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高知県の市町村名の由来【50音順 香南市~土佐市】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.8.10)

はじめに

このページは、高知県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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香南市の由来

2006年(平成18年)3月1日に、「赤岡町」「香我美町」「野市町」「夜須町」「吉川村」が合併、及び市制を施行したことによって成立しています。

どのようにして市名が決まったのかは分かりませんでしたが、香南市の場所は「香美郡」に属していました。

その香美郡において南部に位置していたことから、「香美郡の南」で「香南」となったようです。

ちなみに「香美」の由来については、「鏡」と呼ばれていたのが転じたものとされています。

これには、川が鏡のように綺麗だったからなど諸説ありますが、2文字で郡名を表記するように制定された際に「香美」と表記するようになったそうです。

  • 読み方→「香南市(こうなんし)」「赤岡町(あかおかちょう)」「香我美町(かがみちょう)」「野市町(のいちちょう)」「夜須町(やすちょう)」「吉川村(よしかわむら)」「香美郡(かみぐん)」

高知市の由来

1889年(明治22年)4月1日に、市制が施行されたことによって高知市が成立することとなりました。

「上街」「南街」「北街」「高知街」の区域をもって成立していて、「高知」の名称自体は古くからあります。

そんな「高知」の地名は「河中山」が転じたものといわれており、この地には河中山城が建っていました。

これは川に挟まれた地形が由来とされ、ここから「高智」となり、更に現在の「高知」へと転じたとされます。

ちなみに、河内山の表記が変更された経緯としては、洪水が多かったことから「河」の字を避けたのが理由であるそうです。

  • 読み方→「高知市(こうちし)」「河中山(こうちやま)」

佐川町の由来

1900年(明治33年)1月10日に、元々あった佐川村が町制を施行したことによって、佐川町が成立しました。

前身である佐川村は、1889年(明治22年)の町村制が施行されたことで成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「佐川」という名称の由来については、情報かまあまりなかったものの、2つの説を見つけましたのでそれを紹介していこうと思います。

