地域がありますが、これらは美しい故郷のイメージなどが由来となっています。
憶測とはなってしまいますが、秋田県の美郷町も、そういったことから名付けられたと考えられそうです。
- 読み方→「美郷町(みさとちょう)」「千畑町(せんはたまち)」「六郷町(ろくごうまち)」「仙南村(せんなんむら)」
三種町の由来
2006年(平成18年)3月20日に、「琴丘町」「山本町」「八竜町」が合併したことによって、三種町が成立しました。
三種町の名称については、この町に流れている三種川という川に、由来したものとなっています。
この「三種」という名称は、「長寿の種」「福禄の種」「楽の種」という3つの種が由来だそうです。
これは、三種川が「水甘くして毒なし、是長寿の種なり。山業・農稼滞りなし、是福禄の種なり。辺村昼夜交り遊び、楽の種なり。」と評されたことからきています。
この三種川のように一体感を持って、知恵を出しあい、活力あるまちづくりができるようにと願いをこめて、三種町となりました。
- 読み方→「三種町(みたねちょう)」「琴丘町(ことおかまち)」「山本町(やまもとまち)」「八竜町(はちりゅうまち)」
湯沢市の由来
1954年(昭和29年)に、「湯沢町」「岩崎町」「山田村」「三関村」「弁天村」「幡野村」が合併、及び市制を施行したことによって、湯沢市が成立しました。
「湯沢」という名称については、「湯ノ原」という戦いに敗れた武士が、ぬるま湯で体を癒していた地が由来だそうです。
「湯ノ原」がどのようにして「湯沢」となったのかは諸説あるとのことなので、今回2つの説を紹介していきます。
①「松沢」という地名があり、これと「湯ノ原」から1文字ずつとって「湯沢」となったとする説。
②単純に湯ノ原が湯のでる沢ということで、ここから「湯沢」へと表記されていったとする説。
- 読み方→「湯沢市(ゆざわし)」「岩崎町(いわさきまち)」「山田村(やまだむら)」「三関村(みつせきむら)」「弁天村(べんてんむら)」「幡野村(はたのむら)」
由利本荘市の由来
2005年(平成17年)3月22日に、「本荘市」「矢島町」「岩城町」「由利町」「西目町」「鳥海町」「東由利町」「大内町」が合併したことによって、由利本荘市が成立しました。
「由利本荘」という名称についてですが、こちらは合併された市町に由来したものだそうです。
まず、合併された場所には本荘市があったことから分かるとおり、ここから「本荘」の文字をとっています。
そして、「由利」については合併された町が由利郡に属していたことに由来し、合わせて「由利本荘」となりました。
ちなみに、「本荘」は「本城城」という城から転じたもので、「由利」は「百合の花」が由来とされています。
- 読み方→「由利本荘市(ゆりほんじょうし)」「矢島町(やしままち)」「岩城町(いわきまち)」「由利町(ゆりまち)」「西目町(にしめまち)」「鳥海町(ちょうかいまち)」「東由利町(ひがしゆりまち)」「大内町(おおうちまち)」
横手市の由来
1951年(昭和26年)4月1日に、横手町が「旭村」と「栄村」を編入、同時に市制を施行したことによって、横手市が成立しました。
「横手」という地名は古くからあり、その由来については諸説あるとのことで、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①昔は集落に流れている川がたびたび氾濫を起こしており、それを集落の横に堤を築いたとされる。
このことから「横手の土手」が省略かれ「横手」になったとする説であり、よくみられる説となっている。
②単純に、「横の方面にある集落」という意味で、「横手」が地名として定着していったとする説。
- 読み方→「横手市(よこてし)」「旭村(あさひむら)」「栄村(えいむら)」
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