更新情報:記事内容を更新(2025.4.7)
はじめに
このページは、神奈川県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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愛川町の由来
1940年(昭和15年)4月1日に、元々あった愛川村が町制を施行したことによって、愛川町が成立しました。
前身である愛川村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立しており、このときに命名されたものとなります。
「愛川」という名称の由来については、相模川の古い名称である「鮎川」から転じたものとなるそうです。
これは、文字通り鮎がたくさん獲れたことに由来したもので、この地域の暮らしにも深く関わってきました。
それに、この地域が属している「愛甲郡」の「愛」の字をとって、「愛川」となったとされます。
- 読み方→「愛川町(あいかわまち)」「相模川(さがみがわ)」「鮎川(あゆかわ)」「愛甲郡(あいこうぐん)」
厚木市の由来
1955年(昭和30年)に、「厚木町」「小鮎村」「玉川村」「南毛利村」「睦合村」が合併、及び市制を施行したことによって成立しました。
唯一の町である厚木町から名称を引き継いだ形となり、名称の由来については諸説あるとのことなので、今回3つの説を紹介します。
①木材の集散地であったことから「集木(アツメギ)」と呼ばれ、これが変化したとされる説。
②様々な川が合流する場所であることから、アイヌ語で「寄木(ヤオロケシ)」の表記が「厚木」と変化した説。
③相模川の渡船集落であったことから、アイヌ語の「アツイゲン」という言葉が転じたとされる説。
- 読み方→「厚木市(あつぎし)」「厚木町(あつぎまち)」「小鮎村(こあゆむら)」「玉川村(たまがわむら)」「南毛利村(なんもうりむら)」「睦合村(むつあいむら)」
綾瀬市の由来
1978年(昭和53年)11月1日に、元々あった綾瀬町が市制を施行したことによって、綾瀬市が成立しました。
1889年(明治22年)に元となる綾瀬村が成立し、このときに「綾瀬」と命名されていますが、その由来については諸説あるとのことで、今回3つの説を紹介します。
①蓼川や比留川、目久尻川の支流が綾の形をなしていることから、これにちなんだとする説。
②この地域にある蓼川が、別名「綾瀬川」と呼ばれていたことに由来しているとされていてる説。
③当時養蚕の産業が盛んであったことから、絹でできた「綾織」が転じて「綾瀬」となった説。
- 読み方→「綾瀬市(あやせし)」「蓼川(たてかわ)」「目久尻川(めくじりがわ)」
伊勢原市の由来
1971年(昭和46年)3月1日に、元々あった伊勢原町が市制を施行したことによって、伊勢原市が成立しました。
前身である伊勢原町は、1889年(明治22年)の町村制施行時の合併により成立していますが、以前より名称自体はあったようです。
「伊勢原」という名称については、この地域にある「伊勢原大神宮」に由来したものとなります。
当時、大山詣りにきた伊勢山田の人々によって土地が拓かれ、後に伊勢の人々が住み始めました。
そういったこともあり、三重県の伊勢神宮の祭神をこの地の神社に歓請したそうで、そのことから「伊勢原大神宮」となったとされます。
- 読み方→「伊勢原市(いせはらし)」「伊勢原町(いせはらまち)」「伊勢原大神宮(いせはらだいじんぐう)」「大山詣り(おおやままいり)」「伊勢神宮(いせじんぐう)」
海老名市の由来
1971年(昭和46年)11月1日に、元々あった海老名町が市制を施行したことによって、海老名市が成立しました。
1889年(明治22年)の町村制施行時には海老名村が成立し、このときに命名された「海老名」という名称の由来には諸説あるとのことで、今回3つの説を紹介します。
①階段状になった地形を意味している「エビ」という言葉が転じたことで「エビナ」となったとする説。
②荒れるといった意味がある「イビ」から転じたとされ、川の氾濫によってできた土地に由来する説。
③入江のところに大きな海老が生息していた、もしくは海老が多数生息していたことに由来している説。
- 読み方→「海老名市(えびなし)」
大磯町の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、大磯町が成立することとなりました。
このときに新たに命名されたものではなく、以前より「大磯宿」として地名は存在していたようです。
