更新情報:記事内容を更新(2025.8.11)
はじめに
このページは、高知県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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土佐清水市の由来
1954年(昭和29年)8月1日に、「清水町」「下川口町」「下ノ加江町」「三崎町」が合併、及び市制を施行したことによって成立しました。
この地域には「清水の名水」という、土佐の三名水の一つがあり、市名はこれに由来するとしています。
通常であればそのまま「清水市」となるところですが、当時静岡県に既に同名の市が存在していました。
そのため、この地域において馴染みのある「土佐」の名称をつけて、「土佐清水」となったそうです。
ちなみに、現在静岡県にあった清水市は、2003年(平成15年)に静岡市と合併して無くなっています。
- 読み方→「土佐清水市(とさしみずし)」「清水町(しみずちょう)」「下川口町(しもかわぐちちょう)」「下ノ加江町(しものかえちょう)」「三崎町(みさきちょう)」
土佐町の由来
1970年(昭和45年)に、元々あった土佐村が町制を施行したことによって、土佐町が成立しています。
前身である土佐村は、1955年(昭和30)年の合併にて成立しており、このときに村の名称として「土佐」と命名されました。
かつては「土佐国」と呼ばれ、古くには「土左」などと表記されていた歴史もある地名ですが、その由来には諸説あるとのことで、今回2つの説を紹介していきます。
①細長い地形であったことから「土狭」となり、ここから表記が転じていったとされている説。
②この地域には港がなかったとされていて、このことから港のない土地で「津狭」が転じたとする説。
- 読み方→「土佐町(とさちょう)」「土佐国(とさのくに)」
中土佐町の由来
1957年(昭和32年)7月1日に、「上ノ加江町」と「久礼町」が合併したことによって成立しました。
町名については、かつて「土佐国」と呼ばれていたことや、その地域の中で中央に位置していたことに由来したものです。
「土佐」自体の由来については土佐町の項目でも紹介していますが、ここでは他の説を2つ紹介していきます。
①河川から流れてきた土砂が堆積していた土地であったことから、この「土砂」が転じたとする説。
②突き出た陸地に挟まれて狭くなった地形であったことから、「門狭」が転じたとされている説。
- 読み方→「中土佐町(なかとさちょう)」「上ノ加江町(かみのかえちょう)」「久礼町(くれちょう)」
奈半利町の由来
1916年(大正5年)5月1日に、元々あった奈半利村が町制を施行したことによって、奈半利町が成立しています。
前身である奈半利村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、いつ頃から地名としてあったのかは分かりませんでした。
また、「奈半利」という名称自体の由来に関しても、これといった情報は見つかっていません。
一応、古くには「なはの泊」の名称で登場しており、これが転じていったものと考えられているようです。
こちらの由来に関しては、また何か情報が分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「奈半利町(なはりちょう)」「泊(とまり)」
南国市の由来
1959年(昭和34年)10月1日に、「御免町」「岩村」「岡豊村」「香長村」「野田村」が合併、及び市制を施行したことによって成立しています。
市名を決めるにあたっては、「城東市」「嶺南市」「香長市」「後免市」「南海市」「黒潮市」といった候補の中から選ばれました。
「南国」という名称の由来については、温暖な気候に加え、南国らしい明るい国民性であることなどが理由として挙げられています。
ちなみに、「なんごく」と読まないのは「みなみのくに」という意味をもち、「くに」は濁点がつかないことから「こく」と呼ぶことになったそうです。
また、その他に「ごく」と読むことで「獄」につながるのを避けるためという意見もあったとされます。
- 読み方→「南国市(なんこくし)」「御免町(ごめんちょう)」「岩村(いわむら)」「岡豊村(おこうむら)」「香長村(かちょうむら)」「野田村(のだむら)」
仁淀川町の由来
2005年(平成17年)8月1日に、「池川町」「吾川村」「仁淀村」が合併したことによって成立しました。
町名については、この地域を流れている「仁淀川」という川にちなんだものとなるようです。
「仁淀川」という名称自体の由来は、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していきます。
