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鹿児島県の市町村名の由来【50音順 曽於市~東串良町】

都道府県別名称の由来まとめ

更新情報:記事内容を更新(2025.4.5)

はじめに

このページは、鹿児島県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。

50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。

参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。

また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。

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曽於市の由来

2005年(平成17年)7月1日に、「大隅町」「末吉町」「財部町」が合併、及び市制を施行したことによって、曽於市が成立しました。

市名について経緯は分かりませんでしたが、合併前の町が属していた「曽於郡」に由来したものと考えられそうです。

「曽於」という名称は、「囎唹」などの表記が変化したものとされますが、由来については諸説あるとのことで、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①大和朝廷に抵抗していた、「熊襲」と呼ばれる人々の土地の名称に由来しているとされる説。

②詳しいことについては不明であるが、「背の国」という言葉から転じたとされている説。

  • 読み方→「曽於市(そおし)」「大隅町(おおすみちょう)」「末吉町(すえよしちょう)」「財部町(たからべちょう)」「熊襲(くまそ)」「背(そ)」

龍郷町の由来

1975年(昭和50年)2月10日に、元々あった龍郷村が町制を施行したことによって、龍郷町が成立しました。

前身である龍郷村は、1908年(明治41年)の島嶼町村制施行により成立していますが、以前より地名自体はあったようです。

「龍郷」という名称については、西郷隆盛という人物に由来したものではないかとする話があります。

この「西郷」に、発展する願いを込めて「龍」の字が当てられたことで、「龍郷」となったとされるようです。

ただし、情報としては少なかったので、もし他に由来について見つけたら追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「龍郷町(たつごうちょう)」「西郷隆盛(さいごうたかもり)」

垂水市の由来

1958年(昭和33年)10月1日に、元々あった垂水町が市制を施行したことによって、垂水市が成立しています。

元となる垂水村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はありました。

「垂水」という名称の由来については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。

①城を建てた崖下に岩の間から「垂れている水」があり、この地で唯一の飲み水であったことから地名になったとす説。

②大隅の中心となる地域で、海山のものが満ち足りていたことから、「タリミチ」が転じたとする説。

  • 読み方→「垂水市(たるみずし)」

知名町の由来

1946年(昭和21年)に、元々あった知名村が町制を施行したことによって、知名町が成立しました。

前身である知名村は、1908年(明治41年)の島嶼町村制施行時に成立していますが、以前より名称自体はあったようです。

「知名」という名称の由来については、調べてみましたが情報を見つけることができませんでした。

位置している場所など、関連しそうなものもみてみましたが、特に推測できそうな要素もありません。

こちらの由来に関しては、また何か情報が詳しく分かり次第、改めて追記していこうと思います。

  • 読み方→「知名町(ちなちょう)」

徳之島町の由来

1958年(昭和33年)4月1日に、「亀津町」と「東天城村」が合併したことによって、徳之島町が成立しました。

町名については、この町が徳之島という離島に位置していることに由来したものとなっています。

古くには「度感嶋」と呼ばれていたそうで、これが転じたことで「徳之島」となったそうです。

これは「とぅく」という方言に由来するとされ、「突き出た場所にある島」といった意味があります。

ただし、あくまで一つの説であるそうで、詳しいことについては不明であるとされていました。

  • 読み方→「徳之島町(とくのしまちょう)」「亀津(かめつ)」「東天城(ひがしあまぎ)」「度感嶋(とくしま)」

十島村の由来

1952年(昭和27年)2月10日に、地方自治法というのが適用されたことにより、十島村が成立しています。

元々は1908年(明治41年)の島嶼町村制が施行された際にも十島村が成立していますが、当時は「じっとうそん」という読み方でした。

「十島」の名称は、表記のとおり有人の島が、現在の三島村合わせて「10島」あったことに由来したものです。

これがアメリカの支配下になってしまったことにより、上三島のみが日本側として残りました。

最終的に返還はされますが、三つの島が「三島村」に、残りの島が「十島村」として成立することになったそうです。

  • 読み方→「十島村(としまむら)」

長島町の由来

1960年(昭和36年)1月1日に、元々あった「西長島村」が改称、及び町制を施行したことによって、長島町が成立しています。

名称自体は古くからあったようですが、今回改称に至った経緯については分かりませんでした。

また、「長島」という名称の由来について調べてみましたが、こちらも特に情報がありません。

漢字の表記だけで考えると、「長い島」があったことに由来したものと推測できそうです。

ただし、全くの見当違いである可能性も高いため、また何か情報が分かり次第、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「長島町(ながしまちょう)」

中種子町の由来

1940年(昭和15年)11月10日に、元々あった中種子村が町制を施行したことによって、中種子町が成立しました。

前身である中種子村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に、7つの区域をもって成立していますが、このときに「中種子」と命名されています。

「中種子」の名称については、「種子島の中央部」に位置していることに由来したものです。

ちなみに「種子島」の由来は諸説あるようで、一説にはアイヌ語で細長いを意味する「タンネ」が転じたとする説があるようです。

他の説としては神様が米をまいた、つまり種をまいたという伝説に由来するという説もありました。

  • 読み方→「中種子町(なかたねちょう)」「種子島(たねがしま)」

西之表市の由来

1958年(昭和33年)10月1日に、元々あった西之表町が町制を施行したことによって、西之表市が成立しました。

元々村であった時代には「北種子村」という名称でしたが、町制を施行するあたり、改称が行われたそうです。

ただし、何故改称されることになったのかなど、経緯については情報を見つけることができませんでした。

「西之表」という名称の由来については、西に向かって開ける種子島における表玄関といった意味からくるそうです。

こちらの由来については、もう少し詳しく情報が分かったら、改めて追記をしていこうと思います。

  • 読み方→「西之表市(にしのおもてし)」「北種子(きたたね)」

日置市の由来

2005年(平成17年)5月1日に、「伊集院町」「東市来町」「日吉町」「吹上町」が合併、及び市制を施行したことによって、日置市が成立しています。

今回市名を決めるにあたり、どのような経緯で決定したのかに関する情報は見つかりませんでした。

日置市の名称も同じく情報は見つかりませんでしたが、合併前の町は「日置郡」に属していることから、これに由来したものと考えられます。

「日置」自体の由来についても不明な部分もあるようですが、「ヘキ」から転じたとする情報がありました。

あくまで一説にはなりますが、この「ヘキ」というのは、古代朝鮮語において土を意味する言葉となるようです。

  • 読み方→「日置市(ひおきし)」「伊集院町(いじゅういんちょう)」「東市来町(ひがしいちきちょう)」「日吉町(ひよしちょう)」「吹上町(ふきあげちょう)」

東串良町の由来

1932年(昭和7年)10月1日に、元々あった東串良村が町制を施行したことによって、東串良町が成立しました。

前身である東串良村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に、8つの区域をもって成立していますが、このとき「東串良」と命名されているようです。

これは「串良郷」を東西に分割したことに由来した名称だそうで、「串良」自体の由来については諸説あるそうなので、今回2つの説を紹介します。

①詳細は不明だが、「髪梳(くしら)」という神の名付けられた神号に由来したものであるという説。

②君主のいる場所を意味する「槵羅(くしら)」という言葉が転じて「串良」となったとされる説。

  • 読み方→「東串良町(ひがしくしらちょう)」

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