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福島県の市町村名の由来【50音順 只見町~楢葉町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:内部リンクを更新(2025.12.20)

はじめに

このページは、福島県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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只見町の由来

1959年(昭和34年)8月1日に、「只見村」と「朝日村」が合併及び町制施行したことによって成立しました。

このときの合併は、只見村が朝日村を編入した形となっていることから、「只見」の名称を引き継いでいます。

前身となる只見村は、1952年(昭和27年)に元々あった「伊北村」が改称したことによって成立しているようです。

改称に至った経緯などは分かりませんでしたが、この地域に流れる只見川にちなんでいるのかもしれません。

ちなみに川の名称は、僧である空海がこの川を「只見て帰られた」という話に由来したものとなっています。

  • 読み方→「只見町(ただみまち)」「只見村(ただみむら)」「朝日村(あさひむら)」「伊北村(いほうむら)」「只見川(ただみがわ)」「空海(くうかい)」

伊達市の由来

2006年(平成18年)1月1日に、「伊達町」「月舘町」「保原町」「梁川町」「霊山町」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名は公募が行われていたそうで、その結果「伊達郡」に属していたことも関係して決定されたようです。

「伊達」という地名については伊達氏に由来するとされ、この地域は伊達市発祥の地としても知られています。

有名なところでいえば、戦国武将の伊達政宗が挙げられますが、その先祖にあたる伊達朝宗がこの地を治めていました。

長い間、一帯を統治していたということから地名となり、現在に至るまで残っている形となっています。

  • 読み方→「伊達市(だてし)」「伊達町(だてまち)」「月舘町(つきだてまち)」「保原町(ほばらまち)」「梁川町(やながわまち)」「霊山町(りょうぜんまち)」「伊達朝宗(だてともむね)」

棚倉町の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、棚倉町が成立することとなりました。

ただし、町村制が施行される以前にも棚倉町という場所はあったことから、古くよりある名称となっているようです。

「棚倉」という地名の由来については、かつて「種倉」と表記されていたのが転じたものとされています。

元となる「種倉」に関しては、当時この地方では稲作が盛んに行われるようになったことに関係したものです。

稲作を行うにあたって、この地で採れた稲の種を保管する倉が造られたそうで、ここから「種倉」の名称ができたとされます。

  • 読み方→「棚倉町(たなぐらまち)」

玉川村の由来

1955年(昭和30年)3月31日に、「泉村」と「須釜村」が合併したことによって成立しました。

村名は新たに命名されたものとなっており、これは「玉川」と呼ばれていた川の名称に関連したものとされます。

古くには玉川のあたりに神社があったそうで、このことが玉川村の由来となっているようです。

この名称にはもう1つ理由があるそうで、それによると泉が合併することにより川になるという意味をもったものとしています。

ちなみですが、現在川に関しては玉川という名称ではなく、泉郷川と改称されているそうです。

  • 読み方→「玉川村(たまかわむら)」「泉村(いずみむら)」「須釜村(すがまむら)」「泉郷川(いずみごうがわ)」

田村市の由来

2005年(平成17年)3月1日に、「大越町」「滝根町」「常葉町」「船引町」「都路村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名を決めるにあたって公募が行われており、これらの町村が「田村郡」に属していたこともあって決定されたようです。

「田村」という地名の由来については、武将である「坂上田村麻呂」にちなんだものとされています。

それによると、この地方で討伐を成功させた後、子孫である田村の一族によってこの地を支配してきたそうです。

こういったことから、地名としての「田村」が定着していったようで、現在に至るまでその名称が残っています。

  • 読み方→「田村市(たむらし)」「大越町(おおごえまち)」「滝根町(たきねまち)」「常葉町(ときわまち)」「船引町(ふねひきまち)」「都路村(みやこじむら)」「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」

天栄村の由来

1955年(昭和30年)3月31日に、「大里村(一部)」「広戸村(一部)」「牧本村」「湯本村」が合併したことによって成立しました。

村名は新たに命名されたものとなっており、これは中央にある「天栄山」と呼ばれる山に由来したものです。

天栄山は、古くには金山として知られており、採掘が行われていた歴史がある場所となっています。

しかし、「天栄」自体の由来については、特にこれといった情報を見つけることができませんでした。

こちらについては、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「天栄村(てんえいむら)」「大里村(おおさとむら)」「広戸村(ひろとむら)」「牧本村(まきもとむら)」「湯本村(ゆもとむら)」

富岡町の由来

1900年(明治33年)3月8日に、元々あった富岡村が町制を施行したことによって、富岡町が成立しました。

前身となる富岡村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立しており、村名としてこのときに命名されているようです。

「富岡」という地名自体は古くからあるようで、戦国時代頃にはあったのではないかと考えられています。

しかし、その名称の由来に関しては、特にこれといった情報を見つけることができませんでした。

こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「富岡町(とみおかまち)」

中島村の由来

1955年(昭和30年)1月1日に、「滑津村」と「吉子川村」が合併したことによって成立しています。

このとき、村名として新たに命名されていますが、どのような理由で付けられたのかは分かりませんでした。

また、「中島」自体の地名についても調べてみましたが、特にこれといった情報は見つかっていません。

憶測とはなってしまいますが、白河地方において中島村は中央部に位置していることから、これに関係しているとも考えられそうです。

こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「中島村(なかじまむら)」「滑津村(なめつむら)」「吉子川村(よしこがわむら)」

浪江町の由来

1900年(明治33年)3月8日に、元々あった浪江村が町制を施行したことによって、浪江町が成立しています。

前身である浪江村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、いつ頃からこの地名があったのかは分かりませんでした。

古くにはこの辺りの地域は「高野」と呼ばれていたそうですが、これが「浪江」と変化したとされています。

「浪江」自体の由来としては詳細は不明だそうですが、この地域は火災が多かったとされるそうです。

そのことから、水に関連した名称が使われるようになったのではないかと考えられているとされています。

  • 読み方→「浪江町(なみえまち)」

楢葉町の由来

1956年(昭和31年)に、「木戸村」と「竜田村」が合併、及び町制施行したことによって成立しました。

町名は新たに命名されたものとなっており、これは古くにあった「楢葉郷」に由来したものとされます。

しかし、「楢葉」という地名の由来については、あまりよく分かっていないとされていました。

一応、最初にこの地方を治めていたといわれる人物に、「楢葉」の名称がみられたことから、これが地名となったと考えられているようです。

こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「楢葉町(ならはまち)」「木戸村(きどむら)」「竜田村(たつたむら)」「楢葉郷(ならはごう)」

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