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新潟県の市町村名の由来【50音順 阿賀野市~刈羽村】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:タイトルを変更(2023.8.12)

はじめに

このページは新潟県の市町村の名称の由来をまとめたページになります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いため、複数の記事に分けています。(このページでは桜井市~十津川村まで)

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新潟県の知識まとめ

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参考にしているページとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあること、ご了承ください。

阿賀野市の由来

2004年(平成16年)に、「水原町」「安田町」「京ヶ瀬村」「笹神村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

市名である阿賀野は市内に流れている「阿賀野川」に由来して名づけられています。

元々は栃木県と福島県の県境に位置している「阿賀川」があり、これが新潟県に入ると「阿賀野川」と呼ぶそうです。

阿賀の由来については諸説ありますが、一説には仏教用語である「閼伽」が転じたものとされており、これは仏前に供養される水のことです。

そのことから水が豊富であるという意味を込めて生まれた名称のようです。

  • 読み方→「水原町(すいばらまち)」「安田町(やすだまち)」「京ヶ瀬村(きょうがせむら)」「笹神村(ささかみむら)」「閼伽(あか)」

阿賀町の由来

2005年(平成17年)に、「鹿瀬町」「津川町」「上川村」「三川村」が合併したことによって成立しました。

阿賀町の由来も阿賀野市同様、阿賀野川にちなんだものとされています。

阿賀野川の由来について、上記以外の説として小高い土地であったことから水田ができなかったとして「揚野」が転じたとする説があります。

また、「ハカ」という崖を意味する言葉から転じたとする説もあるようです。

もう一つの説としてアイヌ語にちなむとする説があり、水を意味する「ワッカ」から転じたとしています。

  • 読み方→「鹿瀬町(かのせまち)」「津川町(つがわまち)」「上川村(かみかわむら)」「三川村(みかわむら)」

粟島浦村の由来

1909年(明治44年)に、粟島浦が粟島浦村と改称したことによって成立しました。

村の名称については、粟島と呼ばれる島に属していることから付いたと考えられます。

粟島の由来については情報が少なく、不明な部分も多いとされているようです。

一説には「粟粒」のように小さい島ということに由来しているといわれているようです。

それほど粟島は小さい島であり、面積としてみても9.78k㎡程しかありません。

出雲崎町の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって出雲崎町が成立しました。

出雲崎の名称については、島根県の出雲に関連しているという見方があるようです。

「大国主命」と呼ばれる出雲の神がこちら側に来たとし、そこから出雲との交流が生まれたことによりできた地名と一説にはいわれています。

また、出雲の一族が海辺を往来したということから出雲崎となったとする説もあるようです。

定説はありませんがいずれにせよ、由来については出雲関連のものが多くみられています。

  • 読み方→「大国主命(おおくにぬしのみこと)」

糸魚川市の由来

1954年(昭和29年)に、「糸魚川町」「浦本村」「大野村」「上早川村」「小滝村」「下早川村」「西海村」「根知村」「大和川村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

糸魚川の由来については諸説あり、今のところ定説などはないようです。

一説には空海が管に糸を巻いて川に投げたところ、魚になって泳ぎ回ったとする話からきているとしています。

他にはこの地で戦いがあったことから「挑み川」となりこれが転じたとする説や川で災害がよく起こっていたから「厭い川」と呼ばれ、転じたとする説などがあります。

また、イトヨと呼ばれる魚が河川に多くすんでいたからという説があり、漢字でイトヨは「糸魚」と表記するそうです。

  • 読み方→「糸魚川町(いといがわまち)」「浦本村(うらもとむら)」「大野村(おおのむら)」「上早川村(かみはやかわむら)」「小滝村(こたきむら)」「下早川村(しもはやかわむら)」「西海村(にしうみむら)」「根知村(ねちむら)」「大和川村(やまとがわむら)」「空海(くうかい)」「厭い(いとい)」

魚沼市の由来

2004年(平成16年)に、「小出町」「堀之内町」「入広瀬村」「守門村」「広神村」「湯之谷村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

合併前の町村には「魚沼」の名称はありませんでしたが、北魚沼郡に属しており古くには魚沼郡もありました。

魚沼の由来にも諸説あり、字の通り多くの魚や沼があったことからとする説があります。

他の説としては、「イオノ」から転じたとするものがあり、これは仮の小屋が多い原野を指す言葉だそうです。

また、魚にちなんだ説としては鮭のことを「イオ」と呼び、流れに逆らって上がってくることから「イオノ」と呼ばれ、これが転じたとする説もあるようです。

  • 読み方→「小出町(こいでまち)」「堀之内町(ほりのうちまち)」「入広瀬村(いりひろせむら)」「守門村(すもんむら)」「広神村(ひろかみむら)」「湯之谷村(ゆのたにむら)」

小千谷市の由来

1954年(昭和29年)に、「小千谷町」「城川村」「千田村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

古くには「千谷」や「千屋」という表記もあり、ここから小千谷になったといわれています。

ただ、由来に関しては情報が少なく、不明となっている部分もあります。

一説には「チヤ」というのは「茅屋」を意味するとされ、茅葺き屋根が多かったことに由来するとしています。

茅葺き屋根とはカヤと呼ばれるチガヤやススキといった植物を用いて造られた屋根のことです。

  • 読み方→「城川村(しろかわむら)」「千田村(ちだむら)」「茅葺き(かやぶき)」

柏崎市の由来

1940年(昭和15年)に、柏崎町が市制を施行したことによって成立しました。

柏崎の由来については字の通り柏と呼ばれる植物が生い茂っていたことにちなむとする情報がありました。

ただ、よくいわれている説としては柏の樹に由来するというものになります。

「柏の大樹」と呼ばれる樹があり、漁師たちにとって目印ともなっていたそうです。

そこから「柏の崎」と呼ばれるようになり、柏崎となったとされています。

加茂市の由来

1954年(昭和29年)に、「加茂町」と「下条村」が合併及び市制施行したことによって成立しました。

加茂の名称については、京都にある「賀茂神社」にちなんだものとなります。

賀茂神社の神をこの地にも祀ったといわれており、このことに由来しているそうです。

賀茂神社の領地となったことで、賀茂が転じて「加茂」となったとされています。

ちなみに、加茂市は北越の小京都もしくは越後の小京都とも称されているそうです。

  • 読み方→「下条村(げじょうむら)」

刈羽村の由来

1889年(明治22年)に、町村制が施行されたことによって刈羽村が成立しました。

町村制施行以前より刈羽村は存在しており、村の名称として引き継がれているのは刈羽郡に属しているからかもしれません。

由来に関しての情報が見つからなかったため、この辺りは憶測となります。

一説には「カリ」が崩壊地形を意味し、端を意味する「ハ」と合わせてできた地名とするものがありました。

刈羽の由来についてはまた情報が分かり次第、追記していこうと思います。

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