更新情報:記事内容を更新(2025.3.8)
はじめに
このページは、岩手県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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一関市の由来
1948年(昭和23年)4月1日に、「一関町」「山目町」「中里村」「真滝村」が合併、及び市制を施行したことによって、一関市が成立しました。
市名である「一関」という地名は古くからあり、これが現在に至るまで受け継がれているようです。
そんな「一関」の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①川の氾濫を防ぐ目的で堰が作られ、一番目の堰であったことから「一ノ堰」と呼ばれたことで、これが転じたとする説。
②「一関」「二関」「三関」という平泉の関所が場所があったといわれ、これが由来となったとする説。
- 読み方→「一関市(いちのせきし)」「山目町(やまのめまち)」「中里村(なかさとむら)」「真滝村(またきむら)」「堰(せき)」「平泉(ひらいずみ)」
一戸町の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、「一戸村(一部)」と「高善寺村」が合併したことによって、一戸町が成立しました。
「一戸」という名称については、かつてこの辺りの地域を、「一戸」から「九戸」という9つの地区に分けたことに由来しています。
かつてこの地域は馬の産地として知られていたといわれ、その牧場を一戸から九戸まで分けたそうです。
つまりここはその中の「一戸」の地域に該当し、「戸」の表記については、単純に「地区」といった意味合いだと考えられています。
また、「戸」の由来は諸説あり、牧場の木戸に由来する説、傭兵の駐屯地である「柵戸」が由来とする説などがあるようです。
- 読み方→「一戸町(いちのへまち)」「九戸(くのへ)」「柵戸(きのへ・きへ)」
岩泉町の由来
1922年(大正11年)8月1日に、元々あった岩泉村が町制を施行したことによって、岩泉町が成立しました。
前身である岩泉村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、それ以前より「岩泉」の地名はあったようです。
その「岩泉」の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①名称にある通り、岩の間から泉が湧き出ていたことから、「岩泉」とよばれるようになった説。
②アイヌ語で「イワ」「エッ」「ムイ」という言葉があり、それぞれの文字を合わせると「岩が突き出る傾いた土地」といった意味になり、これが転じたとする説。
- 読み方→「岩泉町(いわいずみちょう)」
岩手町の由来
1955年(昭和30年)7月21日に、「沼宮内町」「一方井村」「川口村」「御堂村」が合併したことによって、岩手町が成立しました。
町名については、これらの地域が「岩手郡」に属していることに由来したものとなっています。
「岩手」という名称については、ある伝説に由来しており、それによると三ツ石様と呼ばれる人々の信仰を集める石があったそうです。
あるとき鬼がやってきて人々に悪さをしていたことから、三ツ石様に懲らしめるようお願いをしたところ、神様が鬼を石に縛り付けたといわれています。
そして、鬼が許しをこいたとき、二度と悪さをしない証をたてさせたそうで、「三ツ石」に「手形」をつけたことから、「岩手」となったそうです。
- 読み方→「岩手町(いわてまち)」「沼宮内町(ぬまくないまち)」「一方井村(いっかたいむら)」「川口村(かわぐちむら)」「御堂村(みどうむら)」
奥州市の由来
2006年(平成18年)に、「水沢市」「江刺市」「前沢町」「胆沢町」「衣川村」が合併したことによって、奥州市が成立しました。
どのような経緯で市名をつけたのかについては情報がみつかりませんでしたが、衣川村の職員による案だそうです。
「奥州」の名称自体は古くからあり、現在の一部東北地方は、かつて「陸奥国」と呼ばれていました。
この陸奥国の別称が「奥州」であったそうで、今回これに由来して、市の名称となったようです。
こちらについては、経緯や詳しい由来などが分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「奥州市(おうしゅうし)」「水沢市(みずさわし)」「江刺市(えさしし)」「前沢町(まえさわちょう)」「胆沢町(いさわちょう)」「衣川村(ころもがわむら)」「陸奥国(むつのくに)」
大槌町の由来
1889年(明治22年)4月1日に、「大槌村」「小槌村」「吉里吉里村」が合併、及び町制を施行したことによって、大槌町が成立しました。
