更新情報:記事内容を更新(2025.3.20)
はじめに
このページは、岡山県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
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赤磐市の由来
2005年(平成17年)3月7日に、「山陽町」「赤坂町」「熊山町」「吉井町」が合併、及び市制を施行したことによって、赤磐市が成立しました。
合併前の町をみてわかる通り、市名は今回新たに命名されたもので、4つの町が属していた「赤磐郡」に由来したものとなります。
この「赤磐」の名称については、「赤坂郡」と「磐梨郡」の区域からできた場所であることから、それぞれの字を合わせたもののようです。
ちなみに、それぞれの由来ですが「赤坂郡」は赤土があった場所で、坂もある地形であったことにちなんだ名称になります。
そして「磐梨郡」は、岩がたくさんあったことから「岩が成す」に由来したものであるそうです。
- 読み方→「赤磐市(あかいわし)」「山陽町(さんようちょう)」「赤坂町(あかさかちょう)」「熊山町(くまやまちょう)」「吉井町(よしいちょう)」「赤坂郡(あかさかぐん)」「磐梨郡(いわなしぐん)」
浅口市の由来
2006年(平成18年)に3月21日に、「鴨方町」「金光町」「寄島町」が合併、及び市制を施行したことによって、浅口市が成立しました。
市の名称としては、合併された3町が浅口郡に属していたことに由来したものであるようです。
この「浅口」という名称の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①崖や崩落地を意味している「アズ」と「フチ」から転じて「アサクチ」となったとされる説。
②川の遠浅にある、河口付近に位置する地域であったことに由来して「浅口」となったとする説。
- 読み方→「浅口市(あさくちし)」「鴨方町(かもがたちょう)」「金光町(こんこうちょう)」「寄島町(よりしまちょう)」
井原市の由来
1953年(昭和28年)に4月1日に、「井原町」「西江原町」「高屋町」「荏原村」「木之子村」「県主村」「青野村」「山野上村」「稲倉村」「大江村」が合併、及び市制を施行したことによって、井原市が成立しました。
「井原」という名称については古くからあり、その由来については諸説ありますので今回3つの説を紹介していこうと思います。
①「茨八幡神社」という神社があったことから、これに由来して「井原」と転じたとされる説。
②茨が多かった地域であったことから、このことに由来して「井原」の地名ができたとする説。
③イノシシが多い地域であったことから「猪原」が転じて「井原」となったとされている説。
- 読み方→「井原市(いばらし)」「西江原町(にしえばらちょう)」「高屋町(たかやちょう)」「荏原村(えばらそん)」「木之子村(きのこそん)」「県主村(あがたぬしそん)」「青野村(あおのそん)」「山野上村(やまのうえそん)」「稲倉村(いなくらそん)」「大江村(おおえそん)」「茨八幡神社(いばらぎはちまんじんじゃ)」
岡山市の由来
1889年(明治22年)6月1日に、市制を施行したことにより、岡山区の区域をもって岡山市が成立しています。
県名にもなっている「岡山」の地名は古くからあり、元々は小高い丘のことを指したものでありました。
この丘に城が築城されることになり、そのときに名称をとって「岡山城」と命名されたそうです。
その後、この辺りの地域は城下町として発展していくこととなり、中心的な場所となっていきます。
こうして元々は小高い丘を指した「岡山」の名称が、いつしか地名として定着することとなりました。
- 読み方→「岡山市(おかやまし)」
鏡野町の由来
1952年(昭和27年)11月10日に、「芳野村」「大野村」「小田村」「中谷村」「香々美南村」「香々美北村」が合併、及び町制を施行したことによって、鏡野町が成立しました。
町名については新たに命名されたものとはなっていますが、古くからある名称に由来したものであるようです。
合併された地域は「香々美郷」と「野介郷」と呼ばれていた場所に、属していたとされています。
このことから、それぞれの字を合わせて「鏡野」となりましたが、その際「香々美」の表記を「鏡」に変更しました。
変更された理由は不明でしたが、「香々美」の地名は鏡を製作していた部族に由来したものであることから、この漢字を使ったものと思われます。
- 読み方→「鏡野町(かがみのちょう)」「芳野村(よしのそん)」「大野村(おおのそん)」「小田村(おだそん)」「中谷村(なかだにそん)」「香々美南村(かがみみなみむら)」「香々美北村(かがみきたそん)」
笠岡市の由来
1952年(昭和27年)4月1日に、「笠岡町」と「金浦町」が合併、及び市制を施行にしたことによって、笠岡市が成立しています。
自治体として「笠岡」の名がついたのは、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立した笠岡村になりますが、それ以前より名称自体はありました。
「笠岡」という地名の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①当時、この地を支配した人物である「笠臣氏」に由来して「笠岡」と転じたとされている説。
②神功皇后が立ち寄ったといわれる「笠目山」に由来して「笠岡」の地名ができたとする説。
- 読み方→「笠岡市(かさおかし)」「金浦町(かなうらちょう)」「笠臣(かさのおみ)」「神功皇后(じんぐうこうごう)」
吉備中央町の由来
2004年(平成16年)10月1日に、「賀陽町」と「加茂川町」が合併されたことによって、吉備中央町が成立しました。
町名については公募が行われており、その結果として「吉備中央」という名称が採用されたようです。
名称の由来としては、古くにはこの場所が「吉備国」と呼ばれていたことにちなんだものになります。
吉備国は現在の岡山県の大部分を占める範囲であり、この地域は中央に位置していたことが由来です。
