更新情報:タイトルを変更(2023.8.15)
はじめに
このページは宮崎県の市町村の名称の由来をまとめたページになります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いため、複数の記事に分けています。(このページでは綾町~五ヶ瀬町まで)
宮崎県の由来についてはこちら
参考にしているページとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあること、ご了承ください。
綾町の由来
1932年(昭和7年)10月1日に、前身である綾村が町制を施行したことにによって綾町が成立しました。
古くには「阿陀能奈珂椰」と呼ばれていたとされ、これが略されたこたで「阿椰」となった後現在の表記へと変わったそうです。
また、「亜椰」と表記されている情報もあり、見た限りでは「阿椰」と「亜椰」どちら混在していてどちらが正確なのかは不明でした。
この地域は綾城もあって戦いの中での拠点となったり、その後は古くなった城に役場が置かれるなど重要場所となりました。
そういったこともあって1889年(明治22年)の町村制施行時に、南俣、北俣、入野を合わせて綾村と称したとされています。
- 読み方→「阿陀能奈珂椰(あだのなかや)」
えびの市の由来
1970年(昭和45年)12月1日に、前身であるえびの町が市制を施行したことにによってえびの市が成立しました。
えびの市の南東部には「えびの高原」と呼ばれる標高が高い場所があり、これが市名の由来になっているそうです。
この「えびの」の由来については諸説あるとされ、一説によると赤紫に近いいろであるえび色にちなんだものとされています。
一帯にはススキが生い茂っていて、火山ガスが噴出していた影響を受けることでえび色と変わるとされていたことに由来するものです。
他の説として「江火野」を語源としてできたとするものがあり、入り江を望む火山の裾野ということに由来したものとなります。
門川町の由来
1935年(昭和10年)2月11日に、前身である門川村が町制を施行したことによって門川町が成立しました。
門川の名称の由来については情報を発見することができず、推測できそうな情報も見つけることもできませんでした。
1889年(明治22年)に町村制が施行されて門川村は成立しましたが、以前から門川の地名自体はあったようです。
しかし、そういった歴史をみても門川という地名が生まれた由来などに繋がりそうといえるものはわかりませんでした。
こちらについては情報が無さすぎるので、門川の由来についてまた詳しく分かり次第追記していこうと思います。
川南町の由来
1953年(昭和28年)2月11日に、前身である川南村が町制を施行したことにによって川南町が成立しました。
町の北部のほうには名貫川と呼ばれる川があり、この川の南に位置していることが川南という名称の由来とされています。
余談とはなりますが川南町の中心地域は「トロントロン」と呼ばれていて、こちらの由来は主に二つの説があるようです。
まず一つ目の説は西郷隆盛が西南戦争に敗れ逃げた際に、ぬかるんだ地面を「とろんとろんしている」といったことに由来するいう説になります。
もう一つの説としては湧き水の水の音が「タランタラン」と聞こえたとし、ここから「トロントロン」となったとしているようです。
- 読み方→「名貫川(なぬきがわ)」
木城町の由来
1973年(昭和48年)4月1日に、前身である木城村が町制を施行したことにによって木城町が成立しました。
木城村は1889年(明治22年)5月1日、町村制に伴い「椎木村」と「高城村」の合併が行われたことによって成立しました。
木城という名称は合併された村の名称をみてみると分かるとおり、それぞれの字をとってできた合成地名となっています。
合併される前の椎木村と高城村の由来も調べてみようと思いましたが、こちらに関しては分かりませんでした。
もしこちらについての情報が見つかるようでしたらこの二つの村の由来についても追記していこうと思います。
串間市の由来
1954年(昭和29年)11月3日に、「福島町」「市木村」「大束村」「都井村」「本城村」が合併及び市制施行したことによって串間市が成立しました。
古くには「櫛間」と表記されていたといわれ、「櫛」は神々が愛する木、「間」は地域を意味した言葉だそうです。
神である彦火火出見尊が年に一度の狩りのために仮の御殿をたてたとされ、獲物が多かったこの地域を愛してこの名を付けたといわれています。
現在の「串間」というひょうきになったのには左右対称の字が好まれたことから変更されたとする情報がありました。
ただ、合併前の町村の中には串間の名称はなく、市名として採用されて理由などについては情報が見つかりませんでした。
- 読み方→「市木(いちき)」「都井(とい)」「本城(ほんじょう)」「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」
国富町の由来
1956年(昭和31年)9月30日に、「本庄町」と「八代村」が合併を行ったことによって国富町が成立しました。
町名である国富の由来については、古くにこの地域が「国富本庄」と呼ばれていたことにちなんだものになります。
また、他にも「国富本庄神陵京」や「国富本庄神原邑」といった呼び方をされていたそうですが、とにかく「国富」の名称はありました。
しかし、この名称の由来については情報を見つけることができず、字だけをみると富があったなど考えられますが間違っている可能性も十分にあります。
不確かな部分が多いので詳細な情報についてまた詳しく分かり次第、国富町の由来に関しては追記をしていこうと思います。
- 読み方→「本庄町(ほんじょうちょう)」「八代村(やつしろむら)」「神陵京(かみはらみやこ)」「神原邑(かみはらむら)」
五ヶ瀬町の由来
1956年(昭和31年)8月1日に、「鞍岡村」と「三ヶ所村」が合併を行ったことによって五ヶ瀬町が成立しました。
五ヶ瀬町の明治の由来については、町内には五ヶ瀬川と呼ばれる川が流れていて、町民の生活には欠かせないということから命名されたものとなっています。
五ヶ瀬自体の由来については諸説あるとされ、その名が表しているとおり五つの瀬があったことにちなむという説がまずありました。
その五つの瀬とは、「吐ノ瀬」「窓ノ瀬」「あららぎノ瀬」「綱ノ瀬」「大瀬」の五つといわれているようです。
その他の説としては皇族である「五瀬命」が命名した、もしくはその名を川の名称としてとったとされています。
- 読み方→「鞍岡(くらおか)」「三ヶ所(さんかしょ)」「吐ノ瀬(はきのせ)」「窓ノ瀬(まどのせ)」「綱ノ瀬(つなのせ)」「大瀬(おおせ)」「五瀬命(いつせのみこと)」
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