更新情報:記事内容を更新(2025.4.3)
はじめに
このページは、鹿児島県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
鹿児島県の由来についてはこちら
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大崎町の由来
1936年(昭和11年)1月1日に、元々あった大崎村が町制を施行したことによって、大崎町が成立しました。
前身である大崎村は、1889年(明治22年)の町村制施行時に成立しており、その際に村の名称として「大崎」と命名されています。
ただし、名称についてはそれ以前より存在していて、由来としては地形に由来しているそうです。
「崎」という字は、岬と同じような意味を持ち、丘などが突き出ている端の場所を指すとされます。
このことから、大きな丘が突き出たような地形であることで「大崎」となったとしていました。
- 読み方→「大崎町(おおさきちょう)」
鹿児島市の由来
1889年(明治22年)4月1日に市制が施行されたことにより、50にもなる町村の区域をもって鹿児島市が成立しました。
「鹿児島」という名称は古くからあり、その由来には諸説あるといわれているので、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①字に「鹿」の表記があることから、鹿の子が多く生息していたことに由来するとされる説。
②元は桜島を指していたことから、火山を指す「カグ」という言葉が転じたことによってできた説。
③桜島の四方が崖になっていたことから、「カゴ」という言葉に由来して「カゴシマ」となった説。
- 読み方→「鹿児島市(かごしまし)」「桜島(さくらじま)」
鹿屋市の由来
1941年(昭和16年)5月27日に、「鹿屋町」「大姶良村」「花岡村」が合併、及び市制を施行したことによって、鹿屋市が成立しました。
「カノヤ」という名称は平安時代にはあったとされ、その由来については諸説あるとのことでしたので、今回3つの説を紹介していこうと思います。
①「カヤ」という植物が多く自生していた地域であったことから、これが転じて「カノヤ」となった説。
②大和王権に抵抗した人々を指す、熊襲の首長である「カヤ」という人物に由来したものとされる説。
③多くの鹿が生息している地域であったことに由来して、これが転じたことでできた地名とする説。
- 読み方→「鹿屋市(かのやし)」「大姶良(おおあいら)」「花岡(はなおか)」「熊襲(くまそ)」
喜界町の由来
1941年(昭和16年)に、元々あった喜界村が町制を施行したことによって、喜界町が成立しました。
前身である喜界村は、1908年(明治41年)の島嶼町村制の施行により成立し、村の名称としてはこのときに付けられています。
ただし、この名称は喜界島に位置していることに由来したものと考えられ、「喜界」の名称自体は古くよりありました。
「喜界」の由来については詳しい情報は不明でしたが、「鬼界島」などの表記から変わっていったとされています。
元の由来は分かりませんが、「喜」という字に変わったのは、縁起の良い字であったからだそうです。
- 読み方→「喜界町(きかいちょう)」「喜界島(きかいじま)」
肝付町の由来
2005年(平成17年)7月1日に、「高山町」と「内之浦町」が合併したことによって、肝付町が成立しました。
町名については公募が行われたそうで、その結果によって「肝付」の名が決定されています。
「肝付」という名称の由来については、肝付氏という人物にちなんだものであるそうです。
肝付氏は鹿児島の東側である大隅半島を長い間治めた人物で、この地を本拠地としていました。
ちなみにこの町は「肝属郡」に属していますが、由来としてはこのことには関係はないそうです。
- 読み方→「肝付町(きもつきちょう)」「高山町(こうやまちょう)」「内之浦町(うちのうらちょう)」「肝属郡(きもつきぐん)」
霧島市の由来
2005年(平成17年)11月7日に、「霧島町」「国分市」「溝辺町」「横川町」「牧園町」「隼人町」「福山町」が合併したことによって、霧島市が成立しました。
市名については経緯がわかりませんでしたが、この地域にある霧島山に由来したものだそうです。
「霧島」という名称については、諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①神話において、神々が天から覗いたときに、霧の煙った海に浮かんでいる島を見つけたとする話に由来する説。
②天孫降臨があったとき、霧が深くて物が分からなかったことから、稲穂をまいてお祈りしたところ霧が晴れたという話に由来する説。