余談とはなりますが、属している郡である「加賀郡」は元々なく、この合併に伴って新たに命名されていますが、これは合併された町名から、それぞれ字をとったものとなります。
- 読み方→「吉備中央町(きびちゅうおうちょう)」「賀陽町(かようちょう)」「加茂川町(かもがわちょう)」「吉備国(きびのくに)」
久米南町の由来
1954年(昭和29年)に4月1日に、「弓削町」「誕生寺村」「龍山村」「神目村」が合併したことによって、久米南町が成立しました。
「久米南」という名称は、みてわかる通り新たに命名されたものであり、これは郡名に由来したものとなります。
今回合併された町村は久米郡に属していていますが、元々は「久米北条郡」と「久米南条郡」に分かれていました。
この2つの郡のうち、これらの地域は久米南条郡に位置しており、そのことに由来して「久米南町」となっています。
ちなみに「久米」という名称についてですが、これは久米の一族が住んでいたことに由来するそうです。
- 読み方→「久米南町(くめなんちょう)」「弓削町(ゆげちょう)」「誕生寺村(たんじょうじそん)」「龍山村(たつやまむら)」「神目村(こうめそん)」「久米北条郡(くめほくじょうぐん)」「久米南条郡(くめなんじょうぐん)」
倉敷市の由来
1928年(昭和3年)4月1日に、元々あった倉敷町が市制を施行したことによって、倉敷市が成立しました。
自治体としては、1889年(明治22年)の町村制施行時に、倉敷村が成立していますが、それ以前より名称自体はあったようです。
「倉敷」という地名については、「倉敷地」もしくは「倉屋敷」に由来したものといわれています。
どちらも意味合いとしては同じで、古くにはこの場所は米の集積所として倉が多数あったそうです。
そのことから、中継拠点として繁栄したことで倉敷地などと呼ぶようになり、地名として「倉敷」と呼ばれるようになりました。
- 読み方→「倉敷市(くらしきし)」
里庄町の由来
1950年(昭和25年)6月1日に、元々あった里庄村が町制を施行したことによって、里庄町が成立しています。
前身である里庄村は、1905年(明治38年)の合併により成立していますが、このときに「里庄」の名称はできました。
このとき合併されたのは「里見村」と「新庄村」の2つの村で、この村の名称が由来となります。
どういうことかというと、文字をみてもらうとわかる通り、それぞれの字をとったことで「里庄」となったようです。
ちなみに、合併前の2つの村名についても由来を調べてみましたが、こちらは情報がでてきませんでした。
- 読み方→「里庄町(さとしょうちょう)」「里見村(さとみそん)」「新庄村(しんじょうそん)」
勝央町の由来
1954年(昭和29年)3月31日に、「勝間田町」「植月村」「高取村」「古吉野村」「吉野村(一部)」が合併したことによって、勝央町が成立しました。
この地域は「勝田郡」に属しており、「勝央」の名称もこれに由来したものとなっているようです。
勝田郡において中央である、つまり中心の場所となるという意味を込めて「勝央町」となりました。
「勝田」の名称については「玉勝間」に由来したものとされ、これは「美しい籠」を意味するそうです。
伝説によると、ヤマトタケルという人物が田んぼにこの籠を落としてしまったそうで、このことから「勝田」となったとしています。
- 読み方→「勝央町(しょうおうちょう)」「勝間田町(かつまだちょう)」「植月村(うえつきそん)」「高取村(たかとりそん)」「古吉野村(こよしのそん)」「吉野村(よしのそん)」「勝田郡(かつたぐん)」「玉勝間(たまかつま)」
新庄村の由来
1889年(明治22年)6月1日に、町村制が施行されたことによって、新庄村が成立することとなりました。
ただし、これは自治体としての成立の話であり、新庄村という場所自体はそれ以前よりあったようです。
「新庄」という名称については、「美甘荘」と呼ばれていた荘園に由来したものとなっています。
というのも、その後美甘荘は2つに分かれたそうで、「美甘本荘」と「美甘新荘」ができたそうです。
そのうち「美甘新荘」の「新荘」が「新庄」と転じたことによって、地名として定着されました。
- 読み方→「新庄村(しんじょうそん)」
瀬戸内市の由来
2004年(平成16年)11月に、「邑久町」「牛窓町」「長船町」が合併、及び市制を施行したことによって、瀬戸内市が成立しました。
市の名称については公募が行われたそうで、その結果として「瀬戸内市」と決定されたようです。
「瀬戸内」の名称についてですが、瀬戸内海に面していることに由来したものとなっています。
このことから、瀬戸内海の恩恵を受けた、穏やかな地域というイメージがもてるなどの理由で決定へと至りました。
ちなみに「瀬戸内海」の由来については、「瀬戸」が海峡を意味しているとし「海峡の内側」を指したものであるなどいわれるようです。
- 読み方→「瀬戸内市(せとうちし)」「邑久町(おくちょう)」「牛窓町(うしまどちょう)」「長船町(おさふねちょう)」
総社市の由来
1954年(昭和29年)3月31日に、「総社町」「新本村」「山田村」「久代村」「池田村」「阿曽村」「常磐村」が合併、及び市制を施行したことによって、総社市が成立しています。
1889年(明治22年)の町村制施行時に総社村が成立していますが、それより前から名称自体はありました。
歴史をみてみると、1875年(明治8年)の合併の際に「総社村」が誕生し、現在にまで受け継がれています。
そんな「総社」という名称については、表記の通り総社があったことに由来したものです。
総社とは地域内の神社に祀られている神々を集めた神社のことだそうで、現在では「備中国総社宮」と呼ばれています。
- 読み方→「総社市(そうじゃし)」「新本村(しんぽんむら)」「山田村(やまだむら)」「久代村(くしろむら)」「池田村(いけだむら)」「阿曽村(あぞむら)」「常磐村(ときわむら)」「備中国総社宮(びっちゅうのくにそうじゃぐう)」
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