更新情報:内部リンクを更新(2025.12.20)
はじめに
このページは、福島県内にある各市町村の名称の由来について、紹介しているページとなります。
50音順に紹介していますが、市町村の数が多いことから複数の記事に分けているので、今回紹介している市町村は目次をご確認ください。
参考にしているものとしてはなるべく信憑性の高いものを選んでいますが、正確性に欠ける場合もあります。
また、ページを更新するタイミングによっては、情報が新しくなっていない場合もありますこと併せてご了承ください。
福島県の由来についてはこちら
他の市町村についてはこちら
大熊町の由来
1954年(昭和29年)11月1日に、合併及び町制施行されたことによって、大熊町が成立しました。
今回「大野村」と「熊町村」が合併しており、「大熊」の名称はそれぞれの字をとった合成地名となります。
元々あった大野村も合併により誕生しており、「大川原村」「野上村」「下野上村」の区域からできました。
由来に関しての情報は見つかりませんでしたが、大野村もそれぞれの字をとってできたものと思われます。
熊町村の由来については不明ですが、古くには「苦麻」という地名があったことから、ここから転じたのかもしれません。
- 読み方→「大熊町(おおくままち)」「大野村(おおのむら)」「熊町村(くままちむら)」
大玉村の由来
1955年(昭和30年)3月31日に、合併が行われたことによって、大玉村が成立することとなりました。
「大玉」という名称は合成地名となっており、合併した「大山村」と「玉井村」から文字をそれぞれとっています。
ちなみに、元となる「大山」という名称も、「大江村」と「椚山村」が合併した際に、それぞれの字をとったものです。
「玉井」の地名については、1889年(明治22年)に行われた町村制施行以前より存在しており、こちらは合成地名ではありません。
その由来としては、この地にある井戸から水晶の玉がでてきたという話にちなんだものとなっています。
- 読み方→「大玉村(おおたまむら)」「大山村(おおやまむら)」「玉井村(たまのいむら)」
小野町の由来
1955年(昭和30年)2月1日に、「小野新町」「飯豊村」「夏井村」が合併したことによって成立しました。
町名については、合併された町村にある「小野新町」の「小野」の部分を引き継いだ形となっています。
この地名の由来については、「小野篁」という人物にちなんだもので、小野はこの地を治めていたそうです。
この地で子どもも産まれたそうで、その子どもとは歌人として広く知られている小野小町になります。
このことから、小野町は小野小町の生誕伝説のある地として知られている場所となっているようです。
- 読み方→「小野町(おのまち)」「小野新町(おのにいまち)」「飯豊村(いいとよむら)」「夏井村(なついむら)」「小野篁(おののたかむら)」
鏡石町の由来
1962年(昭和37年)8月1日に、元々あった鏡石村が町制を施行したことによって、鏡石町が成立しています。
前身である鏡石村は、1889年(明治22年)の町村制が施行された際の合併により成立しており、このときに村名は命名されました。
この合併は、「鏡田村」「久来石村」「笠石村」「成田村」という4つの村によって行われましたが、「鏡石」の名称はこの村名に由来したものです。
字をみると分かるとおり、成田村を除いた村から、それぞれ1文字ずつ使ったこと合成地名となっています。
この中で、成田村の名称だけ使われなかったことについては、特にこれといった情報は見つかりませんでした。
- 読み方→「鏡石町(かがみいしまち)」
葛尾村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、葛尾村が成立することとなりました。
このとき、4つの村の区域をもって成立していますが、その中には「葛尾」の名称があることから、古くよりある地名となっているようです。
「葛尾」の由来としては、長野県にある葛尾城跡に関係があり、古くに葛尾城を巡った戦いが行われましたが、武田信玄によって敗北を喫してしまったとされています。
その後、松本一族はこの地に逃れたとされており、ここを「葛尾」と呼ぶようになったそうです。
これは、葛尾城を偲んでそう呼んでいたされ、ここから地名として定着していくことになりました。
- 読み方→「葛尾村(かつらおむら)」
金山町の由来
1958年(昭和33年)4月1日に、元々あった金山村が町制施行されたことによって、金山町が成立しました。
前身である金山村は、1955年(昭和30年)の合併により成立しており、このときに村名として命名されているようです。
しかし、「金山」という名称の由来については、特にこれといった情報を見つけることができませんでした。
憶測とはなりますが、かつてこの地域には鉱山もあったことから、これにちなんだものかもしれません。
こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「金山町(かねやままち)」
川内村の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、川内村が成立することとなりました。
このとき、「上川内村」と「下川内村」の区域をもって成立していることから、以前よりある地名となっているようです。
「川内」という地名の由来についてですが、こちらは調べてみてもこれといった情報が見つかりませんでした。
字だけを見るならば、川に囲まれた場所といったことから「川の内側」を意味したものと考えることもできそうです。
こちらの由来については、また何か情報を見つけることができ次第、改めて追記をしていこうと思います。
- 読み方→「川内村(かわうちむら)」
川俣町の由来
1889年(明治22年)4月1日に、町村制が施行されたことによって、川俣町が成立することとなりました。
このとき、元々あった川俣村が町制施行した形となっていることから、古くよりある名称となっているようです。
「川俣」という地名の由来については諸説あるとのことでしたので、今回2つの説を紹介していこうと思います。
①小手子と呼ばれる人物がおり、小手子は天皇の妃で養蚕をこの地に伝えたとされていて、その故郷が「川俣」という場所であったことからそう呼ばれるようになった説。
②川の流れが合流する地形であったことから「川股」と呼ばれ、これが変化していったとする説。
- 読み方→「川俣町(かわまたまち)」「小手子(こてこ)」
喜多方市の由来
1954年(昭和29年)3月31日に、「喜多方町」「岩月村」「上三宮村」「熊倉村」「慶徳村」「関柴村」「豊川村」「松山村」が合併、及び市制施行したことによって成立しました。
市名については、合併された町村の中で唯一の町である、喜多方町から名称を引き継いだ形となっているようです。
「喜多方」という地名の由来については、元々あった「北方」という表記が転じたものとなります。
この「北方」に関しては、会津藩と呼ばれた領域の北部に位置していたことから命名されたものです。
現在の表記である「喜多方」は、「喜びが多い」といったような思いを込めたものとなっています。
- 読み方→「喜多方市(きたかたし)」「喜多方町(きたかたまち)」「岩月村(いわつきむら)」「上三宮村(かみさんみやむら)」「熊倉村(くまぐらむら)」「慶徳村(けいとくむら)」「関柴村(せきしばむら)」「豊川村(とよかわむら)」「松山村(まつやまむら)」
北塩原村の由来
1954年(昭和29年)3月31日に、合併が行われたことによって、北塩原村が成立することとなりました。
合併は「北山村」「大塩村」「檜原村」で行われており、「北塩原」の名称はそれぞれの文字をとったものとなります。
ちなみに前身の村についてですが、北山村については寺院である「北山薬師」に由来しているそうです。
そして、大塩村は塩類泉という、主に食塩が多く含まれる温泉に由来したものとされていました。
最後に檜原村についてですが、不明な部分もありながらも、一説にはヒノキが多く生い茂っていたことにちなむされています。
- 読み方→「北塩原村(きたしおばらむら)」「北山村(きたやまむら)」「大塩村(おおしおむら)」「檜原村(ひばらむら)」「北山薬師堂(きたやまやくしどう)」「塩類泉(えんるいせん)」

コメント