「大槌」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①崎に包まれた土地ということで、包むが「ツツ」となり、これが転じてできたとしている説。
②船着き場という意味がある「津地」という言葉から転じて、「大槌」「小槌」となったとする説。
③アイヌ語で「川尻にいつも鮭止めかける川」といった意味がある「オオ・シツ・ウツ・ベツ」が転じたとする説。
- 読み方→「大槌町(おおつちちょう)」「小槌村(こづちむら)」「吉里吉里村(きりきりむら)」「津地(つち)」
大船渡市の由来
1952年(昭和27年)4月1日に、「大船渡町」「盛町」「赤崎村」「猪川村」「立根村」「日頃市村」「末崎村」が合併、及び市制を施行したことによって、大船渡市が成立しています。
市名についてですが、合併前に「大船渡町」があることから、この名称が受け継がれたものと考えられますが、どういった理由なのかは分かりませんでした。
「大船渡」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①「大きな船着き場」があったとされ、これに由来して「大船渡」と呼ばれるようになったとする説。
②地形が尾根状になっていることから、「周辺より高いところ」を意味する「うなと」や「おねと」が転じたとする説。
- 読み方→「大船渡市(おおふなとし)」「盛町(さかりちょう)」「赤崎村(あかさきむら)」「猪川村(いかわむら)」「立根村(たっこんむら)」「日頃市村(ひころいちむら)」「末崎村(まっさきむら)」
金ケ崎町の由来
1925年(大正14年)9月1日に、元々あった金ヶ崎村が町制を施行したことによって、金ヶ崎町が成立しました。
「ヶ」については小さい表記をすることもありましたが、現在では「ケ」に統一されているそうです。
「金ケ崎」という地名については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①直角に曲がった州崎を意味する「矩が崎」という言葉が転じて「金ヶ崎」となったとする説。
②扇状地の出崎を意味している「川根が崎」が転じたことで「金ヶ崎」となったとしている説。
- 読み方→「金ヶ崎町(かねがさきちょう)」「矩(かね)」
釜石市の由来
1937年(昭和12年)5月5日に、元々あった釜石町が町制を施行したことによって、釜石市が成立しました。
「釜石」という地名の由来については、諸説あるそうなので、今回3つの説を紹介していこうと思います、
①「釜石」と名前にある通り、釜で作られた石を多く産出していたことに由来しているという説。
②アイヌ語に由来しているとされ、魚を干す場所を意味する「クマ・ウシ」が転じたとする説。
③同じくアイヌ語で、平岩のある場所を指す「カマ・ウシ」に由来して「釜石」となったとする説。
- 読み方→「釜石市(かまいしし)」
軽米町の由来
1925年(大正14年)1月1日に、元々あった軽米村が町制を施行したことによって、軽米町が成立しました。
前身である軽米村は1889年(明治22年)に成立していますが、以前より「軽米」の地名はあり、その由来は諸説あるとのことで、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①アイヌ語でうねり曲がった流域を意味する「カル・モイ」という言葉が由来としている説。
②フキの葉がとれる、もしくは回り道があるところを意味する「カル・オマイ」が由来とされる説。
③焼畑の用語で崖を指す「カル(刈)」という言葉に由来して「カルマイ」となったとされる説。
- 読み方→「軽米町(かるまいまち)」
北上市の由来
1954年(昭和29年)4月1日に、「黒沢尻町」「飯豊村」「鬼柳村」「更木村」「二子村」「相去村」「福岡村」が合併、及び市制を施行したことによって、北上市が成立しました。
合併前の町村には「北上」の名称はなく、今回新たに命名されていますが、この地域にある「北上川」などが由来になります。
この「北上」という名称自体は「日高見」に由来しているそうで、これが転じて「キタカミ」となったそうです。
詳しい範囲は不明となっていますが、この地域も含めてかつて「日高見国」と呼ばれていたといわれています。
そこに流れている川こそ、「日高見川」と呼ばれており、「キタカミ川」→「北上川」と転じた経緯があるようです。
- 読み方→「北上市(きたかみし)」「黒沢尻町(くろさわじりちょう)」「飯豊村(いいとよむら)」「鬼柳村(おにやなぎむら)」「更木村(さらきむら)」「二子村(ふたこむら)」「相去村(あいさりむら)」「福岡村(ふくおかむら)」「日高見(ひたかみ)」「日高見国(ひたかみのくに)」
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