更新情報:タイトルを変更(2023.8.2)
はじめに
このページは岡山県の市町村の名称の由来をまとめたページになります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いため、複数の記事に分けています。(このページでは高梁市~和気町まで)
岡山県の由来についてはこちら
他の市町村についてはこちら
参考にしているページとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあること、ご了承ください。
高梁市の由来
1954年(昭和29年)に、高梁町を含む町村の合併及び市制施行によって成立しました。
高梁の地名の由来については諸説ありますが、「高橋」から「松山」へ、そして「高梁」になったとされるようです。
一説には高橋の地域に、同じ高橋という人物が守護に訪れ、地名と姓が一緒なのを望ましく思わなかったことから「松山」と改め、その後「高梁」へと変更されたそうです。
また、高梁川にちなむする説もあり、これも「高橋川」と呼んでいたとされています。
他には台地の端ということから「高」と「端」から転じたとする説もあります。
玉野市の由来
1940年(昭和15年)に、合併及び市制施行によって玉野市が成立しました。
今回合併された町は「日比町」と「宇野町」になります。
日比町には「玉」という中心地となる地区があり、宇野の「野」を合わせて命名されました。
正確にいえば、玉野の名称は以前から存在しており、これが由来とされます。
当時も宇野村と玉村が合併したことによって玉野村が成立していました。
補足
- 玉野村→合併後再び別れたため消滅した。
津山市の由来
1929年(昭和4年)に、津山町が市制施行したことによって成立しました。
津山の名称は、鶴山に初代藩主である森忠政が城を建てたことに由来してます。
「鶴」の字は森家の紋章だったとされています。
このことから「鶴」の字は使わず、「津」に改称されました。
「津」には運河に関連しているとか、津のほとりの山を意味するなど諸説あります。
補足
- 読み方→「鶴山(つるやま)」「森忠政(もりただまさ)」
奈義町の由来
1955年(昭和30年)に、合併によって奈義町が成立しました。
奈義の由来は、「那岐山」にちなんだものになり、伝説から命名されたといわれています。
その伝説とはイザナギとイザナミという神が降り立ったとする話です。
この神は国生みを行ったことで知られています。
また、近くにある後山との高さ比べに負けて泣いたとする話から「なきのせん」と呼ばれ、これが転じたとする説もあるようです。
補足
- 読み方→「那岐山(なぎさん)」「後山(うしろやま)」
新見市の由来
1954年(昭和29年)に、新見町を含む町村の合併及び市制施行によって成立しました。
新見の地名の由来としては諸説あるようです。
一説には新しい居住の地を指す「新居」から転じたとしています。
また、他の説によると「新」は「丹」から転じてできたものであり、赤土を指しているそうです。
そして「見」が場所を指し、赤土のある地域であることを意味することに由来しているとしています。
西粟倉村の由来
1889年(明治22年)に、合併によって西粟倉村が成立しました。
名称の由来としては、荘園にちなむとされています。
かつて「粟倉荘」と呼ばれる場所があったそうです。
そしてこの地域は粟倉荘の西側に位置した場所になります。
このことから西粟倉村が誕生したとされています。
補足
- 荘園→貴族などが領有した土地。
早島町の由来
1896年(明治29年)に、早島村が町制施行したことによって成立しました。
早島の由来は元々は島だったことにちなんでいます。
この周辺の海は潮の流れがとても速かったそうです。
このことから早島という名称が誕生しました。
ちなみに現在では干拓されたことにより、島ではなくなっています、
備前市の由来
1971年(昭和46年)に、備前町が合併及び市制施行したことによって成立しました。
この名称は特産品に由来して名付けられたそうです。
元々備前というのはかつての行政区分のひとつで、「備前国」と呼ばれていました。
そして、この地域では備前焼が有名となっています。
このことに由来して、地名にまでなったとされています。
補足
- 読み方→「備前町(びぜんちょう)」「備前国(びぜんのくに)」
真庭市の由来
2005年(平成17年)に、合併及び市制施行したことによって真庭市が成立しました。
市の名称については公募が行われたそうです。
また、合併前の町村のほとんどが真庭郡に属していたことも関連しています。
真庭郡自体も郡の合併によってできた名称です。
これは「真島郡」と「大庭郡」が合わさったことが由来となっています。
補足
- 読み方→「真島郡(ましまぐん)」「大庭郡(おおばぐん)」
美咲町の由来
2005年(平成17年)に、合併によって美咲町が成立しました。
こちらの名称も公募によって決まったものになります。
理由はいくつかありますが、まず合併後の形が花びらのように見えることにちなんでいます。
そのことから、「美しく咲く」といった願いを込めて決定したそうです。
また、古くからの行政区分であった「美作国」にちなんだ理由もありました。
補足
- 読み方→「美作国(みまさかのくに)」
美作市の由来
2005年(平成17年)に、美作町を含む合併及び市制施行したことによって成立しました。
美作国があったことから、現在まで引き継がれてきた名称になります。
そして、美作の地名は古くからありますが、由来には諸説あるようです。
一説には「三坂」や「甘酒」に由来するといわれています。
また、河と坂が多かったことから、「水間坂」が転じたとする説もあります。
補足
- 読み方→「美作町(みまさかちょう)」
矢掛町の由来
1896年(明治29年)に、矢掛村が町制施行したことによって成立しました。
矢掛の地名については、まだ分かっていないこともあるようです。
その為由来としては諸説あり、元々は違う字であり、「屋陰」もしくは「屋蔭」と表記されていたそうです。
これが矢尻の生産が盛んになったことにちなんでいるとする説があります。
他でも矢にちなんでいるとする説が多かったです。
和気町の由来
1901年(明治34年)に、和気村が町制施行したことによって成立しました。
和気の由来としてはいくつかの情報がありました。
よく見られる情報としては、「和気清麻呂」という人物に由来している説です。
貴族であり、政治的な分野などで活躍したとされています。
他に、交通における重要拠点であった「別之渡」が由来とする情報もありました。
補足
- 読み方→「和気清麻呂(わけのきよまろ)」「別之渡(わけのわたし)」
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