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福岡県の市町村名の由来【50音順 志免町~築上町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.12.16)

はじめに

このページは、福岡県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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志免町の由来

1939年(昭和14年)4月17日に、元々あった志免村が町制を施行したことによって、志免町が成立しました。

前身である志免村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「志免」という地名の由来については、神聖な区域を分けるために用いられる、しめ縄にちなんだものとされていました。

志免町の隣には、宇美町が位置していますが、そこには宇美八幡宮と呼ばれる神社があります。

この宇美八幡宮のしめ縄がこの土地に張られたといわれており、それに由来して「志免」という地名ができたそうです。

  • 読み方→「志免町(しめまち)」

新宮町の由来

1954年(昭和29年)11月1日に、元々あった新宮村が町制を施行したことによって、新宮町が成立しました。

前身となる新宮村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「新宮」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①住吉神社と呼ばれる神社をこの地に移したことから、この地域を「新宮」と呼ぶようになったとする説。

②住吉の神をこの地に分霊し、磯崎神社としたことにちなんで、「新宮」となったとされている説。

  • 読み方→「新宮町(しんぐうまち)」

須恵町の由来

1953年(昭和28年)4月1日に、元々あった須恵村が町制を施行したことによって、須恵町が成立しました。

前身となる須恵村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「須恵」という地名の由来については、「須恵器」と呼ばれる陶器に由来したものとされています。

その名称が表す通り、古墳時代からこの地域において須恵器の生産が盛んに行われていたそうです。

そこから地名としての「須恵」が定着していくととなり、これが現在にまで残る形となりました。

  • 読み方→「須恵町(すえまち)」「須恵器(すえき)」

添田町の由来

1911年(明治44年)4月1日に、元々あった添田村が町制を施行したことによって、添田町が成立しました。

前身である添田村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「添田」という地名の由来については田に由来したものとされ、大国主命が出雲から英彦山に移り住んだことがはじまりとされます。

当時この地域は農耕に適している土地だったそうで、そのことから開拓が進められていきました。

その後、田を添えたところが「副田」となり、ここから「添田」と名付けられていったそうです。

  • 読み方→「添田町(そえだまち)」「大国主命(おおくにぬしのみこと)」「出雲(いずも)」「英彦山(ひこさん)」

田川市の由来

1943年(昭和18年)11月3日に、「伊田町」と「後藤寺町」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については新たに命名されたものとなっており、これは合併前の町が「田川郡」に属していたことにちなんだものと考えられそうです。

「田川」の地名は「鷹羽」「高羽」などの表記から転じていったものとされ、その由来としては諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①山に輝く鷹が舞い降りたことからその山は「鷹ノ巣山」と呼ばれるようになり、これにより「鷹羽」の地名ができたとする説。

②天皇の盃に鷹の羽が落ちたという話にちなんで、「鷹羽」と呼ばれるようになり地名となった説。

  • 読み方→「田川市(たがわし)」「伊田町(いたまち)」「後藤寺町(ごとうじまち)」

太宰府市の由来

1982年(昭和57年)4月1日に、元々あった太宰府町が市制を施行したことによって、太宰府市が成立しました。

太宰府町の前身となる太宰府村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「太宰府」という地名については「大宰府」が置かれたことに由来したものとされ、「大宰」と「府」はそれぞれ違う意味をもっています。

「大宰」は天皇の命により地区を治めていた役人を指し、「府」というのは役所を意味するして、ここから「大宰府」という名称ができました。

そして、現在においては「大宰府」は古代の役所に関連する場合に用いられ、地名については「太宰府」と分けられて使用されています。

  • 読み方→「太宰府市(だざいふし)」

大刀洗町の由来

1955年(昭和30年)3月31日に、「大刀洗村」「本郷村」「大堰村」が合併、及び町制施行したことによって成立しました。

町名については、合併された村の中にある大刀洗村から名称を引き継いだ形となっているようです。

「大刀洗」という名称に関しては、菊地武光と呼ばれる武将が川で太刀を洗ったことに由来したものとされます。

傷を負った際に刀についた血を川で洗い流したことから「太刀洗川」と呼ばれ、これが地名として定着しました。

ちなみに、この「太刀洗」と現在の表記が違っているのは、1889年(明治22年)の町村制施行の際に、「太刀洗村」として申請したところ、誤って「大刀洗村」と表記されてしまったことが原因といわれています。

  • 読み方→「大刀洗町(たちあらいまち)」「菊地武光(きくちたけみつ)」

筑後市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「羽犬塚町」「岡山村(一部)」「古川村」「水田村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名は新たに命名されたものとなっており、これは公募が行われた結果決定されたものであるようです。

かつて福岡県の南部の辺りは「筑後国」と呼ばれていた地域となっており、「筑後市」の名称はこれに由来します。

「筑後」という名称自体の由来については、元々は「筑紫国」と呼ばれていたことに関連したものです。

この筑紫国が時代とともに、「筑前国」と「筑後国」の2つの分割されることとなり、これが地名として残りました。

  • 読み方→「筑後市(ちくごし)」「羽犬塚町(はいぬづかまち)」「岡山村(おかやまむら)」「古川村(ふるかわむら)」「水田村(みずたむら)」「筑後国(ちくごのくに)」「筑紫国(つくしのくに)」「筑前国(ちくぜんのくに)」

筑紫野市の由来

1972年(昭和47年)4月1日に、元々あった筑紫野町が市制を施行したことによって、筑紫野市が成立しました。

前身である筑紫野町は、1955年(昭和30年)に合併により成立しており、町名はこのときに命名されているようです。

「筑紫野」の名称については、古来の呼び名である「筑紫」に由来したもので、この由来としては諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①険しい坂があり、馬の鞍をすり減らしてしまうということから「くらつくし」といわれ、これが「つくし」と転じたことに由来する説。

②「命つくしの神」と呼ばれた悪い神様を「つくしの神」として祀ったところ、安全になったという話に由来したものとされる説。

  • 読み方→「筑紫野市(ちくしのし)」「筑紫(つくし)」

築上町の由来

2006年(平成18年)1月10日に、「椎田町」の「築城町」が合併したことによって成立しました。

町名については新たに命名されたものとなっており、これはこの町が「築上郡」に属していることにちなんでいるようです。

「築上」という名称の由来については、1896年(明治29年)に、「築城郡」と「上毛郡」が合併したことから、それぞれの字をとってできたものとなります。

ちなみに、「築城」の名称の由来も調べてみましたが、こちらは特に情報は見つかりませんでした。

「上毛」に関しては、元々「三毛郡」であったのが、「上三毛郡」と「下三毛郡」に分かれ、これが縮んだものとなっています。

  • 読み方→「築上町(ちくじょうまち)」「椎田町(しいだまち)」「築城町(ついきまち)」「上毛郡(こうげぐん)」「三毛郡(みけのこおり)」

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