更新情報:記事内容を更新(2025.3.5)
はじめに
このページは、茨城県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
茨城県の由来についてはこちら
他の市町村についてはこちら
常陸太田市の由来
1954年(昭和29年)7月15日に、太田町が「機初村」「西小沢村」「幸久村」「佐竹村」「誉田村」「佐都村」を編入しました。
それと同時に「常陸太田町」と改称し、更に市制を施行したことによって、常陸太田市が成立しています。
本来は太田市となるところ、常陸太田市という名称になったのは、群馬県に既に太田市が存在していた為です。
太田の前にある「常陸」とは、かつて茨城県の大部分の地域が「常陸国」呼ばれていたことに由来しています。
「常陸」自体の名称については諸説ありますが、1つの道が続く「直通(ひたみち)」が由来とする説があります。
- 読み方→「常陸太田市(ひたちおおたし)」「機初村(はたそめむら)」「西小沢村(にしおざわむら)」「幸久村(さきくむら)」「佐竹村(さたけむら)」「誉田村(ほんだむら)」「佐都村(さとむら)」「常陸国(ひたちのくに)」
常陸大宮市の由来
2004年(平成16年)10月16日に、大宮町が「山方町」「美和村」「緒川村」「御前山村」を編入し、同時に常陸大宮町へと改称しました。
即日市制を施行して常陸大宮市が成立しましたが、改称に至ったのは埼玉県の大宮と区別する為です。
「大宮」という地名については、この地域にある甲神社の尊称が「甲大宮」であったことに由来したものとなります。
元々この地域は「部垂」と呼ばれていましたが、語呂が悪いということで、「大宮」となったそうです。
今回市名にある「常陸」というのは、茨城県の大部分を占める地域が、かつて「常陸国」と呼ばれていたことに由来しています。
- 読み方→「常陸大宮市(ひたちおおみやし)」「山方町(やまがたまち)」「美和村(みわむら)」「緒川村(おがわむら)」「御前山村(ごぜんやまむら)」「甲神社(かぶとじんじゃ)」「部垂(へたれ)」「常陸国(ひたちのくに)」
日立市の由来
1939年(昭和14年)9月1日に、「日立町」と「助川町」が合併、及び市制を施行したことによって、日立市が成立しました。
「日立」という名称については、「日の立ち昇るところ領内一」と称えられたことが由来となります。
というのも、水戸黄門で知られる徳川光圀がこの地域に訪れ、海に浮かぶ朝日の美しさに感動したそうで、上記のように称えたそうです。
また、ここ日立市は、総合電気メーカーである「日立」が創業した地としても知られています。
今回市名をつけるにあたり、元々日立の地名があったのももちろんですが、知名度のある「日立」の存在も大きかったようです。
- 読み方→「日立市(ひたちし)」「助川町(すけがわまち)」「徳川光圀(とくがわみつくに)」
ひたちなか市の由来
1994年(平成6年)11月1日に、「勝田市」と「那珂湊市」が合併したことによって、ひたちなか市が成立しました。
「ひたちなか」という名称については、「常陸国」と「那珂郡」という、2つに由来したものです。
「常陸国」とは、かつてこのあたりの地域を指す行政区分の名称で、現在の茨城県の大部分を占めます。
ひたちなか市は、この常陸国の中心にあたる場所に位置していたそうで、これが由来の1つです。
「なか」に関しては、かつて「那珂郡」に属していた地域であり、親しみや書きやすさを考えた結果、「ひたち」と合わせて平仮名表記となりました。
- 読み方→「勝田市(かつたし)」「那珂湊市(なかみなとし)」「常陸国(ひたちのくに)」「那珂郡(なかぐん)」
鉾田市の由来
2005年(平成17年)10月11日に、「鉾田町」「旭村」「大洋村」が合併、及び市制を施行したことによって、鉾田市が成立しました。
市となる以前より「鉾田」の名称は存在しており、今回公募によって市の名称として引き継がれたそうです。
そんな「鉾田」の地名は「鉾多」が転じたものとされ、由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①槍などの武器や用器が多く掘り出されたことから「鉾多」となり、これが転じたとする説。
②「鉾多」とは、3つの鈴を祀る意味があるといわれており、これが転じて「鉾田」となったとする説。
- 読み方→「鉾田市(ほこたし)」「旭村(あさひむら)」「大洋村(たいようむら)」
水戸市の由来
1889年(明治22年)4月1日に、市制が施行されたことによって、水戸市が成立することとなりました。
「水戸」という地名は古くからありますが、その由来については諸説あるとのことで、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①太平洋から那珂川に入る湊があったことから、この「湊(ミナト)」がてんじたとされる説。
