更新情報:記事内容を更新(2025.11.18)
はじめに
このページは、奈良県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
奈良県の由来についてはこちら
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奈良市の由来
1898年(明治31年)2月1日に、元々あった奈良町が市制を施行したことによって、奈良市が成立しました。
前身である奈良町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。
「奈良」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①この地域が平らに「ならした」ような地形であったことから、これに由来して「ナラ」となった説。
②「クニナラ」という国の都を指した朝鮮語があるそうで、これに由来したものとされている説。
- 読み方→「奈良市(ならし)」
野迫川村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、野迫川村が成立することとなりました。
このとき、14の村が合併していますが、村名についてはこのとき新たに命名されたものとなっています。
「野迫川」という名称については、「野川組」「迫組」「川並組」からそれぞれ1文字ずつとった合成地名であるようです。
合併された村の中には「一郷組」に属する村もありましたが、こちらの名称は使われていません。
ちなみに、「組」というのは当時あった行政区画の一つであり、村の中でも区分があったそうです。
- 読み方→「野迫川村(のせがわむら)」
東吉野村の由来
1958年(昭和33年)3月1日に、「小川村」「四郷村」「高見村」が合併したことによって成立しました。
村名は新たに命名されたものとなり、「東吉野」という名称は、属している吉野郡の東部に位置していることに由来したものと考えられそうです。
こちらははっきりとした情報が見つからなかったので、もし何か見つけましたら改めて追記していきます。
そもそもの「吉野」の名称ですが、奈良県は古くには「大和国」と呼ばれており、その中でも南部の地域を指していたそうです。
しかしながら、何故「吉野」と呼ばれるようになったのかなど、この辺りも詳細は不明となっていました。
- 読み方→「東吉野村(ひがしよしのむら)」「小川村(おがわむら)」「四郷村(しごうむら)」「高見村(たかみそん)」「大和国(やまとのくに)」
平群町の由来
1971年(昭和46年)2月1日に、元々あった平群村が町制を施行したことによって、平群町が成立しました。
前身である平群村は、1896年(明治29年)に明治村が改称したことによって成立し、以前は平群郡に属していたことからついた名称と考えられそうです。
「平群」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①平群山という山があったことから、これに由来して地名として定着していったとされている説。
②抉られたような地形や、侵食された地形を指す「ヘグニ」という言葉が転じていったとされる説。
- 読み方→「平群町(へぐりちょう)」「明治村(めいじむら)」「生駒郡(いこまぐん)」
御杖村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、御杖村が成立することとなりました。
「御杖」という名称はこのときに命名されていますが、そのの由来については、倭姫と呼ばれる皇族がこの村に宿泊した際の話にちなんだものです。
それによると、一泊されたあと杖を古いものから新しいものに変えたそうで、その際古いものは置いていったとされています。
その置かれた杖を村人が見つけた際に忘れていたものと思い、神様の杖ということで「御杖」と呼ぶようになったそうです。
ちなみに、元々倭姫は神である天照大神を祀るのに相応しい地を探して旅をしていたことから、候補の印として杖を置いていったとする説もあるとしています。
- 読み方→「御杖村(みつえむら)」「倭姫(やまとひめ)」「天照大神(あまてらすおおみかみ)」
三宅町の由来
1974年(昭和49年)4月1日に、元々あった三宅村が町制を施行したことによって、三宅町が成立しました。
前身である三宅村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立しており、村名としてこのときに命名されているようです。
「三宅」という名称の由来については、古くには「屯倉」で「みやけ」と呼ばれており、これが転じて今の表記になったとされています。
屯倉というのは、かつてあった大和朝廷が直接支配をしていた土地のことを指しているそうです。
当時は稲作などが盛んに行われており、穀倉地帯であったといわれ、そのことから「屯倉」と呼ばれるようになったとしています。
- 読み方→「三宅町(みやけちょう)」
山添村の由来
1956年(昭和31年)9月30日に、「豊原村」「波多野村」「東山村」が合併したことによって成立しました。
「山添」という名称はこのときに命名されたもので、その由来としてはいくつかの理由に基づいたものとしています。
まず、合併された村が「山辺郡」と「添上郡」に属していて、このことからそれぞれの字を取って「山添」としました。
そして、これに加えて山間の村であることから山を中心に寄り添って成長、発展させていくという願いを込めたそうです。
こういった理由などから、この村の将来を祝福して山添村と命名するに至ったとされていました。
- 読み方→「山添村(やまぞえむら)」「豊原村(とよはらそん)」「波多野村(はたのそん)」「東山村(ひがしやまそん)」「山辺郡(やまべぐん)」「添上郡(そえかみぐん)」
大和郡山市の由来
1954年(昭和29年)1月1日に、郡山町が改称及び市制施行したことによって、大和郡山市が成立しました。
改称に至った経緯としては、市となる際に既に福島県に郡山市があったことが原因と思われます。
そんな「大和郡山」という名称の「大和」については、古くにこの場所が「大和国」と呼ばれていたことにちなんだものです。
そして、「郡山」の由来としては、山にあった「郡家」に関連しているとされ、区画である郡を治める郡司がいたとしています。
戦国時代には「郡山城」も築城されており、ここから地名として定着していったと考えられているようです。
- 読み方→「大和郡山市(やまとこおりやまし)」「大和国(やまとのくに)」「郡家(こおりのみやけ)」
大和高田市の由来
1948年(昭和23年)1月1日に、元々あった高田町が改称、及び市制施行したことによって、大和高田市が成立しました。
改称に至った理由についてですが、これは当時新潟県に高田市があったことが関係したものです。
「大和」はかつて「大和国」があったことに由来したもので、「高田」の地名は「高田丘」に由来したものとしています。
しかし、この「高田」の由来についての詳しい情報については見つけることが出来ていません。
そのため、こちらに関してはまた情報が詳しく分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「大和高田市(やまとたかだし)」
吉野町の由来
1928年(昭和3年)4月24日に、元々あった吉野村が町制を施行したことによって、吉野町が成立しました。
前身である吉野村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。
「吉野」という地名については、古くから存かつてあった大和国の南部一帯を指していたとされています。
「芳野」とも表記されていたとされ、ここから現在の表記に転じたしていますが、詳しいことは分かりませんでした。
こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「吉野町(よしのちょう)」


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