- 読み方→「霧島市(きりしまし)」「国分市(こくぶし)」「溝辺町(みぞべちょう)」「横川町(よこがわちょう)」「牧園町(まきぞのちょう)」「隼人町(はやとちょう)」「福山町(ふくやまちょう)」「天孫降臨(てんそんこうりん)」
錦江町の由来
2005年(平成17年)3月22日に、「大根占町」と「田代町」が合併したことによって、錦江町が成立しました。
町名については公募が行われており、名称はこの地域にある「錦江湾」に由来したものとなります。
錦江湾は町の西側にある湾で、正式名称は「鹿児島湾」ですが、「錦江湾」の名称で親しまれているそうです。
ちなみに錦江湾については、薩摩藩の初代藩主である、島津家久が詠んだ歌に由来しています。
その歌とは「浪のおりかくる錦は磯山の梢にさらす花の色かな」で、歌が広まるにつれて「錦江湾」が定着していきました。
- 読み方→「錦江町(きんこうちょう)」「大根占町(おおねじめちょう)」「田代町(たしろちょう)」「錦江湾(きんこうわん)」「梢(こずえ)」
さつま町の由来
2005年(平成17年)3月22日に、「薩摩町」「宮之城町」「鶴田町」が合併したことによって、さつま町が成立しました。
町名についての由来は情報が見つかりませんでしたが、「薩摩郡」に属していることに由来したものかと推測されます。
また、ひらがなである理由については、これも憶測とはなりますが、今回の合併は対等なものであることから、「薩摩町」と区別するためであったのかもしれません。
「薩摩」という名称については、調べてみたものの由来に関する情報を見つけることができませんでした。
この由来については、また何か情報が見つかり次第、改めて追記をしていこうと思っています。
- 読み方→「薩摩町(さつまちょう)」「宮之城町(みやのじょうちょう)」「鶴田町(つるだちょう)」
薩摩川内市の由来
2004年(平成16年)10月12日に、「川内市」「樋脇町」「入来町」「東郷町」「祁答院町」「里村」「上甑村」「下甑村」「鹿島村」が合併したことによって、薩摩川内市が成立しています。
市名については公募が行われており、その結果として「薩摩川内」という名称が決定されました。
「薩摩」とは合併前の町村が「薩摩郡」に属していたことになどに由来したものと思われます。
「川内」については古くには「千台」と表記されていたとされ、これは千の台を作らせたという話に由来するそうです。
その千台というのが「川の内側」にあったことから、「川内」という名称に転じたといわれています。
- 読み方→「薩摩川内市(さつませんだいし)」「川内市(せんだいし)」「樋脇町(ひわきちょう)」「入来町(いりきちょう)」「東郷町(とうごうちょう)」「祁答院町(けどういんちょう)」「里村(さとむら)」「上甑村(かみこしきむら)」「下甑村(しもこしきそん)」「鹿島村(かしまむら)」
志布志市の由来
2006年(平成18年)1月1日に、「志布志町」「有明町」「松山町」が合併、及び市制を施行したことによって、志布志市が成立しました。
市名として「志布志」を引き継いだ経緯については分かりませんでしたが、鎌倉時代からある古い名称だそうです。
「志布志」という名称については、天皇に布を献上したという話にちなんでいるとされます。
献上したのは妻女でありますが、これにならって侍女までもが天皇に布を献上したそうです。
そのことに天皇は感激し、「上下から志しとして布を献上した、これは上下の志布志」と言ったことが始まりといわれています。
- 読み方→「志布志市(しぶしし)」「志布志町(しぶしちょう)」「有明町(ありあけちょう)」「松山町(まつやまちょう)」
瀬戸内町の由来
1956年(昭和31年)9月1日に、「実久村」「鎮西村」「西方村」「古仁屋町」が合併したことによって、瀬戸内町が成立しています。
今回町名については新たに命名されたものとはなっていますが、経緯については分かりませんでした。
「瀬戸内」という名称については、鹿児島県にある大島海峡に由来したものとなるそうです。
大島海峡は瀬戸内町がある奄美大島と加計呂麻島の間にある海峡で、別名「瀬戸内」と呼ばれています。
これは、複雑な海岸線をもつことからそう呼ばれるそうで、地名としても使われてきました。
- 読み方→「瀬戸内町(せとうちちょう)」「実久(さねく)」「鎮西(ちんぜい)」「西方(にしかた)」「古仁屋(こにや)」」「大島海峡(おおしまかいきょう)」「奄美大島(あまみおおしま)」「加計呂麻島(かけろまじま)」
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