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岩手県の市町村名の由来【50音順 久慈市~二戸市】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.3.10)

はじめに

このページは、岩手県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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久慈市の由来

1954年(昭和29年)11月3日に、「久慈町」「長内町」「宇部村」「大川目村」「侍浜村」「夏井村」「山根村」が合併、及び市制を施行したことによって、久慈市が成立しました。

合併前の町にも「久慈町」があることから、この名称を引き継いだものとなりますが、「久慈」という地名の由来については諸説あるので、今回3つ紹介します。

①アイヌ語で「湾曲した砂丘」を意味する「クシュ」もしくは「クジ」という言葉が転じたとする説。

②「河口につくられた船着場」を意味する「口津」が転じて「久慈」となったとしている説。

③「河口によこたわる長い砂州」を意味している「口州」が転じたことで「久慈」となったとされる説。

  • 読み方→「久慈市(くじし)」「長内町(おさないまち)」「大川目村(おおかわめむら)」「侍浜村(さむらいはまむら)」「夏井村(なついむら)」「山根村(やまねむら)」「口津(くつ)」

葛巻町の由来

1940年(昭和15年)12月25日に、元々あった葛巻村が町制を施行したことによって、葛巻町が成立しました。

前身である葛巻村は、1889年(明治22年)の町村制が施行された際に成立していますが、以前より「葛巻」の地名はあったようです。

その地名の由来についてですが、諸説あるとのことなので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①葛の生えている牧場を表した「葛牧」が転じたことで「葛巻」という地名ができたとする説。

②傾斜地を崩して蒔いた焼畑を意味する「葛蒔」という言葉が転じて「葛巻」となったとする説。

  • 読み方→「葛巻町(くずまきまち)」

九戸村の由来

1955年(昭和30年)4月1日に、「戸田村」「伊保内村」「江刺家村」が合併したことによって、九戸村が成立しました。

村名は九戸郡に属していることもありますが、九戸氏が居をかまえたなどの歴史もあったことから「九戸村」となったそうです。

「九戸」という地名についてですが、かつて青森県から岩手県にかけて「糠部郡」が置かれました。

その際、一戸から九戸の9つの地区に分けられ、「戸」とは「地区」のような意味合いであったとされます。

「戸」に関してですが、牧場の木戸が由来とする説や、兵隊が駐留していた拠点の「柵戸」が由来とされる説など、諸説あるようです。

  • 読み方→「九戸村(くのへむら)」「戸田村(とだむら)」「伊保内村(いぼないむら)」「江刺家村(えしかむら)」「糠部郡(ぬかのぶぐん)」「一戸(いちのへ)」「柵戸(きへ・きのへ)」

雫石町の由来

1940年(昭和15年)12月23日に、元々あった雫石村が町制を施行したことによって、雫石町が成立しました。

前身である雫石村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より「雫石」の地名はあったようです。

「雫石」という名称の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①川の底に沈んだ石が多いことから「沈く石」と呼ばれ、これが転じて「雫石」となったとする説。

②洞窟で滴り落ちる水が石にあたり、音が共鳴したことで森の中にたんたんと音が鳴っていたそうで、それを見にきた人々から「滴石」と呼ばれ、これが「雫石」と転じた説。

  • 読み方→「雫石町(しずくいしちょう)」

紫波町の由来

1995年(昭和30年)4月1日に、「日詰町」「赤沢村」「佐比内村」「志和村」「長岡村」「彦部村」「古館村」「水分村」が合併したことによって、紫波町が成立しました。

町名については「紫波郡」に属していることに由来するとされ、「紫波」という地名の由来については、諸説あるとのことで、今回3つの説を紹介していこうと思います。

①この地域に「志賀理和氣神社」という神社があり、これを「シワ」と略したことに由来するという説。

②「たわまって曲がったところ」を意味する「シワ」という言葉に由来して「紫波」となったとする説。

③萎んだ地形であったとされ、このことから「シボ」が転じて「シワ」となり、漢字が当てられたとする説。

  • 読み方→「紫波町(しわちょう)」「日詰町(ひづめまち)」「赤石村」「志賀理和氣神社(しかりわけじんじゃ)」「赤石村(あかいしむら)」「赤沢村(あかざわむら)」「佐比内村(さひないむら)」「志和村(しわむら)」「長岡村(ながおかむら)」「彦部村(ひこべむら)」「古館村(ふるだてむら)」「水分村(みずわけむら)」

