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大分県の市町村名の由来【50音順 宇佐市~竹田市】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を変更(2025.3.15)

はじめに

このページは、大分県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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大分県知識まとめ

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大分県の市町村の由来【50音順 津久見市~由布市】

宇佐市の由来

1967年(昭和42年)に、「宇佐町」「駅川町」「四日市町」「長洲町」が合併、及び市制を施行したことによって、宇佐市が成立しました。

市名を「宇佐」として理由などについては情報が見つかりませんでしたが、合併前の町が「宇佐郡」に属していたことなどが、関係しているのかもしれません。

「宇佐」の地名の由来については、情報をあまり見つけることができませんでしたが、1つの説がありました。

それは、地形に由来するとされ、砂を表す「いさ」という言葉から「うさ」へと転じたものとする説です。

こちらについては、また何か新しい情報を見つけることができたら、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「宇佐市(うさし)」「駅川町(えきせんまち)」「四日市町(よっかいちまち)」「長洲町(ながすまち)」

臼杵市の由来

1950年(昭和25年)4月1日に、「臼杵町」と「海辺村」が合併、及び市制を施行したことによって、臼杵市が成立しました。

前身である臼杵町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より地名としてあったようです。

「臼杵」という名称については、この地域にある臼塚古墳に立っている石像に由来しています。

この石像が臼や杵の形に似ていることから、「うすきね様」という名称で呼ばれていたそうです。

また、地域の住民にも親しまれていたことから、これに由来して「臼杵」となったとされています。

  • 読み方→「臼杵市(うすきし)」「海辺村(あまべむら)」「臼塚古墳(うすづかこふん)」

大分市の由来

1911年(明治44年)に、元々あった大分町が市制を施行したことによって大分市が成立しました。

前身である大分町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、名称自体は以前よりあったようです。

「大分」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①多くの田があったことから「多き田」となり、これが転じたことで「大分」となったとしている説。

②広大な土地であったことから「碩田(おおきた)」と名付けられ、これが転じたとしている説。

  • 読み方→「大分市(おおいたし)」

杵築市の由来

1955年(昭和30年)4月1日に、「杵築町」「八坂村」「北杵築村」「奈狩江村」が合併、及び市制を施行したことによって、杵築市が成立しました。

前身である杵築町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より地名はあったようです。

「杵築」の由来についてですが、元々は「木付」と表記されていたのが変わったものとされています。

一説によると「木付」は、この地にあった大木が倒れたときに、海を越えて対岸まで届いたという話に由来するそうです。

また、その他の説としてあったのが、元は「木村」という地名だったのが表記を誤り、「木付」になったとする情報もありました。

  • 読み方→「杵築市(きつきし)」「八坂村(やさかむら)」「北杵築村(きたきつきむら)」「奈狩江村(なかりえむら)」

玖珠町の由来

1927年(昭和2年)4月1日に、「万年村」が町制施行、及び改称したことによって、玖珠町が成立しました。

何故改称するに至ったのかは理由が見つかりませんでしたが、町名は「玖珠郡」に属していることに由来したものかもしれません。

このあたりについては、また何か情報が見つかりましたら、改めて追記をしていこうと思います。

「玖珠」という名称の由来としては、この地にあった大きなクスの木に関する話にちなむそうです。

これは日当たりが悪くなり、作物が育たなくて困っていた人々の為に、通りすがりの大男が木を切り倒したという話になります。

  • 読み方→「玖珠町(くすまち)」「万年村(まんねんむら)」

国東市の由来

2006年(平成18年)に、「国東町」「国見町」「武蔵町」「安岐町」が合併、及び市制を施行したことによって、国東市が成立しました。

前身である国東町は、1894年(明治27年)に「国崎村」が町制を施行して成立しましたが、このときに「国東」と改称したようです。

「国東」という名称は、位置している場所に由来したものとされ、九州で考えると国東の地域は一番東側にあります。

景行天皇が九州を訪れた際、九州を一つの「国」として「東」の先にあると表現したそうです。

そのことから、「東」の読み方を「先」の読み方をとって「くにさき」と呼ばれるようになったといわれています。

  • 読み方→「国東市(くにさきし)」「国見町(くにみちょう)」「武蔵町(むさしまち)」「安岐町(あきまち)」「景行天皇(けいこうてんのう)」

九重町の由来

1955年(昭和30年)2月1日に、「野上町」「飯田村」「東飯田村」「南山田村」が合併したことによって、九重町が成立しました。

合併前の町村には「九重」という名称はないことから、新たに町名として命名されたものとなります。

「九重」という名称は、「九重九湯」と呼ばれる温泉があることに由来したものだそうです。

これは1つの温泉というわけではなく、町内にある特定の9つの温泉を指した言葉となっています。

町名を「九重」とした理由については情報を見つけることができませんでしたが、「九重山」があることにも関連してるかもしれません。

  • 読み方→「九重町(ここのえまち)」「野上町(のがみまち)」「飯田村(はんだむら)」「東飯田村(ひがしはんだむら)」「南山田村(みなみやまだむら)」「九重山(くじゅうさん)」「九重九湯(ここのえきゅうとう)」

佐伯市の由来

1941年(昭和16年)4月29日に、「佐伯町」「八幡村」「大入島村」「西上浦村」が合併、及び市制を施行したことによって、佐伯市が成立しました。

読み方は元々「さえき」でありましたが、訛りに合わせて「さいき」と変更をされたそうです。

「佐伯」という名称の由来としては、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①佐伯市にある大入島に塞がれたような地形であったことから、塞ぐといった意味がある「さへぐ」が転じたとする説。

②この地を治めたとされる、佐伯という人物に由来して、それが地名となったとされている説。

  • 読み方→「佐伯市(さいきし)」「八幡村(やはたむら)」「大入島村(おおにゅうじまむら)」「西上浦村(にしかみうらむら)」

竹田市の由来

1954年(昭和29年)3月31日に、「竹田町」「玉来町」「嫗岳村」「城原村」「菅生村」「豊岡村」「入田村」「松本村」「宮砥村」「宮城村」が合併、及び市制施行をしたことによって、竹田市が成立しました。

「竹田」は、1889年(明治22年)の町村制が施行される以前よりあったことから、古い名称であるようです。

その地名の由来について調べてみたところ、良く分かっていない部分もあるようですが、2つの説がありましたので、紹介していこうと思います。

①字が表している通り、「竹の多かった場所」であったことから「竹田」となったとされる説。

②「竹田」という人物の名前に由来している説であるが、この説については不明な部分もある。

  • 読み方→「竹田市(たけたし)」「玉来町(たまらいまち)」「嫗岳村(うばだけむら)」「城原村(きばるむら)」「菅生村(すごうむら)」「豊岡村(とよおかむら)」「入田村(にゅうたむら)」「松本村(まつもとむら)」「宮砥村(みやどむら)」「宮城村(みやぎむら)」

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