更新情報:記事内容を更新(2025.12.17)
はじめに
このページは、福岡県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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豊前市の由来
1955年(昭和30年)4月14日に、元々あった宇島市が改称したことによって、豊前市が成立しました。
同年の4月10日に、合併及び市制施行が行われたことにより宇島市が誕生しましたが、その名称に反発があったことから、豊前市と改称したそうです。
この新しい市の名称については、かつて「豊前国」と呼ばれていた場所に位置していることに由来したものと思われます。
「豊前」自体の名称としては、それ以前に存在した「豊国」に由来したものとなっているようです。
これが時代とともに分割されることとなり、これにより「豊後国」と「豊前国」が誕生しました。
- 読み方→「豊前市(ぶぜんし)」「豊前国(ぶぜんのくに)」「豊国(とよのくに)」「豊後国(ぶんごのくに)」
水巻町の由来
1940年(昭和15年)2月11日に、元々あった水巻村が町制を施行したことによって、水巻町が成立しました。
前身である水巻村は、1889年(明治22年)に町村制が施行されたことにより成立しているようです。
水巻村の名称についてですが、これは当時の水巻山に役場があったことから命名されたものとなります。
更に、古くには「水巻宮」と呼ばれていた神社があり、ここから地名などに使われてきたそうです。
そもそもの「水巻」の由来に関しては、字の通り水の巻く意味をもっているそうですが、詳細については分かりませんでした。
- 読み方→「水巻町(みずまきまち)」「水巻山(みまきやま)」「水巻宮(みまきぐう)」
みやこ町の由来
2006年(平成18年)3月20日に、「勝山町」「犀川町」「豊津町」が合併したことによって成立しました。
町名は新たに命名されており、これはこの町が「京都郡」に属していることにちなんだものとなります。
漢字の「京都」ではなく平仮名になった理由については情報が分かりませんでしたが、京都府の地名と混同しないようになどの配慮があったのかもしれません。
こちらの「京都」の地名に関しては、古くに九州に景行天皇が訪れた際に、仮の都をつくったことに由来します。
天皇はしばらくの間、この地に住んでおられたそうで、このことから「みやこ」と呼ばれるようになったそうです。
- 読み方→「みやこ町(みやこまち)」「勝山町(かつやままち)」「犀川町(さいがわまち)」「豊津町(とよつまち)」「京都郡(みやこぐん)」「景行天皇(けいこうてんのう)」
みやま市の由来
2007年(平成19年)1月29日に、「瀬高町」「高田町」「山川町」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名称は新たに命名されたものとなっており、名称については募集などが行われていたそうです。
「みやま」の名称は郡名にちなんだもので、高田町は「三池郡」、その他の二つの町は「山門郡」に属していました。
この「三池郡」と「山門郡」の頭文字をとって「三山」となり、これをひらがな表記にしています。
何故ひらがな表記としたのかは、親しみやすく幅広いイメージをもたせるなどの理由があるそうです。
- 読み方→「瀬高町(せたかまち)」「高田町(たかたまち)」「山川町(やまかわまち)」「三池郡(みいけぐん)」「山門郡(やまとぐん)」
宮若市の由来
2006年(平成18年)2月11日に、合併及び市制施行が行われたことによって、宮若市が成立しました。
今回合併されたのは「宮田町」と「若宮町」の2つの町となっており、「宮若」の名称はこの町名にちなんだものとなります。
字をみてみると分かる通り、それぞれの頭文字をとってできた合成地名となっているようです。
合併前の「宮田」と「若宮」という地名にはついては、特に情報を見つけることができませんでした。
神社にちなむ説があるようですが、こちらに関してはまた何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「宮若市(みやわかし)」「宮田町(みやたまち)」「若宮町(わかみやまち)」
宗像市の由来
1981年(昭和56年)4月1日に、元々あった宗像町が市制を施行したことによって、宗像市が成立しました。
前身である宗像町は、1954年(昭和29年)に行われた合併により成立し、このときに町名として命名されているようです。
憶測とはなりますが、恐らくこの地域が「宗像郡」に属していることにちなんだものと思われます。
「宗像」という地名については、「宗像三女神」に由来したものとされ、宗像三女神は宗像大社をはじめとする神社に祀られた女神の総称です。
降臨したことに際して、形代をとったことから「身の形」などと称したことで、「宗像」へと変化していったとされます。
- 読み方→「宗像市(むなかたし)」「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」
柳川市の由来
1952年(昭和27年)4月1日に、元々あった柳川町が市制を施行したことによって、柳川市が成立しました。
前身となる柳川町は、1951年(昭和26年)の合併により成立していますが、元々は「柳河」という名称があったようです。
「柳川」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①柳の木が多い土地であったとされ、この木が川辺に多く生い茂っていたことから「柳川」となったとする説。
②「梁川」という表記もあったことから、梁が川に仕掛けて魚を獲る道具に由来して、これが転じたとされる説。
- 読み方→「柳川市(やながわし)」
八女市の由来
1954年(昭和29年)4月1日に、「福島町」が「川崎村」「忠見村」「岡山村」の大部分と合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名は新たに命名されたものとなっており、これは元々「八女郡」に属していたことに由来したものです。
ちなみに、当初は福島市となる予定でしたが、福島県に同名の市があったことから改称することとなりました。
また、代替案として「筑後福島市」も検討されましたが、隣に「筑後市」があることなどが考慮され「八女市」と改称したようです。
「八女」という地名の由来についてですが、こちらはこの地方に「八女津媛」と呼ばれる女神がいたことにちなむとされます。
- 読み方→「八女市(やめし)」「八女津媛(やめつひめ)」
行橋市の由来
1954年(昭和29年)10月10日に、「行橋町」「泉村」「今川村」「今元村」「椿市村」「仲津村」「延永村」「稗田村」「蓑島村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名については、合併された町村の中で唯一の町である、行橋町から名称を引き継いだ形となっているようです。
その行橋町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に「行事村」「大橋村」「宮市村」の区域をもって成立しています。
そして、「行橋」という名称はこのときに命名されており、これは「行事村」と「大橋村」の文字をとった合成地名です。
ただし、この中で「宮市村」の名称だけ使われていないことに関しては情報が見つかりませんでした。
- 読み方→「行橋市(ゆくはしし)」
吉富町の由来
1942年(昭和17年)5月19日に、東吉富村が町制施行、及び改称したことによって成立しました。
古くにはこの地域は「吉富郷」と呼ばれていたとされ、これが町名の由来となっているようです。
しかし、「東吉富町」ではなく「吉富町」とした理由などについては、情報が見つかっていません。
同様に、「吉富」自体の地名の由来に関しても、特にこれといった情報は見つかりませんでした。
こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「吉富町(よしとみまち)」


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