住田町の由来

1955年(昭和30年)4月1日に、「世田米町」「上有住村」「下有住村」が合併したことによって、住田町が成立しました。

合併された町村の名称をみてもらうとわかる通り、「住田」とは今回新たにつけられた名称となっています。

その由来については「上有住村」と「下有住村」から「住」を、「世田米」から「田」の文字をとった合成地名です。

余談とはなりますが、当初は「成瀬川」に由来した「成瀬町」とする予定であったとされています。

しかし、反対の声が挙がったことにより、現在の「住田町」で決定されることになったそうです。

  • 読み方→「住田町(すみたちょう)」「上有住村(かみありすむら)」「下有住村(しもありすむら)」「世田米町(せたまいまち)」

滝沢市の由来

2014年(平成26年)1月1日に、元々あった滝沢村が市制を施行したことによって、滝沢市が成立しました。

前身である滝沢村については、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より「滝沢」の地名はあったようです。

滝沢村は5つの地区の区域をもってできた村であり、当時の地区の中で最も広い場所であったことに由来して、村名となっています。

「滝沢」という地名については、漢字が表す通り、「滝の沢」に由来したものとなるようです。

滝となって流れている場所が複数あったことから「滝の沢」と呼ばれ、そこから「滝沢」という地名ができました。

  • 読み方→「滝沢市(たきざわし)」

田野畑村の由来

1889年(明治22年)に4月1日に、町村制が施行されたことにより、3つの区域をもって田野畑村が成立しました。

今回新たに命名されたものではなく、古くより「田野畑」の地名はあったことから、名称が引き継がれたものとなっています。

「田野畑」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①「田野畑」という名称通り、単純に畑のある土地であったことからできた地名とされている説。

②盆地の畑のことを指した「たわの畑」が転じたことで、「田野畑」という地名ができたとする説。

  • 読み方→「田野畑村(たのはたむら)」

遠野市の由来

1954年(昭和29年)12月1日に、「遠野町」「青笹村」「綾織村」「小友村」「上郷村」「附馬牛村」「土淵村」「松崎村」が合併したことによって、遠野市が成立しました。

市名については情報が見つかりませんでしたが、「遠野町」が合併された町村の中で唯一の町であることから、名称を引き継いだものと考えられそうです。

そんな「遠野」という名称の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①アイヌ語の「トーヌップ」という言葉が転じた説で、「トー」は湖や沼、「ヌップ」は丘を意味している。

②東方の野ということから「東野」となり、これが転じて「遠野」となったとされている説。

  • 読み方→「遠野市(とおのし)」「青笹村(あおざさむら)」「綾織村(あやおりむら)」「小友村(おともむら)」「上郷村(かみごうむら)」「附馬牛村(つきもうしむら)」「土淵村(つちぶちむら)」「松崎村(まつざきむら)」

西和賀町の由来

2005年(平成17年)11月1日に、「湯田町」と「沢内村」が合併したことによって、西和賀町が成立しました。

「西和賀」という名称の由来については情報が見つかりませんでしたが、「和賀郡」に属していることに関連していそうです。

また、西和賀町がある場所も西部であることから、これに由来したものではないかと推測されます。

ちなみに「和賀」の名称についてですが、アイヌ語に言葉に由来したものとされるようです。

それによると、アイヌ語で「綺麗な水」といった意味のある「ワッカ」という言葉が転じて「ワガ」となったとしています。

  • 読み方→「西和賀町(にしわがまち)」「湯田町(ゆだまち)」「沢内村(さわうちむら)」

二戸市の由来

1972年(昭和47年)4月1日に、「福岡町」と「金田一村」が合併、及び市制を施行したことによって、二戸市が成立しました。

市名は今回新たに付けられていますが、これは合併前の町村が「二戸郡」に属していたことに由来したものです。

「二戸」という地名については、かつて岩手県と青森県の一部地域に「糠部郡」が置かれた際、「一戸」から「九戸」の9つの地区に分けられたことに由来しています。

「戸」とは地区のような意味合いをもつそうですが、この字が使われた理由には諸説あるそうです。

一部紹介すると、牧場の「木戸」からという説や、兵隊が駐留していた拠点である「柵戸」が由来とする説などがありました。

  • 読み方→「二戸市(にのへし)」「福岡町(ふくおかまち)」「金田一村(きんだいちむら)」「糠部郡(ぬかのぶぐん)」「一戸(いちのへ)」「九戸(くのへ)」「木戸(きど)」「柵戸(きへ・きのへ)」

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