②この地域に水門があったことから、この「水門(ミナト)」が転じて「ミト」となったとする説。
③那珂川における舟の港として栄えたことから、「水運の戸口」と呼ばれ、ここから「水戸」の字をとったとする説。
- 読み方→「水戸市(みとし)」「那珂川(なかがわ)」
美浦村の由来
1955年(昭和30年)に、「木原村」「安中村」「舟島村(一部)」が合併したことによって、一度「霞村」が成立しました。
霞村が成立した後、即日改称をしたことによって、改めて美浦村が成立したとされています。
「霞」とは恐らく、「霞ヶ浦」という湖に面していることに由来したものかもしれませんが、改称した経緯も含めて、情報を見つけることができませんでした。
また、同様に「美浦」という名称についても情報はなかったのですが、こちらも「霞ヶ浦」が由来ではないかとする話があるようです。
これは、漢字の表記から考えて、「美しい浦」といった意味から名付けられたといわれています。
- 読み方→「美浦村(みほむら)」「木原村(きはらむら)」「安中村(あんじゅうむら)」「舟島村(ふなしまむら)」「霞ヶ浦(かすみがうら)」「霞村(かすみむら)」
守谷市の由来
2002年(平成14年)2月2日に、元々あった守谷町が市制を施行したことによって、守谷市が成立しました。
「守谷」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①皇族であるヤマトタケルが、この地域の森を見た際に、果てしなく広がっている様子から、「森なる哉(かな)」と言い、これが「守哉(や)」となったとする説。
②平将門がこの地を築いた際に、丘が高く谷が深かったそうで、「守りやすい谷」と評したことに由来するという説。
③当時、屯倉という直轄地があったことから、「まもりびと」「もりや」になったとする説。
- 読み方→「守谷市(もりやし)」「平将門(たいらのまさかど)」「屯倉(みやけ)」
八千代町の由来
1972年(昭和47年)2月1日に、元々あった八千代村が町制を施行したことによって、八千代町が成立しています。
「八千代」という名称の由来については、調べてはみたものの、情報を見つけることができませんでした。
前身である八千代村は、1955年(昭和30年)の合併によって成立しており、このときに「八千代」と命名されています。
合併前の町村の名称にも「八千代」というのはなく、関連しそうなものも見つかりませんでした。
こちらについては、また由来について詳しく分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「八千代町(やちよまち)」
結城市の由来
1954年(昭和29年)3月15日に、「結城市町」「絹川村」「江川村」「上山川村」が合併、及び市制を施行したことによって、結城市が成立しました。
市名については情報がありませんでしたが、唯一の町である「結城町」に、3つの村が編入されたことから、町名を引き継いだものと考えられます。
「ユウキ」という地名についてですが、木綿の産地であったことが由来となっているそうです。
実際に、古くにはフサとユウの産地であったことから、「総の国のゆうき」などと呼ばれたといわれています。
ここからどのようにして、表記が変わっていったのかは分かりませんが、「結城」として定着することとなりました。
- 読み方→「結城市(ゆうきし)」「絹川村(きぬがわむら)」「江川村(えがわむら)」「上山川村(かみやまかわむら)」「木綿(ゆう)」「総(ふさ)」
龍ケ崎市の由来
1954年(昭和29年)3月20日に、「龍ケ崎町」「馴柴村」「大宮村」「八原村」「長戸村」「川原代村」「北文間村」が合併、及び市制を施行したことによって、龍ケ崎市が成立しました。
市名については龍ケ崎町から受け継いだものであり、「龍ケ崎」という地名の由来については諸説あるとのことで、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①竜巻が多い土地であり、川の水を巻き上げる様子が龍のようにみえたことから「龍が立つ崎」と呼ばれ、これが転じたとする説。
②千葉県に龍の言い伝えがあり、農民の為に雨を降らせた龍の体が三つに裂け、天から降ってきた際、この地域が落ちた場所のすぐ先であることから「龍ケ崎」となった説。
③町の形が、龍を思わせるようなそそりたつ地形をしていたことから、「龍ケ崎」となったとする説。
- 読み方→「龍ケ崎市(りゅうがさきし)」「馴柴村(なれしばむら)」「大宮村(おおみやむら)」「八原村(やばらむら)」「長戸村(ながとむら)」「川原代村(かわらしろむら)」「北文間村(きたもんまむら)」
コメント