更新情報:記事内容を更新(2025.11.20)
はじめに
このページは、新潟県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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五泉市の由来
1954年(昭和29年)11月3日に、「五泉町」「川東村」「巣本村」「橋田村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名については、合併された町村の中で唯一の町である五泉町から名称を引き継いだ形となっているようです。
「五泉」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①字が表す通り、五つの泉もしくは五つの川が流れていることに由来したものとされている説。
②「今泉」という地名があり、これは「前泉」が転じたものとされていることから、「五泉」も「後泉」が転じたとする説。
- 読み方→「五泉市(ごせんし)」「五泉町(ごせんまち)」「川東村(かわひがしむら)」「巣本村(すもとむら)」「橋田村(はしだむら)」
佐渡市の由来
2004年(平成16年)3月1日に、「両津市」「相川町」「小木町」「金井町」「佐和田町」「畑野町」「羽茂町」「真野町」「赤泊村」「新穂村」が合併したことによって成立しました。
市名については、この地域が佐渡島に位置していることや、かつて「佐渡国」と呼ばれていたことなどにちなんだもの考えられそうです。
「佐渡」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①古くには湿地を意味する「さわた」と呼ばれていたとされ、ここに「佐渡」の字を当てたとする説。
②山と山に囲まれた狭い地形であることから、「狭門」や「狭処」が転じたものとされている説。
- 読み方→「佐渡市(さどし)」「両津市(りょうつし)」「相川町(あいかわまち)」「小木町(おぎまち)」「金井町(かないまち)」「佐和田町(さわたまち)」「畑野町(はたのまち)」「羽茂町(はもちまち)」「真野町(まのまち)」「赤泊村(あかどまりむら)」「新穂村(にいぼむら)」「佐渡国(さどのくに)」
三条市の由来
1934年(昭和9年)1月1日に、元々あった三条町が市制を施行したことによって、三条市が成立しました。
前身である三条町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。
「三条」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①「五十嵐川」「信濃川」「中ノ口川」という3つの川があったことに由来した地名としている説。
②権力者の土地を指す荘園が、3つあったことから「三荘」が転じたことで「三条」となったとする説。
- 読み方→「五十嵐川(いからしがわ)」「信濃川(しなのがわ)」「中ノ口川(なかのくちがわ)」
新発田市の由来
1947年(昭和22年)1月1日に、元々あった新発田町が市制を施行したことによって、新発田市が成立しました。
前身である新発田町は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあり、その由来としては諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介します。
①荒れた土地を開いてできた新田をつくったことから「新開発田」と呼ばれ、これが転じたとする説。
②海が近くにあったことから「州端」と呼ばれており、これが転じたことでできた地名とされている説。
③「シビタ」という、鮭が取れる場所を意味しているアイヌ語に由来したものであるという説。
- 読み方→「新発田市(しばたし)」「州端(すばた)」
上越市の由来
1971年(昭和46年)4月29日に、「高田市」と「直江津市」が合併したことによって成立しました。
市名については合併協議会によって決まったものであり、「上越」は新潟県を代表する地域名として知られています。
そんな「上越」の由来ですが、かつての行政区分では、新潟県の辺りは「越後国」と呼ばれていました。
後に、「上越」「中越」「下越」と分かれることとなりますが、これは京都に近い方から順になったものです。
新しく市名を決めるに辺り、上越地方において中心都市としての役割を担うということで上越市となりました。
- 読み方→「上越市(じょうえつし)」「高田市(たかだし)」「直江津市(なおえつし)」「越後国(えちごのくに)」
聖籠町の由来
1977年(昭和52年)8月に、元々あった聖籠村が町制を施行したことによって、聖籠町が成立しました。
前身である聖籠村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。
地名として定着したのには、「聖籠山」と呼ばれる山があったことが関係したものとされています。
「聖籠」自体の由来ですが、古くには僧侶がこの地にある山に籠ったことにちなんだものだそうです。
このことから高い徳を積んだ人が籠った山、すなわち聖が籠った山として聖籠山と呼んだのが始まりとされます。
- 読み方→「聖籠町(せいろうまち)」
関川村の由来
1954年(昭和29年)8月1日に、「関谷村」と「女川村」が合併したことによって成立しました。
「関川」という名称はこのときに命名されていますが、これは合併前の村から一文字ずつとった合成地名です。
ちなみに、合併前の関谷村は「関村」「七箇谷村」「九箇谷村」の合併により誕生しています。
このことから、「関谷」という名称も合併前の村の文字からとった合成地名と考えられそうです。
「女川」についても由来を調べてみましたが、こちらは特に情報を見つけることができませんでした。
- 読み方→「関川村(さきかわむら)」「関谷村(せきたにむら)」「女川村(おんながわむら)」「関村(せきむら)」「七箇谷村(しちかたにむら)」「九箇谷村(くかたにむら)」
胎内市の由来
2005年(平成17年)9月1日に、「中条町」と「黒川村」が合併したことによって成立しました。
市名については公募が行われたそうで、この地域に流れている「胎内川」にちなんだものだそうです。
胎内川の名称は古くには「鯛名川」など様々な表記がされていたようで、その由来としては諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①川の上流にある朳差岳に積もる雪の形が、鯛頭に似ていることに由来したものであるという説。
②河口付近で水が再び現れることから、これを「胎内」と連想して命名されたものとされている説。
- 読み方→「胎内市(たいないし)」「中条町(なかじょうまち)」「黒川村(くろかわむら)」「胎内川(たいないがわ)」「朳差岳(えぶりさしだけ)」「鯛頭(たいがしら)」
田上町の由来
1973年(昭和48年)8月1日に、元々あった田上村が町制施行したことによって、田上町が成立しました。
前身である田上村は、1889年(明治22年)の町村制施行の際に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。
「田上」という地名の由来について調べてみましたが、特に情報を見つけることが出来ませんでした。
憶測とはなりますが、この地域には田園地帯もあることから、田んぼにちなんでいるのかもしれません。
こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「田上町(たがみまち)」
津南町の由来
1955年(昭和30年)1月1日に、「秋成村」「芦ヶ崎村」「上郷村」「下船渡村」「外丸村」「中深見村」が合併、及び町制施行したことによって成立しました。
町名は新たに命名されたものとなりますが、これは古くに「津南郷」とこの辺りが呼ばれていたことにちなむとされています。
しかし、「津南」という地名の由来についてはあまり情報を見つけることができませんでした。
一応見つけた情報によると、清津川より南にある場所、ということに由来したものだそうです。
こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「津南町(つなんまち)」「秋成村(あきなりむら)」「芦ヶ崎村(あしがさきむら)」「上郷村(かみごうむら)」「下船渡村(しもふなとむら)」「外丸村(とまるむら)」「中深見村(なかふかみむら)」「清津川(きよつがわ)」

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