「大磯」という名称についてあまり情報が見つかりませんでしたが、一応由来とされる説が2つありましたので、紹介していこうと思います。
①いらっしゃいといった意味を持つ「オイソ」という言葉があり、これが転じたとされる説。
②小石の多い浜続きの地形であったことから、これに由来して「大磯」地名ができたとする説。
- 読み方→「大磯町(おおいそまち)」
大井町の由来
1956年(昭和31年)4月1日に、「金田村」「相和村」「曽我村(一部)」が合併、及び町制を施行したことによって、大井町が成立しています。
合併前の村には「大井」の名称はないことからこのときに命名されたものとなりますが、経緯については不明でした。
町名の由来については、昔この辺りが「大井の庄」と呼ばれていたことにちなんだものとなるそうです。
ただし、この「大井」という名称自体の由来については、情報をみつけることができませんでした。
こちらの由来については、他に何か情報が詳しく分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「大井町(おおいまち)」「金田村(かねだむら)」「相和村(そうわむら)」「曽我村(そがむら)」
小田原市の由来
1940年(昭和15年)12月20日に、「小田原町」「足柄町」「酒匂町(一部)」「大窪村」「早川村」が合併、及び市制を施行したことによって、小田原市が成立しています。
合併された町に小田原町があることから、この名称を引き継いだものとなりますが、経緯については分かりませんでした。
「小田原」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①「小由留木」と呼ばれていた昔の地名を、草書体で書いたことにより読み間違えたとする説。
②田原もしくは湿田が続く地形であったことから、これに由来してできた地名であるとする説。
- 読み方→「小田原市(おだわらし)」「小田原町(おだわらまち)」「足柄町(あしがらまち)」「酒匂町(さかわまち)」「大窪村(おおくぼむら)」「早川村(はやかわむら)」「小由留木(こゆるぎ)」
開成町の由来
1955年(昭和30年)2月1日に、「酒田村」「吉田島村」が合併、及び町制を施行したことによって、開成町が成立しました。
合併前の村の名称をみてもらうと分かる通り、今回新たに町名として「開成」と命名されています。
開成町という名称については、当時存在していた開成学校に由来して命名されたものであるようです。
その「開成」の由来は「開物成務」が語源とされ、この開物成務というのは中国の言葉となります。
この言葉は「学問、知識を開発し、世のため成すべき務めを成さしめる」という意味があるそうです。
- 読み方→「開成町(かいせいまち)」「酒田村(さかたむら)」「吉田島村(よしだじまむら)」「開物成務(かいぶつせいむ)」
鎌倉市の由来
1939年(昭和14年)11月3日に、「鎌倉町」と「腰越町」が合併、及び市制施行したことによって、鎌倉市が成立しました。
どのようにして市名が決定されたのかは不明ですが、元々鎌倉町もあることかは、名称が引き継がれたものとなります。
「鎌倉」の名称自体は古くからあり、その由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①鎌が「かまど」を、倉は「谷」を意味し、かまどのような形をして、倉のように開けている地形であったことに由来する説。
②アイヌ語で山を越えて行くといった意味がある「カマクラン」から転じたとされている説。
- 読み方→「鎌倉市(かまくらし)」「鎌倉町(かまくらまち)」「腰越町(こしごえまち)」
川崎市の由来
1924年(大正13年)に7月1日に、「川崎町」「大師町」「御幸村」が合併、及び市制を施行したことによって、川崎市が成立しました。
市名が決定された経緯などについては分かりませんでしたが、合併前の川崎町の名称から引き継いだものとなります。
古くには「河崎」という表記でも見られていて、これが現在の「川崎」へと表記が変わっているようです。
名称の由来についてですが、よく見られた情報としては、「川」が多摩川という川にちなんだものとされます。
そして「崎」とは三角州でできた地形を指しているそうで、合わせて「川崎」となりました。
- 読み方→「川崎市(かわさきし)」「川崎町(かわさきまち)」「大師町(だいしまち)」「御幸村(みゆきむら)」「多摩川(たまがわ)」
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