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島根県の市町村名の由来【50音順 江津市~吉賀町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.8.22)

はじめに

このページは、島根県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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島根県知識まとめ

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島根県の市町村の由来【50音順 海士町~川本町】

江津市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「江津町」「都野津町」「浅利村」「跡市村」「川波村」「川平村」「江東村」「二宮村」「松川村」が合併、及び市制が施行されたことによって成立しました。

市名がどのようにして決まったのかは分かりませんでしたが、合併前の町にもある江津町の名称が引き継がれています。

「江津」という地名の由来としては、中国地方で最大の川である「江の川」にちなんだものです。

この地域は、江の川における河口の港として発展してきた歴史があり、そのことから「江の川の港」として「江津」となりました。

ちなみに、「江の川」の名称についてですが、「ゴウ」が川岸を意味しているとして古くには「郷」の字も当てられていたそうです。

  • 読み方→「江津市(ごうつし)」「江津町(ごうつちょう)」「都野津町(つのづまち)」「浅利村(あさりむら)」「跡市村(あといちむら)」「川波村(かわなみむら)」「川平村(かわひらむら)」「江東村(こうとうむら)」「二宮村(にのみやむら)」「松川村(まつかわむら)」「江の川(ごうのかわ)」

知夫村の由来

1904年(明治37年)5月1日に、島根県における町村制が施行されたことによって、知夫村が成立しました。

このときの町村制はあくまで準ずるものとされるそうで、全国の多くの地域で制定されたものと同じ町村制は1921年(大正10年)のことだそうです。

「知夫」という地名の由来については、「道触神」を奉っていたことにちなむといわれています。

これは海路の旅の安全を守る神だそうで、この地域は大陸との交通において大事な場所であったそうです。

そのことから、古くには「ちぶり」と呼ばれていたのが、明治以降には「ちぶ」となり地名として定着しました。

  • 読み方→「知夫村(ちぶむら)」「道触神(ちぶりのかみ)」

津和野町の由来

1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことにより、5つの村の区域をもって津和野町が成立しました。

このときの村には「津和野」の名称があることから、古くからある名称となっているようです。

「津和野」という地名としては、この地の里のことを「つわぶきの野」と呼んでいたのが由来とされています。

これは、そのまま「ツワブキが生い茂る野」を意味しているとされ、当時、ツワブキという植物が生い茂っていたそうです。

いつ頃から地名として定着したのかは分かりませんが、これが転じたことで「津和野」となりました。

  • 読み方→「津和野町(つわのちょう)」

西ノ島町の由来

1957年(昭和32年)2月11日に、「浦郷町」と「黒木村」が合併したことによって成立しています。

今回合併によって町名が新たに命名されていますが、どのようにして決まったのかは分かりませんでした。

この場所は隠岐諸島の「西ノ島」に位置しており、町名はここからとったものと思われます。

この隠岐諸島は「島前」と「島後」に分かれており、町がある西ノ島は島前に属している島です。

ちなみに「西ノ島」という名称については、そのまま「西にある島」に由来しているとされます。

  • 読み方→「西ノ島町(にしのしまちょう)」「浦郷町(うらごうちょう)」「黒木村(くろぎむら)」「隠岐諸島(おきしょとう)」「島前(どうぜん)」「島後(どうご)」

浜田市の由来

1940年(昭和15年)11月3日に、「浜田町」「石見村」「周布村」「長浜村」「美川村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、合併された町村の中で唯一の町である、浜田町から名称を引き継いでいます。

古くには「濱田」としてみられ、これが現在の「浜田」の表記へと変わっていったようです。

「浜田」という地名の由来としては、その名が表す通り浜に田を拓いたことにちなむとされています。

ただし、情報自体は少なかったので、他に何かしら由来について見つけることができたら追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「浜田市(はまだし)」「浜田町(はまだちょう)」「石見村(いわみむら)」「周布村(すふむら)」「長浜村(ながはまむら)」「美川村(みかわむら)」

益田市の由来

1952年(昭和27年)8月1日に、「益田町」「小野村」「北仙道村」「高城村」「豊川村」「豊田村」「中西村」「安田村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、合併された町村の中で唯一の町である益田町から名称を引き継いだ形となります。

「益田」という地名としては、調べてみたもののこれといった情報を見つけることができませんでした。

古くには「末須太」もしくは「真砂田」という表記もあったとされることから、これが転じたものと考えられそうです。

こちらの由来については、また他に何か情報が分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「益田市(ますだし)」「小野村(おのむら)」「北仙道村(きたせんどうむら)」「高城村(たかぎむら)」「豊川村(とよかわむら)」「豊田村(とよたむら)」「中西村(なかにしむら)」「安田村(やすだむら)」「真砂田(まさだ)」

松江市の由来

1889年(明治22年)4月1日に、市制が施行されたことによって、松江市が成立することとなりました。

「松江」という名称は古くからあり、1611年に亀田山に城を築いたときに命名されたとしています。

当時この地域には「白潟」と「末次」の2つの郷があり、これを合わせて「松江」としたそうです。

この名称の由来としては、中国にある「淞江」という地名に由来するとされる情報がありました。

当時の風景などがこの淞江に似ているということから、命名するに至ったとされているようです。

  • 読み方→「松江市(まつえし)」「白潟(しらかた)」「末次(すえつぐ)」

美郷町の由来

2004年(平成16年)10月1日に、「邑智町」と「大和村」が合併したことによって成立しています。

町名については新たに命名された形となっていますが、どのようにして決まったのかなどは分かりませんでした。

「美郷」という名称については、自然豊かな美しい故郷を残したいという思いを込めたものだそうです。

この地域は中国地方で最も大きい江の川をはじめ、そういった自然とうまく調和した街並みがあります。

また、「みさと」には人情があり、いきいきと住民が暮らしていることを表す響きがあるということも、「美郷」とした理由の1つです。

  • 読み方→「美郷町(みさとちょう)」「邑智町(おおちちょう)」「大和村(だいわむら)」

安来市の由来

1954年(昭和29年)4月1日に、「安来町」「飯梨村」「荒島村」「赤江村」「島田村」「大塚村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。

市名については、合併前の町村の中でも唯一の町である安来町の名称を引き継いだ形となります。

「安来」という地名由来としては、日本神話に登場するスサノオノミコトの言葉にちなんだものです。

この地を訪れた際に、「吾が御心は安平けくなりぬ」と言われたとされ、「安来く地」と命名したとしています。

この「安来く地」が転じたことで「安来」となったといわれ、地名として定着することとなりました。

  • 読み方→「安来市(やすぎし)」「飯梨村(いいなしむら)」「荒島村(あらしまむら)」「赤江村(あかえむら)」「島田村(しまたむら)」「大塚村(おおつかむら)」「安平(やす)」「安来く(やすけく)」

吉賀町の由来

2005年(平成17年)10月1日に、「六日市町」と「柿木村」が合併したことによって成立しています。

町名は新たに命名されたものとなっていますが、どのようにして決められたのかなどは分かりませんでした。

「吉賀」という地名は古くからあり、一般的には「悪鹿」から転じたものとされているようです。

この地にやってきた鹿が暴れており、これを退治したという話があり、このことから「悪鹿」となりました。

そして、この悪い鹿が良い鹿になるようにと「良鹿」となり、「よいしか」から「よしか」と呼び方も変わり、現在の表記になったとしています。

  • 読み方→「吉賀町(よしかちょう)」「六日市町(むいかいちちょう)」「柿木村(かきのきむら)」

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