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鹿児島県の市町村名の由来【50音順 枕崎市~和泊町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.4.7)

はじめに

このページは、鹿児島県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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枕崎市の由来

1949年(昭和24年)9月1日に、元々あった枕崎町が市制を施行したことによって、枕崎市が成立しました。

前身である枕崎町は、1923年(大正12年)に成立しており、東南方村が町制施行時に「枕崎」と改称したそうです。

「枕崎」という名称の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介します。

①かつてこの地に流れ着いた枕箱にエビス様の御神体が入っていて、神社に祀ったことに由来するという説。

②暗礁もしくは岩礁のことを「マクラ」と呼ぶことから、これにちなんでいるとされる説。

  • 読み方→「枕崎市(まくらざきし)」

三島村の由来

1952年(昭和27年)2月10日に、十島村の一部の区域をもって、三島村が成立することとなりました。

十島村は有人の島が10あることからついた名称であるそうで、そのうち7つの島がアメリカの統治下となってしまいます。

その間、日本側には残りの3つの島が残される形となり、他の島とは別の発展の仕方をしてきました。

その後、1952年(昭和27年)には7つの島も日本に返還されることとなりますが、この際名称が決定されています。

返還された7つの島は「十島村(としまむら)」として、元々あった3つの島は「三島村」としてスタートしました。

  • 読み方→「三島村(みしまむら)」「十島村(じっとうそん)」

南大隅町の由来

2005年(平成17年)3月31日に、「根占町」「佐多町」が合併したことによって、南大隅町が成立しました。

今回町名に関して新たな名称となっていますが、これは一般公募によって決定されたものです。

「南大隅」という名称については、この町が「大隅半島の南部」に位置していることに由来しています。

ちなみに、「大隅」という名称の由来を調べてみたところ、特に情報を見つけることができませんでした。

こちらの由来については、また何か新しい情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「南大隅町(みなみおおすみちょう)」「根占町(ねじめちょう)」「佐多町(さたちょう)」「大隅国(おおすみのくに)」

南九州市の由来

2007年(平成19年)12月1日に、「川辺町」「知覧町」「頴娃町」が合併、及び市制を施行したことによって、南九州市が成立しています。

今回、市名を決めるにあたって、どのような経緯で名称が決定されたのかについては分かりませんでした。

また、由来については不明でしたが、恐らく「九州の南」に位置していることにちなんだものと考えられます。

ちなみに、「九州」の由来については、その範囲の地域に9つの国があったのとにちなんだものです。

これは現在の県ではなく、古くに律令制によってできた国という行政区分によるものとなります。

  • 読み方→「南九州市(みなみきゅうしゅうし)」「川辺町(かわなべちょう)」「知覧町(ちらんちょう)」「頴娃町(えいちょう)」

南さつま市の由来

2005年(平成17年)11月7日に、「加世田市」「大浦町」「金峰町」「笠沙町」「坊津町」が合併したことによって、南さつま市が成立しています。

今回合併にあたり、市の名称として新しく「南さつま」と命名されていますが、経緯については分かりませんでした。

また、同じく「南さつま」という名称の由来についても不明で、「薩摩半島の南部」に位置したことにちなんだものと考えられます。

平仮名となっている理由も分かりませんが、他の平仮名を採用している自治体をみると、親しみも持たせるためなどがあるようです。

また、元ある地名と区別するためにも使われることもあり、今回であれば「薩摩」の地名と区別した形となります。

  • 読み方→「南さつま市(みなみさつまし)」「加世田市(かせだし)」「大浦町(おおうらちょう)」「笠沙町(かささちょう)」「金峰町(きんぽうちょう)」「坊津町(ぼうのつちょう)」

南種子町の由来

1956年(昭和31年)10月15日に、元々あった南種子村が町制を施行したことによって、南種子町が成立しました。

前身である南種子村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立し、名称は位置している場所に由来したものとなります。

というのも、この町は「種子島の南部」に位置しており、このことから「南種子」となったとのことです。

「種子島」という名称の由来についても調べてみましたが、古くには「多禰島」という名称であったことしか分かりませんでした。

これが転じたものとは考えられそうですが、その他に何か分かれば、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「南種子町(みなみたねちょう)」「種子島(たねがしま)」「多禰島(たねのしま)」

屋久島町の由来

2007年(平成19年)10月1日に、「上屋久町」と「屋久町」が合併したことによって、屋久島町が成立しています。

今回合併によって新しく町名がつけられていますが、決まった経緯などについては分かりませんでした。

町名の由来についても不明でしたが、この町が屋久島に位置していることにちなんでいると考えられそうです。

「屋久島」という名称についても調べてみましたがあまり情報はなく、「掖玖(やく)」などと表記されていました。

由来については、山や海などで「薬(やく)」がとれることにちなむのではないかともされるそうですが、詳細は不明です。

  • 読み方→「屋久島町(やくしまちょう)」「上屋久町(かみやくちょう)」「屋久町(やくちょう)」

大和村の由来

1908年(明治41年)4月1日に、島嶼町村制が施行されたことによって、大和村が成立しました。

成立する以前には「大和浜」という名称であったようで、村の名称はこれに由来したものとなります。

この「大和浜」については「やまとんちゅ」という言葉に由来したものとなっているそうです。

当時船着き場には本土の人々が立ち寄っていたそうで、本土の人のことを「やまとんちゅ」と呼んでいたとされます。

ただし、由来は不明と紹介しているところもあるので、あくまで1つの説として考えるほうがよさそうです。

  • 読み方→「大和村(やまとそん)」

湧水町の由来

2005年(平成17年)3月22日に、「栗野町」と「吉松町」が合併したことによって、湧水町が成立しました。

今回新たに町名として「湧水」と命名されていますが、合併協議会によって決定されたものです。

「湧水」という名称については、文字が表す通り「湧き出る水」に由来したものとなっています。

栗野町には丸池、そして吉松町では竹中池があり、これが湧水の由来となる場所だそうです。

この2つの場所が、湧き水の出る池として有名でもある為、町名に採用されることとなりました。

  • 読み方→「湧水町(ゆうすいちょう)」「栗野町(くりのちょう)」「吉松町(よしまつちょう)」「丸池(まるいけ)」「竹中池(たけなかいけ)」

与論町の由来

1963年(昭和38年)1月1日に、元々あった与論村が町制を施行したことによって、与論町が成立しました。

前身である与論村は、1908年(明治41年)の島嶼町村制が施行されたときに成立し、このときに村名として「与論」と命名されています。

ただし元から与論島という島はあり、情報は見つかりませんでしたが、これに由来したものと考えられそうです。

「与論」という名称については「ユンヌ」や「ユルヌ」といった言葉が転じたものとされます。

これは琉球の方言であるそうで、この島の元々の呼び名となりますが、意味などは分かりませんでした。

  • 読み方→「与論町(よろんちょう)」「与論島(よろんじま)」

和泊町の由来

1941年(昭和16年)5月1日に、元々あった和泊村が町制を施行したことによって、和泊町が成立しました。

前身である和泊村は、1908年(明治41年)の島嶼町村制施行時に成立していますが、元々あった地名なのかは不明です。

また、「和泊」という名称の由来についても調べてみましたが、情報を見つけることが出来ませんでした。

和泊町は沖永良部島に位置している為、島の名称からとったわけでもなく、推測も難しいです。

こちらの由来については、また何か情報が詳しく分かり次第、改めて追記していこうと思います。

  • 読み方→「和泊町(わどまりちょう)」「沖永良部島(おきのえらぶじま)」

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