①「山城国」と呼ばれた地域にある、「淀川」に似ていることから「仁淀」と呼ばれるようになった説。
②鮎を貢ぎ物として出していたことから「贄殿川」と呼ばれ、これが転じたことでできたとする説。
- 読み方→「仁淀川町(によどがわちょう)」「池川町(いけがわちょう)」「吾川村(あがわむら)」「仁淀村(によどむら)」「山城国(やましろのくに)」「淀川(よどがわ)」「鮎(あゆ)」「贄殿川(にえどのがわ)」
日高村の由来
1954年(昭和29年)10月15日に、「加茂村(一部)」「日下村」「能津村」が合併したことによって成立しています。
合併にあたって新しい村の名称がつけられていますが、日高村と決まった経緯などは分かりませんでした。
「日高」という名称の由来についてですが、それぞれの字に意味があるらしく、「日」は日本からとっているそうです。
そして、「高」は高知県から字をとっており、合わせて「日高」の名称になったとしています。
決定に至った流れなど他に何か情報が分かり次第、こちらは改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「日高村(ひだかむら)」「加茂村(かもむら)」「日下村(くさかむら)」「能津村(のうづむら)」
三原村の由来
1889年(明治22に4月1日に、町村制が施行されたことによって、三原村が成立しています。
12からなる村が合併していますが、三原村がないことから、このときに命名されたものであるようです。
「三原」という名称の由来については、「水原」が転じたことでできた地名といわれています。
この「水原」とは、水が豊かな高原を意味するとされ、実際三原村は水に恵まれた土地だそうです。
しかし、何故「水原」から「三原」に転じたのかなど詳しいことは分からなかったので、分かり次第追記していきます。
- 読み方→「三原村(みはらむら)」
室戸市の由来
1959年(昭和34年)3月1日に、「室戸町」「吉良川町」「佐喜浜町」「羽根町」「室戸岬町」の合併及び市制施行したことによって成立しています。
市名は合併された町にある「室戸」の名称を引き継いでいますが、経緯などは分かりませんでした。
「室戸」という名称については、洞窟の「御厨人窟」のムロに由来するといわれています。
また、これに関連したものかは不明ですが、由来に関しては別の情報を記載がありました。
それによると「室」は山の斜面に穴を掘って作られた住居で、「戸」は住居の出入り口や扉を意味するとしています。
- 読み方→「室戸市(むろとし)」「室戸町(むろとちょう)」「吉良川町(きらがわちょう)」「佐喜浜町(さきはまちょう)」「羽根町(はねちょう)」「室戸岬町(むろとみさきちょう)」「御厨人窟(みくろど)」
本山町の由来
1910年(明治43年)6月1日に、元々あった本山村が町制を施行したことによって、本山町が成立しました。
前身である本山村は、1890年(明治23年)改称してできており、元々は「西本山村」という名称だったそうです。
改称にともない、「西」の字がきえていますが、このあたりの理由は分かりませんでした。
また、同様に「本山」という名称の由来についても特に情報が見当たらず、分かっていません。
この辺りについては、また由来に関して何か情報が分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「本山町(もとやまちょう)」
安田町の由来
1925年(大正14年)2月11日に、元々あった安田村が町制を施行したことによって、安田町が成立しました。
前身である安田村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に、4つの村の区域をもって成立しています。
この4つの村の中には既に安田村の名称が見えるため、以前より存在している地名であるようです。
しかし、「安田」という名称の由来については、情報を見つけることが出来ませんでした。
こちらの由来に関しては、また何か分かり次第、改めて追記をしていこうと思っています。
- 読み方→「安田町(やすだちょう)」
檮原町の由来
1966年(昭和41年)11月3日に、元々あった檮原村が町制を施行したことによって、檮原町が成立しました。
前身である檮原村は、1912年(明治45年)に「西津野村」が改称したことによって成立しています。
改称に至った経緯は分かりませんでしたが、1889年(明治22年)の町村制施行時には、既にあった地名のようです。
「檮原」という地名については、檮という木に由来して命名されたものとされていました。
この地域では檮の木が多く生えていたことから、それにちなんで「檮原」となったそうです。
- 読み方→「檮原町(ゆすはらちょう)」
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