①県内に流れる大部分の川と比べて、この地域の川が逆の向きに流れていることから「逆川」が転じたとする説。

②川の間が狭かったことから「狭川」となり、これが転じたことで「佐川」となったとされる説。

  • 読み方→「佐川町(さかわちょう)」「逆川(さかがわ)」

四万十市の由来

2005年(平成17年)4月10日に、「中村市」と「西土佐村」が合併したことによって成立しました。

市名は今回新たにつけられており、これは地域に流れている「四万十川」という川に由来したものです。

決まった理由については、四万十川を中心とした地域づくりや、環境の保全などの理由が挙げられています。

ちなみに四万十川自体の由来は諸説あるようで、「四万十」は4万にもなる支流があることからという説がまずありました。

その他の説としてはアイヌ語に由来するというものがあり、それによるとはなはだ美しいという意味をもつ、「シ・マムタ」という言葉が由来と唱えられています。

  • 読み方→「四万十市(しまんとし)」「中村市(なかむらし)」「西土佐村(にしとさむら)」「四万十川(しまんとがわ)」

四万十町の由来

2006年(平成18年)3月20日に、「窪川町」「大正町」「十和村」が合併したことによって成立しました。

県内には同じ名称を冠した四万十市がありますが、名称を決定したのはこちらのほうが少し早かったそうで、結局四万十町となったようです。

町名の由来としては、こちらも同じくこの地域に流れている「四万十川」にちなんだものとなります。

「四万十」自体の由来について、四万十市で紹介した説以外を紹介すると、上流が「四万川」、中流が「十川」と呼ばれており、これを合わせたものという説があるようです。

また、古くには下流を「渡川」と呼んでいて、これを合わせたものとする説もありました。

  • 読み方→「四万十町(しまんとちょう)」「窪川町(くぼかわちょう)」「大正町(たいしょうちょう)」「十和村(とおわそん)」

宿毛市の由来

1954年(昭和29年)に、「宿毛町」「小筑紫町」「沖ノ島村」「橋上村」「平田村」「山奈村」の合併、及び市制施行したことによって成立しています。

合併された町村の中にある「宿毛町」から名称を引き継いでいますが、市名が決定された経緯は分かりませんでした。

「宿毛」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していきます。

①この地域には葦という植物が生い茂っており、枯れた葦を「すくも」と呼ぶことに由来するという説。

②海岸の低地に拓けた土地を意味する「州窪」が転じたという、地形に由来するとされる説。

  • 読み方→「宿毛市(すくもし)」「宿毛町(すくもちょう)」「小筑紫町(こづくしちょう)」「沖ノ島村(おきのしまむら)」「橋上村(はしがみむら)」「平田村(ひらたむら)」「山奈村(やまなむら)」「葦(あし)」「州窪(すくぼ)」

須崎市の由来

1954年(昭和29年)10月1日に、「須崎町」「吾桑村」「浦ノ内村」「多ノ郷村」「上分村」が合併、及び市制を施行したことによって成立しました。

市名については、合併された町村の中で唯一の町である「宿毛町」から名称を引き継いでいます。

古くにはこの地域は「洲崎」と表記されていて、これが転じて「須崎」となったとされるそうです。

「洲崎」の由来としては、砂州と呼ばれる流水によって形成される地形であったことにちなむとされます。

また、他にも湾内に突き出した洲という意味があるといった情報もあり、この辺りは不明瞭です。

  • 読み方→「須崎市(すさきし)」「須崎町(すさきちょう)」「吾桑村(あそうむら)」「浦ノ内村(うらのうちむら)」「多ノ郷村(おおのごうむら)」「上分村(かみぶんむら)」

田野町の由来

1920年(大正9年)5月1日に、元々あった田野村が町制を施行したことによって、田野町が成立しました。

前身である「田野村」は、1889年(明治22年)の町村制が施行された際に成立した村になります。

古くには田野郷という場所があり、このときから続く地名となっていますが、あまり由来については分かりませんでした。

歴史的にみると、高田法橋という人物が川の水害を防ぐことに努め、拓かれた土地であるそうです。

詳しいことについては、また何か情報が分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「田野町(たのちょう)」

津野町の由来

2005年(平成17年)2月1日に、「葉山村」と「東津野村」が合併、及び町制を施行したことによって成立しています。

町名については、津野氏という一族の本拠地であったことに由来したものという情報がありました。

ただし、津野氏は地名から姓をとったといわれることから「津野」自体の由来は他にあることになります。

こちらの情報については調べてみたものの、特にこれといったものは見つかりませんでした。

由来に関して他に何か情報を見つけることが出来次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「津野町(つのちょう)」「葉山村(はやまむら)」「東津野村(ひがしつのむら)」

東洋町の由来

1959年(昭和34年)7月1日に、「甲浦町」と「野根町」が合併したことによって成立しました。

今回合併するにあたり、役場の場所の問題を始め、様々な衝突があったといわれています。

新たな町名をつけるにあたっても、中々決まらずに県が間に入って決めたという経緯があるそうです。

そんな「東洋」という名称の由来は、「東に太平洋を望む町」を意味しているとされています。

それが表している通り、この町は東に太平洋があり、水産業も盛んに行われている町です。

  • 読み方→「東洋町(とうようちょう)」「甲浦町(かんのうらちょう)」「野根町(のねちょう)」

土佐市の由来

1959年(昭和34年)1月1日に、高岡町が改称及び、市制を施行したことによって土佐市が成立しています。

高岡市の名称は既に富山県にあったことから、そのままの名称ではなく改称することとなりました。

市名については、馴染みのある地名であったことや、名産品である土佐紙やかつおぶしの土佐節にちなんでおり、「土佐」自体の由来は諸説あるとのことだったので今回2つの説を紹介します。

①土佐の地域が細長い地形であったことから、「土狭」という言葉が転じたものとされている説。

②陸地に挟まれていて狭くなった地形であったことから、「門狭」が転じたものとしている説。

  • 読み方→「土佐市(とさし)」「高岡町(たかおかちょう)」

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