更新情報:記事内容を更新(2025.12.14)
はじめに
このページは、福岡県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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香春町の由来
1898年(明治31年)7月22日に、元々あった香春村が町制を施行したことによって、香春町が成立しました。
前身となる香春村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。
「香春」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①「カパル」といった、険しい場所であることなどを表す古代朝鮮語から転じたものとされている説。
②美しい川原という意味があるとされ、ここから「香春」という名称がつけられたとされる説。
- 読み方→「香春町(かわらまち)」
苅田町の由来
1924年(大正13年)8月1日に、元々あった苅田村が町制を施行したことによって、苅田町が成立しました。
前身である苅田村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。
「苅田」という地名の由来については、元々「かた」と呼ばれていた名称が転じたものとされています。
この「かた」というのは「潟」に由来したものとされており、湾を意味したものとなっているようです。
どのようにして変化していったのかについては特に情報は見つかりませんでしたが、ここから「苅田」の地名ができました。
- 読み方→「苅田町(かんだまち)」
北九州市の由来
1963年(昭和38年)2月10日に、「小倉市」「戸畑市」「門司市」「八幡市」「若松市」が合併したことによって成立しました。
市名については公募が行われており、このとき1位であったのは「西京市」という名称だったそうです。
しかし、「京」という字が入っていることに異論があったとされ、決定には至りませんでした。
この「北九州」という名称については、文字通り九州の北部に位置していることに由来しています。
ちなみに、このとき初めて使われた名称というわけではなく、以前より電車や大学などで使われていたことから、親しまれてきた名称だったそうです。
- 読み方→「北九州市(きたきゅうしゅうし)」「小倉市(こくらし)」「戸畑市(とばたし)」「門司市(もじし)」「八幡市(やはたし)」「若松市(わかまつし)」
鞍手町の由来
1955年(昭和30年)1月1日に、「剣町」「西川村」「古月村」が合併したことによって成立しました。
町名については新たに命名されたものとなりますが、これはこの地域が「鞍手郡」に属していることに由来したものと思われます。
「鞍手」という地名の由来については諸説あるとされますが、かつてこの地域を支配していた「筑紫国造」と呼ばれる人物にちなんでいるという説がよくみられました。
それによると、人が馬に乗る際に用いる鞍を射ぬくほどの弓の使い手であったとされ、「鞍橋君」と呼ばれるようになったそうです。
ここから、この「鞍橋」が転じたことで「鞍手」の名称ができ、地名として定着していきました。
- 読み方→「鞍手町(くらてまち)」「剣町(つるぎまち)」「西川村(にしかわむら)」「古月村(ふるつきむら)」「鞍橋君(くらじのきみ)」
久留米市の由来
1889年(明治22年)4月1日に、市制が施行されたことによって、久留米市が成立することとなりました。
「久留米」の名称は古くからありますが、その由来については諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介します。
①機織りをする集団「呉部」がいたとされ、「呉女」や「繰女」と呼んだことから、これが転じたとする説。
②皇族であった「来目皇子」の名称を語源として、ここから転じて「久留米」となったとされている説。
③筑後川が曲がりくねっていたことから、そのことを意味する「クルメク」から転じたとする説。
- 読み方→「久留米市(くるめし)」「呉女(くれめ)」「繰女(くりめ)」「来目皇子(くめのみこ)」「筑後川(ちくごがわ)」
桂川町の由来
1940年(昭和15年)4月17日に、元々あった桂川村が町制を施行したことによって、桂川町が成立しました。
前身である桂川村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立しており、村名としてはこのときに命名されているようです。
このとき、桂川村とした理由などについては、特にこれといった情報は見つかりませんでした。
また、同様に「桂川」という名称自体の由来に関しても、情報を見つけることができていません。
そのため、こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「桂川町(けいせんまち)」
上毛町の由来
2005年(平成17年)10月11日に、「新吉富村」と「大平村」が合併、及び町制施行したことによって成立しました。
町名は新たに命名されたものとなっており、これは以前存在していた「上毛郡」と呼ばれる郡域に位置していることに由来しています。
ちなみですが、上毛郡は合併により無くなっていて、現在はこの町も属している築上郡となっているようです。
「上毛」という地名の由来については、まず「上」の字が朝廷に近いことを表すとされています。
そして、「毛」の字は作物がよく実ることを表しているそうで、これを合わせて「上毛」となりました。
- 読み方→「上毛町(こうげまち)」「新吉富村(しんよしとみむら)」「大平村(たいへいむら)」「築上郡(ちくじょうぐん)」
古賀市の由来
1997年(平成9年)10月1日に、元々あった古賀町が市制を施行したことによって、古賀市が成立しました。
前身である古賀町は、1938年(昭和13年)に「席内村」が町制を施行した際に命名されたものとなります。
新たに町名が考えられたのは、古賀の地域にに駅を作ったことから、古賀町とすることにしたそうです。
「古賀」という地名の由来についてはよく分かっていないとされますが、「古閑」が転じたことによるものしています。
これは、かつてこの地域が野生動物しかいないほど荒地であることを意味した言葉であるそうです。
- 読み方→「古賀市(こがし)」「席内村(むしらうちちら)」「古閑(こが)」
小竹町の由来
1928年(昭和3年)1月1日に、勝野村が町制施行及び改称したことによって、小竹町が成立しました。
このとき、何故「勝野町」としなかったのかなどに関しては、情報を見つけることができていません。
前身となる勝野村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に6つの村の区域をもって成立していますが、このときにも特に「小竹」の名称はなかったようです。
この「小竹」の地名の由来については、街道沿いに小さい竹藪が生い茂っていたことに由来したものとされます。
この竹藪は町にまで続いており、人々により切り開かれたことから「小竹の処」といわれるようになったことにちなんでいるそうです。
- 読み方→「小竹町(こたけまち)」
篠栗町の由来
1927年(昭和2年)1月1日に、元々あった篠栗村が町制を施行したことによって、篠栗町が成立しました。
前身となる篠栗村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、「篠栗」という地名の由来については不明な部分もあるそうです。
その中でみつけた情報によると、古くには篠栗の他に「笹栗」という表記もあったとされています。
その由来としては、「ササクル」という言葉から転じたことによる地名である説がありました。
これは小さく裂けたような地形を表したものとされ、ここから「ササグリ」に転じたとしています。
- 読み方→「篠栗町(ささぐりまち)」

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