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奈良県の市町村名の由来【50音順 桜井市~十津川村】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.11.18)

はじめに

このページは、奈良県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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桜井市の由来

1956年(昭和31年)9月1日に、「桜井町」「香久山村」「大福村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、合併された町村の中で唯一の町である、桜井町から名称を引き継いだ形となっています。

「桜井」という地名は古くからあるようで、由来としては「桜の井」と呼ばれていた井戸にちなむそうです。

これは、履中天皇という天皇が清水に感動したという話からきているそうで、これが転じて「桜井」となったとしています。

しかし、何故「桜の井」と名付けたのかなどについては、情報を見つけることが出来ませんでした。

  • 読み方→「桜井市(さくらいし)」「香久山村(かぐやまむら)」「大福村(だいふくむら)」「履中天皇(りちゅうてんのう)」

三郷町の由来

1966年(昭和41年)4月1日に、元々あった三郷村が町制を施行したことによって、三郷町が成立しました。

前身である三郷村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立しており、このときに命名されたものとなります。

「三郷」という名称については、「勢野村」「立野村」「南畑村」の3つの村による合併であったことに由来したものです。

ちなみに、当初は「三郷」の読み方「みさと」であったとされ、町制施行時に「さんごう」になったとしています。

これは、近くにあった「三宅村」とよく聞き間違えられたことが理由といった情報がありました。

  • 読み方→「三郷村(みさとむら)」「三郷町(さんごうちょう)」「三宅村(みやけむら)」

下市町の由来

1890年(明治23年)2月24日に、元々あった下市村が町制を施行したことによって、下市町が成立しました。

前身である下市村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「下市」という地名の由来については、平安時代の頃より市場が開かれていたことにちなむとされています。

これは、「上市」に対する呼び名であったようで、交易も盛んに行われていたとされるそうです。

貴族などが、この地域に進出してきたことが要因の1つであり、毎月2日と7日には市が開かれるようになりました。

  • 読み方→「下市町(しもいちちょう)」

下北山村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、下北山村が成立することとなりました。

このとき、10の村の区域をもって成立していますが、「下北山」の名称はないことからこのときに村名として命名されたようです。

そんな「下北山」の由来としては、この地域が古くには「北山郷下組」と称されていたことに由来します。

当時は「紀伊国」という場所があり、この地域はその北部に位置していたことから「北山郷」と呼ばれていました。

そして、北山郷の中において「上組」と「下組」に分かれていたことから、「北山郷下組」となったそうです。

  • 読み方→「下北山村(しもきたやまむら)」「紀伊国(きいのくに)」

曽爾村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、曽爾村が成立することとなりました。

このとき、8の村を合併して成立していますが、「曽爾村」という村がないことから、このときに命名されたものであるようです。

しかし、「曽爾」という地名の由来を調べてみたところ、特にこれといった情報を見つけることができませんでした。

「蘇邇」など、漢字の表記は違いますが、「ソニ」自体の名称は古くから使われてきているようです。

こちらの由来については、また情報が詳しく分かり次第、改めて追記していこうと思っています。

  • 読み方→「曽爾村(そにむら)」

高取町の由来

1891年(明治24年)6月3日に、元々あった高取村が町制を施行したことによって、高取町が成立しました。

前身である高取村は、1889年(明治22年)の町村制施行時の合併により成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「高取」の由来については、高取山という山に城を築いたことで「高取城」となり、そこから地名として定着したとされます。

「高取山」自体の由来については情報があまり見つかりませんでしたが、古くには「鷹鞭山」と呼ばれていたそうです。

「鞭」とは神を指す言葉らしく、鷹の神がいたことから付けられた名称とされており、この鷹鞭山が転じた、もしくは鷹を捕らえていた山だったことに由来するといわれています。

  • 読み方→「高取町(たかとりちょう)」「高取山(たかとりやま)」「鷹鞭山(たかむちやま)」

田原本町の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、田原本村の区域をもって田原本町が成立しました。

「田原本」の名称は古くからあり、その由来については諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介します。

①詳細は見つからなかったが、古くには「俵本」と表記されていたことから、これが転じたとする説。

②連というヤマト政権下において、高位の豪族に送られる称号をもった「多米連」が住んでいたそうで、これがどんどん転じていったとされる説。

③「タワ」が低地を表しており、「モト」が場所を表した言葉として、地形に由来したものであるという説。

  • 読み方→「田原本町(たわらもとちょう)」「多米連(ためのむらじ)」

天川村の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、天川村が成立することとなりました。

このとき、多数の村の区域をもって成立していますが、そのときには天川村という村はなかったことから、新たに命名されているようです。

「天川」という名称の由来については、「天河大辨財天社」と呼ばれる神社にちなんだものとされています。

古くには皇子が戦いの際に琴を演奏していると、天女が勝利の祝福を示したといわれ、その後、戦いに勝利した皇子は天女のために神殿を造りました。

その神殿を「天の安河の宮」とし、これが天川村の由来になり「天河大辨財天社」の始まりともされているようです。

  • 読み方→「天川村(てんかわむら)」「天河大辨財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)」

天理市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「櫟本町」「丹波市町」「柳本町」「朝和村」「二階堂村」「福住村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については新たに命名されたものとなり、これは「天理教」と呼ばれる宗教に由来したものです。

この地には天理教の本部があり、地域の中心部には天理教に関連した施設も多くある存在しています。

こういったこともあり、宗教の町として知られているということを理由の1つとして、市名に「天理」を採用したようです。

ちなみにですが、現在において宗教の名称を冠している市は、この天理市だけとなっていました。

  • 読み方→「天理市(てんりし)」「櫟本町(いちのもとちょう)」「丹波市町(たんばいちちょう)」「柳本町(やなきもとちょう)」「朝和村(あさわむら)」「二階堂村(にかいどうむら)」「福住村(ふくすみむら)」

十津川村の由来

1890年(明治23年)6月13日に、「北十津川村」「十津川花園村」「東十津川村」「中十津川村」「西十津川村」「南十津川村」が合併したことによって成立しました。

合併された村には全て「十津川」の名称がついていることから、「十津川村」と命名されたのは自然であるといえます。

古くには「遠津川」と表記で記載されていたそうで、これが転じたことで現在の表記になりました。

ちなみにこれは、字が表す通り港から遠いという意味をもって命名されたものであるそうです。

しかし、何故「十津川」と変化することになったのかは情報がなかったので、もし見つけましたら改めて追記をしていきます。

  • 読み方→「十津川村(とつかわむら)」「北十津川村(きたとつかわむら)」「十津川花園村(とつかわはなぞのむら)」「東十津川村(ひがしとつかわむら)」「中十津川村(なかとつかわむら)」「西十津川村(にしとつかわむら)」「南十津川村(みなみとつかわむら)」

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